森元志乃 shino morimoto

ヴァイオリン弾きの吐息

本の災難

2009-09-28 22:56:33 | Weblog
いまだに 母は 時折 荷物を送ってくる。

食べ物も 地元でしかないものは 随分少なくなったが

それでも 思ったよりは いろいろある。

それは 間違いなく 故郷の味。

もう気にしなくていいよ と 言ってはみるが 

やはり それは 嬉しい。

もちろん 

送る側も 受け取る側も 中身より 気持ちである。

母にとって 私は 子どもなのだな と しみじみ 思う。

それは 気恥ずかしくもあり 嬉しくもある。

最近は こちらへ送るときには 松山の娘にも送っている。

孫に荷物を送ることは また 格別 嬉しいものらしい。


それにしても 今回の荷物は 大笑いだった。

もともと 入っているものは 雑多だ。

食品と 本と ときには洋服やバッグ 

詰めかと思った新聞が 大事な切抜きだったりするから

詰め物も全部 検め 本の間も全部 確かめる(笑)。


今回は 地元の店特製の ニシンのマリネが 荷物のメインだったから

母は 「冷凍」で 送ってきた。

当然 一緒に入っているものも 冷凍されてしまう。

いや もみじまんじゅうや その他のお菓子は まあいい。

しかし

本が ギンギンに冷えているのは どうよ。

しかも 2冊ほど ツルツルのカバーがついていて

ふと気付くと ひどく汗を掻いている。

慌てて ティッシュで 拭き取るが 拭いても拭いても びしょびしょ。

気付いてよかった。

危なく 本が ぼよぼよになるところだった。

ったく。

日本全国広しといえど 冷凍された本 というのは なかなかいないだろう。

ほかに誰もいない家で 濡れた本のカバーを拭きながら

込み上げてくる笑いが こらえられなかった。


娘に 「お母さんの荷物 変」と 笑われる。

仕方ないでしょ そういう風に 育てられたんだから。

いや でも 本の冷凍だけは やめよう。うん。






ゴアになってみる

2009-09-28 08:55:50 | Weblog
高速道路が無料になる ということが 本当に いいことなのかどうか

ど素人の私には よく 分からない。

というか いいこと って どういうこと って 

それすら 分からない。

無料になったら みんな 高速に乗って ガンガン 車で出かけるようになるから

それは CO2・25%削減を掲げてて 矛盾してない? なんて意見が

強く 聞こえてくるような 気がするのだが

「高速は無料にするけど できるだけ車には乗らないでね」と言うことが

どうしていけないのか これも分からない。


煙草がようやく 「吸わない人」主体の 世の中になってきたけど

車も 「乗らない人」主体の 世の中になるといいなと 思う。


身体に害があるのを 分かっていて 吸う。

混むのを 分かっていて 高速に乗る。


それは 個人の自由 って 言われれば 全くその通り。

でも 「問題はそこじゃない」 

と 煙草にとことん弱い私は 小さい声(笑)で言う。



煙草のパッケージに 最近(かな?)

「喫煙はあなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」なんて

具体的な病名が書いてあるけれど 

「喫煙はほかの方に大変迷惑を掛けます」とは 書いていない。


車の内側や外側に

「今この車が排出しているCO2は毎分○○g」とか 出しちゃったら

少し 乗り難く なったりするだろうか?


ちなみに 我が家も 週に一回位だけれど 車に乗る。

自戒を含めて。 


業種が業種なので 仕事仲間に喫煙者は多いが

ほかに喫煙所がなかったりすると 

「ここで吸ってもいい?」と 必ず聞いてくれる。

まあ 「やだ」とは なかなか 言えない訳で

内心 ずるいよ(笑) なんて 思いもするけど

聞いてくれたことが嬉しくて 「いいよ」と言ってしまう。


環境破壊 にも CO2削減 にも 思うところは 多々あるが

地球を含め全生物(お スケールが大きいぞ!って地球は生命か?生命だ 笑)

