森元志乃 shino morimoto

ヴァイオリン弾きの吐息

心の傷痕

2009-12-28 18:26:13 | Weblog
意味も分からないのに 嫌いな言葉 というのに お目に掛かることがある。

今こそ 意味が分かっているが(多分)

耳にした瞬間から 拒絶反応があった その一つが

アバター だ。

意味を知っても なお その言葉は 好きではない。

そこにあるのが 単なる 音 に対する嫌悪なのか

それとも 以前にどこかで 意味を耳にしていて 

それが 記憶の奥底から 無意識に働きかけていたのか

自分のことなのに 定かでない。

映画も 内容は 面白そうだが 

ナヴィの その姿にも 若干 拒絶反応が出る。


ケータイもそうだが

どうも 人ではないものに支配される恐怖が 相当強いらしい。

テレビ 新聞 雑誌… 情報が切れるのは怖いが

見ているときは 相当 懐疑的に見ている。


息子が 初期(というのかな?)のSF映画の代表作を見たい と 言い出し

昨日は 2001年宇宙の旅 を 分からん 眠い と言いながら

それでも 最後まで 見ていた。

若かりし頃 これを理解できねばならぬ(笑) と思いながら

必死で見た 自分を 思い出す。

近々 未知との遭遇 を 見ることになるだろう。

子育ては人生を二度生きるチャンスをくれる という言葉を 思い出した。

やり直しは きかないけれど。


なんにしろ 宇宙は美しい。

そこに 闘いが繰り広げられていても 命の残骸が散らばっていたとしても

多分 美しい。


密閉恐怖症だが 乗れるものなら 宇宙船に乗って 地球を見てみたい。

そして 思いたい。

この美しい星に 私は住んでいるのだ と。

でも今は 想うだけ それで 充分。

それ以上は 望まない。

生命を与えられただけで 充分。


しかし グレイから見れば 人間は醜いんだろうなあ。


ちなみに

あばた は サンスクリッド語arbudaの音が訛った語だとか。

意味は かさぶた。

あぶだ は 寒さによって苦しめる地獄の一つで 落ちると身体に水泡ができる。

そこから 天然痘が治った後 顔に残る痕を「あばた」と呼んだと。

ふうん。 なるほどね。

確か グロテスクの語源も 窪み とかだったような気が。

調べてみよう。

エンジン全開

2009-12-25 20:31:28 | Weblog
こんなに 何もない クリスマスは はじめて(笑)。

息子と二人 ケーキもなく ツリーもなく ローストチキンもなく

普通の食事で イブを過ごしました。


関係各所から カードやクリスマスメールを頂き(ありがとうございますっ!)

ああ クリスマスだぁ みたいな。

これじゃあ 来てくれるはずのサンタさんも 来てくれない。


でも 欲しかった本を 手に入れました。

幸せです。


残り少なくなりました。

来年は 区切りの歳なので(自分で勝手にそう決めているのですが)

今から 気合を入れています。


年始 力尽きてたりして。 あは。



○○がなかった頃は

2009-12-24 10:00:08 | Weblog
少し前

「チューナーがなかった頃は どうやって 調弦していたんですか?」

と 聞かれ 問い返すと やはり

4弦とも チューナーで合わせている と 彼は言う。


チューナーがなかった頃 という 言い回しに ドキッとしてしまった。


便利になる ということは 人が持つ力を使わなくなる ということだと

常々 思っているが

ああ ヴァイオリン業界にも 波及しているなあと 再確認。

チューナーを使っている人に 罪はない。

そういうものだ と 思っているし 

そういうものだ と 売っているし

そういうものだ と 書いてあるものもあるし

そういうものだ と 教えている人もいる。


ケータイがなかった頃は どうしていたんですか?

普通に 聞かれそう。


そうそう 先週だったか なぜか ストックを切らしていて

丸一日 ラップのない時間を過ごした。

いやあ 昔の人は どうやって 残り物を 冷蔵庫に 入れていたんでしょうか?

