塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 全相平話_4

2014-12-19 05:45:38 | ミュージアム巡り_2014
 周国の軍略家・呂尚のことを“太公望”と呼ぶが、大元は文王の
祖父である太公が長らく待ち望んでいた(周の中国統一を実現する)
人という意味。

 これが現在では、“釣り好きの人”の代名詞となっている。これは
釣りをしていた太公望・呂尚が文王に見出されたという故事に基づ
いたもの。
 この故事は江戸時代にも知られ、次の川柳に詠われている。
「釣れますか などど文王 そばへより」

 続いては、「伯夷と叔斉の諫言」。
 極悪非道の紂と姐己を討伐するため、武王は稀代の軍師・太公望
を伴い、紂の住む都へ軍を進める。すると、進軍する武王の前に、
伯夷と叔斉の二人が現れる。

 伯夷と叔斉は狐竹国の王子で、跡継ぎ争いを避けるため、文王の
もとへ赴く。伯夷と叔斉は極悪非道といえども、主君である紂を討
伐しようとする武王に反発し、進軍中の武王を不忠であると諫める。
 その後、二人は首陽山に隠棲し、周王朝からの俸給を断り山菜な
どを食べながら生活が続くものの、ついには食べ物がなくなり餓死
してしまう。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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