互いに 思いやることで 得られる

ちっちゃな 一瞬の幸せを 少しずつでも 積み重ねて いくことができれば

絶対 滅亡に向かっている(!)この世界も

悪くないんじゃないの って 思えるんじゃないかなぁ。

聴覚異常者の一日

2009-09-27 01:12:00 | Weblog
このところ 頭の片隅に いつも

音 とか 音律 とかいう 言葉が 引っ掛かっていて

そのせいか 日常での 耳の感度が かなり あがっているらしく

CDやテレビで聴く ピアノや ギターの音が ひどく 濁って聴こえたり

(それが 嫌な訳ではない。…昔は ダメな時もあったけれど)

ふと 冷蔵庫や水槽のモーター音に 耳を傾けていたり

昨日などは

突然起きた 耳鳴りが 何の音か 気になって

ん~ と ハミングして Cisだ と 分かると 安心したりして

ちょいと まずいかな という 感じ。


そういえば 電話の呼び出し音や テレビの音量を

少し 下げている 自分がいる。


そうありたいとは まったく! ぜんぜん! 思っていないのだから

あくまでも 音について考えてる という 作業を 無意識にしている中

自分自身 望んでいないにも関わらず 

耳が勝手に 何かを探し求めてしまっている ということなのだろう。


これは きっと (まだ 経験したことがないので はっきりは言えないけれど)

質の悪い 補聴器を付けているのに 近いんじゃないか と 思う。


聴きたくないものを 聴いてしまう というのは

ある意味 能力が落ちているのだから

気を付けなくては と 思う ここ数日である。


自分の能力が暴走して悩む超能力者 なんていうのだったら

映画張りで カッコいいが

これはあまりに 情けない。

今は PCの音が 気になっている。


夜更かしするから いけないんだな。

寝よう。


おやすみなさい。












 

立ち位置

2009-09-23 15:45:10 | Weblog
大好きな しずる が 出ていたので

キングオブコント2009 見てしまったぁ。

生放送でリズムが悪くて じっと見ていると イライラしてしまうので

ほかの仕事をしながら…(歳のせいか落ち着きがない 笑)。


しずるは 相変わらず 好みにバッチリなので GOOD!。

村上君の 鋭い感じは もちろんなんだけど

池田君の さりげない台詞の言い方が好きで うん よいよい。


面白かったのは 審査員が出す点数と 自分の中のズレ。

いや もちろん こちらは好みでしか 判断しないから 偏っちゃいるんだけど

へえ そういう点数が出るんだ みたいな。

審査員が全員同業者 っていうのは 大きいかな って。


ヴァイオリン含め 音楽系でも きっと

審査員で 評価が 割れるような気がする。

ぜ~んぜん クラシックファンじゃない人と

クラシックファンの人 演奏者 あるいは 批評家。

もちろん 誰しも認める人が 超超一流な訳で。


途中で 松本さんが 「ノーミスだったしね」と 言っていて

うんうん とは 思うものの 

その うんうん と 思った自分が 

はたして 「ノーミス」を理解していたかというと どうかなあ と。


以前にも 書いた記憶があるけれど

学生時代 クラシックに余り縁のない友人と

私の知人が出る 発表会っぽいコンサートに行ったとき

パガニーニの難曲を 腹が立つ位 ものの見事に弾きこなしていた知人に

私や周囲の同級生が 感動していたら

友人が 「何がそんなにすごいの? あんまり面白くない曲だね」と のたまって

顰蹙を買ってしまった という 事件あり。

その友人は 我々にとっては ミスしまくりの ヴィエニアフスキの方がお気に入りだったらしく

「かっこいい」と。 弾き方も「かっこいい」と。

ううむ。



ちょっと ずれるけれど

先生が思う「よい先生」と 保護者が思う「よい先生」と 生徒が思う「よい先生」

なかなか 一致しない なんて 話を 教育関係の人から 耳にする。 



自分が どこにいるのか それを意識すること 大切だなと

しみじみ 思う。

だから どっちなんだ?