とりあえず ホイルを ラップの代わりに 使ったんだけれど

その姿は 笑えるし ラップのありがたみを 実感。


何もない 田舎に行って 日常のことをしたら日が暮れていた

そんな生活を してみたいと 思いもするのだが

多分 誰がもたないって 私がもたないだろう。


満ち足りた生活ができていることに 感謝しつつも…。
 


そういえば 何かの雑誌に

時計がなかった頃は だからこそ 

アバウトだけれど 時間を大切にしていた と。


他人の時間どころか 自分の時間すら 大切にしない

そんな状況を よく 見掛ける。

私は ケータイの存在は大きい と 思うが

友人は ケータイのせいではないのでは と いう。

確かに ケータイが生まれ育つ その土壌がなければ 

ここまで 支配されはしないだろう。


この前も ケータイを忘れて出たら 叱られた。

なんだか 情けない。




幸せをくれる本

2009-12-22 16:24:25 | Weblog
久し振りに 本当に 久し振りに 料理の本 を 買ってしまった。

昔 一時期 料理本に はまっていたことがあって

いや なにしろ 料理本は 美しいものは 実に美しい。

デザインやレイアウト 見ているだけで 楽しくなるし

美味しそうなものを見ていると それだけでも 幸せになるし

作れば 美味しいものもできるし

私にとっては 一石三鳥的ジャンルの本。

子どもが小さいときは 作る方も 相当 はまっていたが

子どもが大きくなれば いろいろ 忙しくもなり そこそこに

子どもがいなくなれば 作っても食べてもらえないから 全然

という訳で 料理本とは しばらく疎遠になっていたのだが


きっと 年末年始 家族が揃うという気持ちが あったんだろうなと

今になって思う。


でも これが 簡単で 美味しそうなんです。 

おつまみの本 ですけど。

飲めもしないのに。


今日はなんだか とても ハッピー。

霊長目・真猿亜目・ヒト科・ヒト属・ヒト種なんです。

2009-12-20 22:37:42 | Weblog
途中からになってしまったが M1 見た!

個人的には ナイツ ハライチ を 応援してて

ノンスタイルの石田君も 好きだから 敗者復活で上がってきて 嬉しかった。

ハライチ は あきらかに 緊張していて

でも 若いから これからだよっ! ね!

しかし パンクブーブー よかった~。

なんだか 一緒に 感動してしまった。

言葉遊び 大好きだから うん 満喫。


漫才とコント 何が違うんだろう? と ふと 思い

自分の中では 漠然としたものだったから

少し 検索してみた。

漫才と 呼ばれるもの 昔と形を変えてるんだ… ふむ。

見る方は 楽しめれば なんでもいいんだけど

漫才は漫才で コントはコントで 

なんらかの 「形」がある ということは 意味があるんだ と。


いや とにかく 楽しませていただきました。


言葉 といえば


以前 ケータイの講演をして頂いた先生と 

それを主催したサークルの人たち(みんなお友だち!)と 忘年会で

す~っかり 盛り上がった中

妄想 と 空想 の 違いは なんぞや? という話に。

まあ ここでは 書けないような 論争に なったのだが(どんな?笑)

気になって 帰って 調べてみました。(やっぱり って 思ってるでしょ!)


空想=現実からかけ離れている(実行することができない)ことを想像すること。

妄想=あれこれと想像したことを事実であるかのごとくにかたく信じてしまう心的傾向

ちなみに

夢想=(現実には実現しないことを)(期待するあまり)夢の中で見ること。心の中で、夢のようなことを考えること。

「妄」だけ 調べると 節度・常軌を越えてする。むやみ。でたらめ。みだりに。

女に亡(盲=めしいる) 女性に心を惑わされ我を忘れた振る舞いをすること。


いいなあ 日本語。


漢字一つで 言葉一つで 世界が どんどん 広がる。

って これが 妄想かもっ!(笑)


