「文化資本が生み出すもの=衣の文化資本」池上惇
{文化資本が生み出す有体財産(目に観える文化資本)―衣食住のうちから「衣」に関わるもの}
これまでのご説明で次のことをあきらかにしてきました。
「文化資本の本質は目に観えない無体財産であり、人間が自然や社会から学習する中で体得した‘心・智慧・技・術など職人能力’である。」と。
この貴重な職人能力は、コミュニティにおける技・文化的伝統の市民による共有を土壌として、個々人の人生における経験と学習を通じて個性的に体得されました。
この「無体財産」は、無体財産を持つ個人が「心・知・技」を働かせることによって自然の資源を生かし、他人との文化的伝統の共有・相互尊重を基礎とした‘信頼関係と協働’によって自分の身体で覚えたもの。体得した職人能力です。
この職人能力は、一つの能力ではなくて、一つの能力に、もう一つ、もう一つと、積み重ねられてゆきます。例えば、かつて、日本人の多くが身につけていましたのは、「農」についての職人能力でした。その時代から「百姓」と呼ばれたように、農民は、手仕事して家内製造業を営み、絹や綿や麻を織り、山から木を伐りだして家をつくり、天秤棒で野菜などを担いで商人となりました。他の地域に出かけては、よいものを見つけて持ち帰り、他地域の農民から、技術を学びました。まさに、重層的な構造を持った職人能力の持ち主であったわけですね。「目に観える文化資本」を産み出します。
いまでは、農民としての重層的な職人能力を持つ人々は、都市への移住が進む中で減少しましたが、現代では、都市で身につけた事業経営などの職人能力を基礎に、アイターンなどで、農村に赴き、そこで、経営能力に、農民から製造業者、商人、調理職人などの多様な能力を身につける方々が急増しています。
このように、重層的な職人能力を持つ人々のもつ、文化資本は、身体で覚えたものですから、目には見えません。が、その人々が実践する仕事や生活を通じて、生み出された創造的な成果は「目に観える文化資本」を産み出します。
前回は、衣食住に関わる「目に観える文化資本」として食文化を取り上げました。
そこでは、次のように指摘されています。
「農民は、地域固有の有機農法を継承しながら、体得された熟練・独創・技巧などを発揮して、コミュニティの智慧を集めて水を制御しつつ、よき土壌を産み出し、気候風土に合った銘柄米、地域ブランドの野菜、果樹、花卉などの多様な特産品を産み出します。
これらは、単品で見ますと、普通の商品のように消費されて消えてしまいますが、銘柄やブランド、特産品として、集合的に把握しますと、生産者と商人、顧客の信頼関係を通じて持続的に供給され常に在庫や蓄積された「集合的な商品」として三者の間で保管され、語り伝えれて次世代の消費行動にまで影響を与えます。このような「在庫・蓄積された商品の集合体」は、「目に観える文化資本」なのです。生産者は生産物が消費されても「素晴らしい味や品格のあるブランドを創りだす職人能力」は、人々に間で物語のように語り継がれてゆきます。このような物語が単品のように見える消費財を「目に観える文化資本」に変換してゆくのです*。」
*ここで示されている「食における目に観える文化資本」は、従来の、文化資本論では研究の対象外に
置かれていました。例えば、普及している、D.スロスビーの文化資本概念では、「目に観える文化資本」には、耐久消費財のように見える絵画や彫刻、工芸品などと、建築物が中心である文化財などを含みますが、食に関わるものはありません。「第一のものは‘有形’で、建物や様々な規模・単位の土地、絵画や彫刻のような芸術品、工芸品などの形で成立している。」( D. Throsby、Economics and Culture,Cambridge:Cambridge University Press,2001,(中谷武雄,後藤和子監訳『文化経済学入門 創造性の探求から都市再生まで』日本経済新聞出版社,2009年,81ページ)
「衣」の文化資本とは、どのようなものでしょうか。
{衣の文化における‘目に観える文化資本}
衣の文化の原点は、藤、麻などの繊維、蚕の繭など、自然素材から「衣」類を織物として、つくりだす職人の技です。伝統の技と文化が織りなす地域ブランドでした。
ここにも、食文化と同様に、地域ブランドとして持続的に世代を超えて継承される「衣」の‘目に観える’文化資本があります。
先日、デザイン・ユニオンの衣装デザインや伝統産地の起業や事業展開のデザインをコーディネイトしておられる方からのお薦めで「丹後の宝」展示会を訪問しました。都心の百貨店での特設会場で、丹後の「衣」と「食(酒・ワインなどを含む)」の総合的な展示と販売の場でした。運悪く、九州の食文化を集めた特売場と隣り合わせでしたが、それにもかかわらず熱意のある訪問客が多く、「本物」への関心が高まっていることを示していました。