2009-09-22 22:57:20 | Weblog
そういえば ずっと 仏教志向だった。

といっても もちろん 本格的な意味ではない。

(かといって 宗教を軽んじている訳ではないので お許しを)


お寺が好きで 仏像が好きで お香が好きで

グレゴリオ聖歌よりは お経が好きだった。(比べるものが変?笑)


今も それは 好きなのだけれど

最近 自分が変わってきたのを 感じる。


教会を見たり 教会音楽を聴くと

ぐっと 身体の奥の方が 熱くなる感じがする。


頭の中が ヴァイオリンまみれなのが 影響しているのだろうか?




昨日 那須にある 息子の学校へ 行ってきたのだが

そこの 食堂が 気に入っている。

三角屋根で 高い天井 片側広い面積を占める窓

食堂内が暗く 窓から日が差し込むと

高原の爽やかな空気と相まって

私の中では すっかり 教会モード。

ふと周りを見れば むさ苦しい 青少年でいっぱいなのだけど(笑)。


昔 阿修羅像を見たとき 

恐怖に似た言葉にならない感情に 身体が充たされたのを覚えている。

でも 今は 少し 受け止め方が 違うかもしれない。


そういった

このところの ある種の 西洋志向に気付いたときは

わがことながら 驚いた。


若い頃 自分で自分のことが分からない なんて 考えもしなった。

「人の気持ちが分からない」「自分の気持ちを分かってもらえない」

そんな 逃げに近い 考え方しか できていなかった。

自分で自分のことが分からないのに

人に分かってもらおうっていうのは 相当 贅沢なんだよね。


謙虚に 謙虚に


いや こんなことを考えたのは

録画していた 森有正氏に関するテレビ番組を見たから。

自分 分かり易過ぎ(笑)。




共感するということ

2009-09-19 20:41:47 | Weblog
たまたま 読んでいた 冊子に

ヒトラーのことが 書いてあった。


どうしてだか 誰のせいだか

原爆と同じ位 刷り込まれているのが

ホロコーストの恐怖である。

小学何年生だっただろう?

アンネの日記を 夜 布団の中で 震えながら読んだのを 憶えている。

怖くて 吐き気がして… 

でも その後も 義務のように 随分 ナチスの本を読んだ。

(父の蔵書にあった。そういえば父の蔵書には〈南京大虐殺〉や戦争関係の本も多い。
(近代・現代史が嫌いになったのは それを読んだからかなぁ。


だから もちろん ヒトラーというのは

私の中では ほとんどない 激しい怒りの対象である。


それでも ヒトラーの生い立ちを追った その文を読んでいると

ひどく 悲しくなる。

孤独であるということを 自覚できないほどの 孤独。

相手を理解する能力が 恐ろしいほどない。

だから 人を信じ 愛することが できない。

自分のうちにのみ 真理があるから 平気で嘘をつく。

人が離れていく。


でも そういう人 そばにいないだろうか?


ミラーニューロンの本を読んでいて

思うことが たくさん あった。

人に共感できない人がいる。

それは単に しつけや教育の問題ではないのか。

とすると それは とても 恐ろしい。


人には 欠けているものが たくさんある。

それが 目に見えぬものであったり 心の中のものであったり。

言葉で表現できない 表現したくてもできないものもある。


ヒトラーは 自分の前半生を屈辱に塗れたものだったと思っているようだが

案外 普通ではないか と よくある話ではないか と。

もちろん この先 考えるべきは 

ヒトラーのような怪物を化物を 生まないためには 

という ことなのだろうが

ふと 振り返り 足元を見れば

そこにあるのは 子育ての怖さ である。


政治家の方々には

女性が仕事をしながら子育てできる環境 ではなく

子育てに専念できる環境 を 作ってもらえないだろうか?