あ 漫才とコントで もう一つ。

たまたま 分類学関係の本を読んでいて 

確かに 人って 分類したがるよなあ と。

これは漫才 これはコント これは… これは…

特に そういう傾向が 自分は強いから いろいろ 考えちゃいました。 

乙女座 O型 性格はヴィオラ

ぷ。


chopsticks@violin bow

2009-12-17 23:56:37 | Weblog
ちょいと 訳ありで 東京新丸ビルで リッチな食事。

楽しいお仲間と 美味しい食事で 盛り上がった。

幸せ。

で その前に 少し 時間があったので

新丸ビル 散策。 

お箸のお店 気に入ってしまった。

もっと ゆっくり見る時間があったら

絶対 買ってたなあ My箸。


バットで作った 球団ロゴ入り箸 なんて あった。

いろいろな木材のものや いろいろな塗りのものや う~ん

使わなくなった弓で トルテ箸 とか ルポー箸 とか

作ったら ダメかしら。

きゃ ごめんなさい。 ダメだよね。 はい。

でも それで 食事をしたら 上手になれるかも

食事以外のときには 右手の指の練習もできるし。

どこか メーカーさん 考えて~☆


組み合わせの妙

2009-12-16 20:40:33 | Weblog
今日 お友だちと 食事をしていて

ドリア の話になり (ドリア旋法でも ミトコンドリアでもなく)

はじめて ドリアに出会ったとき 

ご飯に クリームソースが乗っているのが 納得できなくて 

美味しいと思えなかった と 言ったら

「納得できないとダメなんだぁ」と。

そうなんです。納得できないと 食べられないんです(笑)。


同様に サラダスパゲティ サラダうどんも 

食べられるようになるまでに 時間が掛かった。

さらに 酢豚のパイナップル 鴨のローストのオレンジソース

今でも ダメなのが ツナマヨのおにぎり マヨネーズ系のおすし

あずきに牛乳 美味しいよ と 言われ

そりゃまあ あずきアイス とか あずきにバニラアイス とか

あずきに生クリーム とか あずきにホイップクリーム とか (しつこい 笑)

美味しいんだから 牛乳は 確かに あり だ。


世界に飛び出なくたって

全国津々浦々 そんな食べ方するの! という 組み合わせ あるから

これ位で 驚いていちゃ いけませんな。


久し振りに食べた あんみつが 美味しゅうございました。

普通の あんみつ でございます。

はい。


そんなことは考えなくていいよ。

2009-12-16 00:14:22 | Weblog
実は 高校まで 数学の成績は よかった。

(音大には さすがに 数学の授業はなかった…)

でも 自分の中で 

頭だけで 問題を解いているのが 分かっていて 

解けたときは 確かに スッキリするけど

心の中は なんで? どうして? という

訳の分からない 疑問で 埋め尽くされていて

分からないのに 解ける という 矛盾に

さらに 追い討ちを掛けられ

いつしか 好きだった 数学に 苦手意識を 感じるようになった。

一度 先生に 疑問をぶつけたら

「そんなことは 考えなくてもいいよ」 と言われ

さらに 悩むことになった。



昔 学校の先輩から勧められ ある宗教書(日本の宗教団体だった)を読んだ。

前半は 物理学の本かと思うくらい 理論に次ぐ理論

ところが 後半 突然 「だから信仰が必要なのだ」となる。

そこが どうしても 理解できなかった。

別に その宗教を否定する気はない。

先輩も 素敵な先輩だったし。

前半から後半へ 切り替わらない 自分に

素直さが足りないのだろうか と ちょっと 悩んだりもした。



なのに今 自分が感じていることが(していることが?) 