私がご説明を、まだ、若手の職人からお伺いしたのは、貝殻を織り込んだ黒地の豪華な織物と、藤の繊維を生かした、絹とのあわせ織、麻や絹を生かしたショールなどでした。折角来たのだからと、マフラーにもなる立派な作品を頂戴しましたが、色調と言い、手触り、風合いなど、本物のよさが伝わってくる銘品揃いでした。
丹後は、海で、中国や朝鮮とつながっていて、古代から徐福が上陸して農業や織物、金属加工や造船の技術を伝えたと云われてきました。徐福は村の長にも選ばれて、いまは、神社に神として尊敬されています。
この地の伝統文化が、「衣」の技となって、現代にも継承され、優れたデザイナーの指導を得て、パリ・コレなど、世界の舞台にも一部は出品されていて、現代にも通じる国際派でした。織物は、着物などの衣料品だけでなく、多様な小物、ハンドバッグや財布、風呂敷、壁飾りなど、多様な用途に展開され、気品のある雰囲気を演出していました。
この地では、若手の職人が名人から技と文化を継承し、現代のデザインを学んで、日本と世界の生活の中に、「本物」を根付かせていること。勿論、海外からコストが安くてファッション性のあるデザインが怒涛のように流入する中で、苦戦しながらの大奮闘でした。
ここでも、職人は地域固有の伝統の技、職人技能を継承しながら、体得された熟練・独創・技巧などを発揮し、コミュニティの智慧を集めて原材料を確保し、機械織りの可能な部分は機械を導入しつつ、最も核心のところは熟達した手仕事で創意工夫を凝らし、卓越した技巧を発揮されています。丹後は、「結=ゆい」の伝統が継承され、困ったときには、互いに、助け合い、同時に、かつて、中国からの文化を受け入れたように、日本の都市やフランス、フィンランドなどの職人技やデザイン、技術を受け入れてきました。
よき風土が、異文化交流のなかで、伝統を生かす習慣を産み出して、地域ブランドを産み出しました。
これらは、単品で見ますと、普通の商品のように消費されて消えてしまいますが、銘柄やブランド、特産品として、集合的に把握しますと、生産者、デザイナーと商人・経営者、顧客の信頼関係を通じて持続的に供給されます。そして、常に在庫や蓄積された「集合的な商品」として関係者の間で保管され、語り伝えられて次世代の消費行動にまで影響を与えます。このような「在庫・蓄積された商品の集合体」は、食文化の場合と同じく、「目に観える文化資本」なのです。生産者は生産物が消費されても「かけがえのない品質・デザイン、品格のあるブランドを創りだす職人能力」は、人々に間で物語のように語り継がれてゆきます。このような物語が単品のように見える消費財を「目に観える文化資本」に変換してゆくのです*。
©Jun Ikegami
{文化資本が生み出す有体財産(目に観える文化資本)―衣食住のうちから「衣」に関わるもの}
これまでのご説明で次のことをあきらかにしてきました。
「文化資本の本質は目に観えない無体財産であり、人間が自然や社会から学習する中で体得した‘心・智慧・技・術など職人能力’である。」と。
この貴重な職人能力は、コミュニティにおける技・文化的伝統の市民による共有を土壌として、個々人の人生における経験と学習を通じて個性的に体得されました。
この「無体財産」は、無体財産を持つ個人が「心・知・技」を働かせることによって自然の資源を生かし、他人との文化的伝統の共有・相互尊重を基礎とした‘信頼関係と協働’によって自分の身体で覚えたもの。体得した職人能力です。
この職人能力は、一つの能力ではなくて、一つの能力に、もう一つ、もう一つと、積み重ねられてゆきます。例えば、かつて、日本人の多くが身につけていましたのは、「農」についての職人能力でした。その時代から「百姓」と呼ばれたように、農民は、手仕事して家内製造業を営み、絹や綿や麻を織り、山から木を伐りだして家をつくり、天秤棒で野菜などを担いで商人となりました。他の地域に出かけては、よいものを見つけて持ち帰り、他地域の農民から、技術を学びました。まさに、重層的な構造を持った職人能力の持ち主であったわけですね。「目に観える文化資本」を産み出します。
いまでは、農民としての重層的な職人能力を持つ人々は、都市への移住が進む中で減少しましたが、現代では、都市で身につけた事業経営などの職人能力を基礎に、アイターンなどで、農村に赴き、そこで、経営能力に、農民から製造業者、商人、調理職人などの多様な能力を身につける方々が急増しています。
このように、重層的な職人能力を持つ人々のもつ、文化資本は、身体で覚えたものですから、目には見えません。が、その人々が実践する仕事や生活を通じて、生み出された創造的な成果は「目に観える文化資本」を産み出します。
前回は、衣食住に関わる「目に観える文化資本」として食文化を取り上げました。
そこでは、次のように指摘されています。
「農民は、地域固有の有機農法を継承しながら、体得された熟練・独創・技巧などを発揮して、コミュニティの智慧を集めて水を制御しつつ、よき土壌を産み出し、気候風土に合った銘柄米、地域ブランドの野菜、果樹、花卉などの多様な特産品を産み出します。