なんて 思うのである。


24時間 子育てを させてあげてほしい。

せめて せめて 小学校に入るまで。

人の命を預かるということ 一人の人間を育てるということ

それがまた 社会を背負う世代に強さを与えるのだから。


言葉を操れず ひたすら それ以外のコミュニケーションで 訴え続ける

小さな命。

その声を 拾える力を持たない 拾う術を学ばなかった

そんな親たちが 反抗期や思春期の 語らない子を前に

「子どもの気持ちが分からない」という状況に陥っても

致し方ないのではないか と 思ってしまう。


どんなに 語彙が豊富で 会話に長けた人でも

自分の気持ちを伝えるのは むずかしい。

ましてや。


こんな場で 一介の主婦が語っても その声は届きようもないのだろうけど

保育園などなくてもよい。

子を持つ親みんなが 子どもが小学校に入るまでは 子育てに専念できる

そんな 社会だったら どんなにか 楽しいだろうに。  


それにしても 〈専業主婦〉に劣等感を植え付けたのは 誰?



ベランダで 虫が鳴いている。

りっりっりっ と 歯切れよく美しい スタッカート。

さて 君は誰?


やった!

2009-09-17 21:37:36 | Weblog
以前から 子どもとケータイ 子どもとインターネット という問題に

自分でも 驚くほど 執着がある。


自分でも どうして そこまでしてしまうのか 分からぬまま

新聞に「携帯」の文字があれば 切り取り

ケータイ絡みの事件が 起きれば テレビに見入り

そんな生活 すでに数年。

自分自身に ? である。(本職だって そこまでやらないのに… 笑)


普段 情けないと思いつつも 自分から何かを起こすことは 余りない。

お手伝いが 分相応だと 思っている。

ところが こと ケータイに関しては

周囲を巻き込んででも いろいろ 動かずにはいられない。


今日 念願叶って 子どもの出身小学校で 

ケータイの講習会が 開催できた。

在校時代から 参加している 小学校HPサークルの 数年越しの 企画である。

できた なんて 偉そうだが

今や ただの 保護者OBなので 大変なところは 全部 

在校生のお母さんたち(よい仲間なんです)に押し付けて

美味しいところだけ 貰ってしまった。

無事開催できたことも そして その内容がよかったことも

本当に 嬉しかった。

感謝で いっぱいである。



拘らずにはいられない その理由は 漠とした 怖れや不安にある

それは 分かっていたのだが、

その 怖れや不安は 人間関係崩壊の予感だったのかな と。

「つながるべきところが つながらず 

  つながるべきでないところが つながる」

ハッとする言葉を たくさん 頂いたが この言葉は 刺さった。


大人同士の 友人関係も

メールのやり取りで いとも容易く 崩れる。

しかも その気になれば 「ともだち」は 簡単に 作れる。

友だちが 軽い。

子どもだけじゃない。

大人も 友だちを 大切にしない。

(書いていて 自分も 胸が痛い) 


以前は 「書く」という行為は もう少し 重かった …よね。


今日の今日なので 取り留めなくなるから(もう なってる 笑)

また おいおい。(おいおい 笑)


そう。

今日の講師の先生 若い男性だったのだが

自分が学んできたこと 自分が考えていることを

自分の中で ちゃんと消化して 自分の言葉で 話して下さっていた。

内容はもちろん 素晴らしいものだったけれど

そこに 感動した。

今の人に欠けているもの?


