平成30年1月10日(水)
お早うございます。
”今日は何の日 5代将軍・徳川綱吉が没”
宝永6年1月10日(1709年2月19日)、徳川綱吉が没しました。徳川5代将軍で学問好きながら、「犬公方」のあだ名でも知られます。
綱吉は正保3年、3代将軍家光の4男として江戸城内に生まれました。幼名、徳松。母親の玉の方(桂昌院)は一説に、京都の西陣織屋の娘とも、八百屋の娘であったともいわれます。慶安4年(1651)、綱吉6歳の時に父・家光が没し、長兄の家綱が4代将軍となりました。次兄は甲府宰相となる綱重です。同年、綱吉は15万石を拝領し、家臣団をつけられました。 生前、父親の家光は綱吉について、「この子は衆に優れて利巧であるが、その才が禍ともなる。兄たちに礼を失して憎しみを受けてはいけない。謙遜を旨とするよう」と子育てにあたる人々に常々語ったといいます。
さて今日は1月13日、蒲郡公民館2F多目的ホールで午後1時30分より開催されます、平成30年 まちづくりびと賀詞交歓会を紹介いたします。
今回は、NPO法人岡崎まち育てセンター・りたの三矢勝司 氏を迎え、岡崎市を舞台に子育て世代や若者、高齢者といった多様な世代の方々と、一緒に協働してまちづくりをされている事例紹介を伺います。
無理なく楽しくまちの未来を育む方法について、それぞれの分野で活躍されている市民活動団体・地域づくりに取り組まれている多くの“まちづくりびと"の皆さんと一緒に、考える機会を設けさせて頂きます。
お早うございます。
”今日は何の日 5代将軍・徳川綱吉が没”
宝永6年1月10日(1709年2月19日)、徳川綱吉が没しました。徳川5代将軍で学問好きながら、「犬公方」のあだ名でも知られます。
綱吉は正保3年、3代将軍家光の4男として江戸城内に生まれました。幼名、徳松。母親の玉の方(桂昌院)は一説に、京都の西陣織屋の娘とも、八百屋の娘であったともいわれます。慶安4年(1651)、綱吉6歳の時に父・家光が没し、長兄の家綱が4代将軍となりました。次兄は甲府宰相となる綱重です。同年、綱吉は15万石を拝領し、家臣団をつけられました。 生前、父親の家光は綱吉について、「この子は衆に優れて利巧であるが、その才が禍ともなる。兄たちに礼を失して憎しみを受けてはいけない。謙遜を旨とするよう」と子育てにあたる人々に常々語ったといいます。
さて今日は1月13日、蒲郡公民館2F多目的ホールで午後1時30分より開催されます、平成30年 まちづくりびと賀詞交歓会を紹介いたします。
今回は、NPO法人岡崎まち育てセンター・りたの三矢勝司 氏を迎え、岡崎市を舞台に子育て世代や若者、高齢者といった多様な世代の方々と、一緒に協働してまちづくりをされている事例紹介を伺います。
無理なく楽しくまちの未来を育む方法について、それぞれの分野で活躍されている市民活動団体・地域づくりに取り組まれている多くの“まちづくりびと"の皆さんと一緒に、考える機会を設けさせて頂きます。