これらは、単品で見ますと、普通の商品のように消費されて消えてしまいますが、銘柄やブランド、特産品として、集合的に把握しますと、生産者と商人、顧客の信頼関係を通じて持続的に供給され常に在庫や蓄積された「集合的な商品」として三者の間で保管され、語り伝えれて次世代の消費行動にまで影響を与えます。このような「在庫・蓄積された商品の集合体」は、「目に観える文化資本」なのです。生産者は生産物が消費されても「素晴らしい味や品格のあるブランドを創りだす職人能力」は、人々に間で物語のように語り継がれてゆきます。このような物語が単品のように見える消費財を「目に観える文化資本」に変換してゆくのです*。」
*ここで示されている「食における目に観える文化資本」は、従来の、文化資本論では研究の対象外に
置かれていました。例えば、普及している、D.スロスビーの文化資本概念では、「目に観える文化資本」には、耐久消費財のように見える絵画や彫刻、工芸品などと、建築物が中心である文化財などを含みますが、食に関わるものはありません。「第一のものは‘有形’で、建物や様々な規模・単位の土地、絵画や彫刻のような芸術品、工芸品などの形で成立している。」( D. Throsby、Economics and Culture,Cambridge:Cambridge University Press,2001,(中谷武雄,後藤和子監訳『文化経済学入門 創造性の探求から都市再生まで』日本経済新聞出版社,2009年,81ページ)
「衣」の文化資本とは、どのようなものでしょうか。
{衣の文化における‘目に観える文化資本}
衣の文化の原点は、藤、麻などの繊維、蚕の繭など、自然素材から「衣」類を織物として、つくりだす職人の技です。伝統の技と文化が織りなす地域ブランドでした。
ここにも、食文化と同様に、地域ブランドとして持続的に世代を超えて継承される「衣」の‘目に観える’文化資本があります。
先日、デザイン・ユニオンの衣装デザインや伝統産地の起業や事業展開のデザインをコーディネイトしておられる方からのお薦めで「丹後の宝」展示会を訪問しました。都心の百貨店での特設会場で、丹後の「衣」と「食(酒・ワインなどを含む)」の総合的な展示と販売の場でした。運悪く、九州の食文化を集めた特売場と隣り合わせでしたが、それにもかかわらず熱意のある訪問客が多く、「本物」への関心が高まっていることを示していました。
私がご説明を、まだ、若手の職人からお伺いしたのは、貝殻を織り込んだ黒地の豪華な織物と、藤の繊維を生かした、絹とのあわせ織、麻や絹を生かしたショールなどでした。折角来たのだからと、マフラーにもなる立派な作品を頂戴しましたが、色調と言い、手触り、風合いなど、本物のよさが伝わってくる銘品揃いでした。
丹後は、海で、中国や朝鮮とつながっていて、古代から徐福が上陸して農業や織物、金属加工や造船の技術を伝えたと云われてきました。徐福は村の長にも選ばれて、いまは、神社に神として尊敬されています。
この地の伝統文化が、「衣」の技となって、現代にも継承され、優れたデザイナーの指導を得て、パリ・コレなど、世界の舞台にも一部は出品されていて、現代にも通じる国際派でした。織物は、着物などの衣料品だけでなく、多様な小物、ハンドバッグや財布、風呂敷、壁飾りなど、多様な用途に展開され、気品のある雰囲気を演出していました。
この地では、若手の職人が名人から技と文化を継承し、現代のデザインを学んで、日本と世界の生活の中に、「本物」を根付かせていること。勿論、海外からコストが安くてファッション性のあるデザインが怒涛のように流入する中で、苦戦しながらの大奮闘でした。
ここでも、職人は地域固有の伝統の技、職人技能を継承しながら、体得された熟練・独創・技巧などを発揮し、コミュニティの智慧を集めて原材料を確保し、機械織りの可能な部分は機械を導入しつつ、最も核心のところは熟達した手仕事で創意工夫を凝らし、卓越した技巧を発揮されています。丹後は、「結=ゆい」の伝統が継承され、困ったときには、互いに、助け合い、同時に、かつて、中国からの文化を受け入れたように、日本の都市やフランス、フィンランドなどの職人技やデザイン、技術を受け入れてきました。
よき風土が、異文化交流のなかで、伝統を生かす習慣を産み出して、地域ブランドを産み出しました。
これらは、単品で見ますと、普通の商品のように消費されて消えてしまいますが、銘柄やブランド、特産品として、集合的に把握しますと、生産者、デザイナーと商人・経営者、顧客の信頼関係を通じて持続的に供給されます。そして、常に在庫や蓄積された「集合的な商品」として関係者の間で保管され、語り伝えられて次世代の消費行動にまで影響を与えます。このような「在庫・蓄積された商品の集合体」は、食文化の場合と同じく、「目に観える文化資本」なのです。生産者は生産物が消費されても「かけがえのない品質・デザイン、品格のあるブランドを創りだす職人能力」は、人々に間で物語のように語り継がれてゆきます。このような物語が単品のように見える消費財を「目に観える文化資本」に変換してゆくのです*。
©Jun Ikegami