ということで 感動した内容の方については おいおい。ぷ。
 
興味のある方は logical kit で 検索を。

(でも これも 文字情報じゃなくて 生がよいです。絶対。)


食欲に勝るものなし

2009-09-15 19:50:26 | Weblog
エチゼンクラゲの 映像を見た。

最近 水族館でも クラゲは人気らしいが

小さいのなら まだしも あまり 大きいと …だし

ましてや エチゼンクラゲの あの姿は

どうも いただけない。


生命という単位で見れば 同じ生き物なのだと思うと

涙が出そう 鳥肌が立ちそう みたいな。


でも 自分の手を じっと 見れば

「人間って 見ようによっては 相当 グロテスク」

なんて ほんの少し前 考えたことを 思い出す。


エチゼンクラゲくん ごめんよ。

…でも …やっぱり 

あれ見た 後で クラゲは 喰えん。

と言いつつ クラゲの酢の物 食べたくなった。

 

神の与えしもの

2009-09-14 21:51:51 | Weblog
久し振りに 無伴奏の合唱曲に はまっている。

今日は クーラ だ。

フィンランドの作曲家 フランスの語法 と きちゃ

はまらない訳がない。


精神的に すごく まいっていて 本当にヒーリングが必要なときは 

案外 こういう曲は 聴くことができない。

少し 頭の中が 落ち着いてきているのだと 思う。

また いつ どうなるか 分からないけれど。


クーラは 34歳で 戦死している。

たった十数年の 音楽活動…。

銃弾を受けたとき 彼は 薄れ往く意識の中で

何を 思ったのだろう。


病死だろうと 戦死だろうと

死は 来るべきときに 来るのだろうが

やはり 人の手による死は 理不尽だと思ってしまう。

そう思うこと自体が 不遜なのかもしれないけれど。


放映中のドラマを見ていて

もし と 考える。

神の手を持っていたら… 悪魔の手を持っていたら…

自分は 周囲は どう 変わるのだろう と。

肉体的に 精神的に

少し 人と違うだけで 簡単に 排除の対象になってしまう

そんな 危険性が 「ここ」には いつもある。

娘と同じ病気を持つ 小さな子どもたちが

いじめに遭うことも 少なくないという。

聞いてみたい。

「あなたは 自分がそうでないと 言えるか?」


ほんの一握りの 例外を除いて

何かに秀でれば 何かに欠ける。

思いやる気持ちさえあれば 互いに助け合って 生きていけるのだろうに。


なんて 殊勝な気持ちになる

クーラの合唱曲である。













澄んだ空気の中で

2009-09-11 23:48:48 | Weblog
今日 銀行で

とても 綺麗な人を 見た。

思わず 目で追ってしまって

目で追ってしまった理由に 気付いた。

女性なんだろうか? 男性なんだろうか?

見た目だけでは 完全に どちらか 断定できない…。

う~ん。

最近 綺麗な男の子 いっぱいいるからなぁ。

まあ どっちでもいいか 目の保養になったし なんて 考えつつ

映画館の横を通り過ぎる。

ウルヴァリン 見たい。


家に帰る途中 年老いたカラスを 見た。

羽は光沢を失い 向きはバラバラで

嘴の上の辺りから 頭の後ろにかけて 毛が無残に抜けている。

目付きだけが鋭い そのカラスは

ちょうど 私の目の高さにいて 通り過ぎる私を じっと見ていた。

黒い目に宿る 怯えと威嚇。

カラスの死骸 目にしたことがないな と ふと思う。


そういえば 去年 

セミの死骸が 思うほど 落ちていない

なんて 書いた記憶がある。


もうすぐ 家に着こうかという 遊歩道で

後ろから 人の声が聞こえる。

音から 自転車に乗っているのが分かる。 なのに

声が聞こえ始めてから 私を追い越すまで かなり 時間があって

ケータイでの会話が 全部 聞こえてしまった。

「そうそう そうなの。自転車で向かってるところ。うん 自転車。ダイエットしなきゃいけないし。がんばっていくから 待っててぇ。じゃあ」

時間が 掛かるはずだ。

苦しそうな音を立てて 必死に前へ進む 自転車。

いや 確かに ダイエット必要だよ お嬢さん。

でも よく見ると まるっこいけど いや その まるっこさが 可愛い。

ダイエットほどほどに なんて 頭の中で 余計なお節介を呟きながら


無事 家に 到着。