それに近いのが おかしい。

音楽は 愛であり 心である と。

ヴァイオリンは 大切にすれば 応えてくれる と。

宗教者のように 語ってしまっているのだが 一方で

弦の振動などについて 切々と 説いている。

思うだけでは 音にならない と。


いつも 思う。

演奏家は 本当に 不思議な仕事だ。

自分の曲を 自分で演奏している人はよい。

再生芸術 これは 実に 悩ましい。

自分で楽しむ人は まったく問題ない。

しかし 職業演奏家は どうだろう?

自分の中では 答えは出ているのだが それでいいのか?という疑問が

絶え間なく 湧き出てくる。



だから 昔のように 先生に 言って欲しいのだ。


モノを愛し モノを申す

2009-12-14 21:09:33 | Weblog
こういう感想を 持っては いけないのかもしれないが

これでまた 一つの 才能を 失ってしまったのかなぁ と。

ゴルフはまた 特に 礼儀を重んじるスポーツ ということだから

うん。 

奥様の怒りは 当然だろうし 仕方のないことなんだよね きっと。



でも… どこかで… 少し… 何か… 引っ掛かる。 


今回のことはさておいても。



作曲家も 演奏家も

昔も 今も?(笑) いろいろ 問題を抱えていた人 問題を起こした人は 多い。

もちろん それで 身を滅ぼした人もいる。


何かに秀でる ということは 何かが欠ける ということだと

最近 そう思うようになっている。


彼が 依存症だった と 聞いても 驚かない。

それが いいことだとは 思わないけれど

人は弱いし 脆い。


それを 無責任な第三者が 無責任な発言をし

それを 右向け右で 過熱報道するのは 

聞いていて 不愉快だ。


悪いことをしていれば

放っておいても いずれ 罰を受ける。
 
それが これだと?



才能を潰す 世の中になっているなぁと 昨今 思うことが多いので

敏感に なってしまう。



彼は 人を 本当の意味で 愛せなくなってしまったのかもしれない。

でも それは 彼を責める人たちだって そうじゃないとは言い切れないんじゃないか…。



テレビで 対物性愛を 取り上げていたけれど

恋愛もできない 人間関係も作れない なんて 話が 

日常的に 耳に入る 今

グレーゾーン 広過ぎるぞ と 不安になる。


恋愛面倒くさい 子ども作りたくない と 気持ちの部分だけなら まだしも

現実に 身体的に 子どもができにくくなっている 

なんて 話を 耳にすると

どうしてなのだろう? と 真剣に 考えたくもなる。


録画しておいた リーマン予想の 番組を見て

気持ちは すっかり 『博士の愛した数式』状態に なってしまった。

閉じないものは 神秘的だし

独立しているものは 美しい。

確実に 人は 進んでいる。

だけれど

じゃあ 進む って どういうことなのだろう?


物理学と 数学の 出会い。

それもまた よい。


どこかに 

今や 本は 探すものでなく 出会うものなのだ と。

この本に出会ったのだ と 思えば そこにまた 開かれる道がある。


こういった出会いに 別れはない。

人は悲しい。

だから 物を 愛するようになってしまうのだろうか。


JETSTREAM派だったのだが

今 ENERGEL に はまっている。

書き心地 最高。

お試しあれ。



遠くにありて想ふもの

2009-12-11 16:21:53 | Weblog
荻窪に 呉冷麺の店があるのだそうだ。

と 言いつつ

実は 呉冷麺の存在を 知らなかった。

弟が 呉に住んでいるのだが…。

以前 広島ラーメンって 美味しいんだって? って聞かれ

目がテンになったことがある。

広島は ラーメン文化はないと 認識していた。

どうも 中華ソバ と 呼んでいるものらしい。

うどん屋はあっても そば屋はあまりない。

おいなりさんは 三角だった。

おにぎりじゃなくて おむすびだった。

普通に お好み焼き屋さんが あった。


呉冷麺を 食べていた 呉出身の女性たちが 

呉に帰りたい と 言っていた。


さて 命果てるまで 後 何度

広島のお好み焼きを 食べられるのだろうか?

我ながら くだらないことを 書いている と 思っていたのに

少し うるうるしてきた。