常熟にて

常熟で働く日本人。常熟生活を綴ります。

ガラス越しの中国常熟

2014年02月19日 10時52分23秒 | 日記

常熟の日系企業と言えば、かつては名前を言っても誰も知らないような中小企業が比較的多かったのだが、今や超一流どころも多くなり実にバラエティーに富んでいる。一流企業ともなれば、社長とまではいかずとも重役級のお偉い方々が工場視察などと称してやってくる機会も多いと聞く。現地赴任者の健康管理などの目的で人事部や組合の視察を受けることもあるらしい。要は日常業務に直接関与しない人々の訪問を受ける。

 そのような"お客様"は浦東なり紅橋なりの国際空港に降り立ち、ひとたび空港外に出ると、当然のことのようにA4の紙に社名を大書した出迎えの者がおり、見れば即外資系企業のものとわかるワゴン車に乗せられ、常熟市内の皇冠(クラウンプラザ)なり天銘、シェラトンなどというホテルまで案内される。ホテルには当然のように高価な日本食レストランがあり、割安(日本に比べればの話であるが)の中国式マッサージなども体験できる。

 翌日いざ工場へ出勤ということになれば、当然ホテル玄関には例のワゴン車が出迎え、会社へ着くと日本人及び日本語の堪能な中国人幹部との打ち合わせという段取りである。夜はこれまた市内の日本料理屋か、せっかく中国に来たのだからと食される中華料理も一般人の行きそうもない高級店が選ばれる。そのような日々が続き、来た時と同じ経路で空港へ。無事空港でのチェックインを見届けた現地赴任者がほっと胸をなでおろすのも何度繰り返された情景か。

要は、せっかく現地の状況を視察に来ていただいても、すべての行程を硬くガードされた隔壁の向こう側から体験することになる。これでは視察の意味はない。臨場感のある映画を見たようなものだなどと言えば極端かもしれないが、サファリパークを鉄格子のついたジープで一周したぐらいといっても決して誇張ではないのである。

生の中国を、生の常熟を見てくださいなどと言うつもりは毛頭ない。そんなことは不可能であるからだ。ただサファリパークへ行って大自然を目の当たりにしたと言う人はいないと同様、ガラス越しに常熟を眺めたからと言って駐在員生活を、現地子会社の実態を把握したなどと思うのは賢明ではないと思うだけである。常熟赴任者の勝手な暴言である。軽く読み飛ばしていただくことを希望する。

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常熟市張橋にて

2014年02月10日 14時25分06秒 | 日記

博物館、美術館の類には足しげく通う方だが、残念なことに世に名高い名画や価値の高い古代の宝物などを見る眼というものがない。むしろ例えば紀元前何千年前の幼児用玩具などと記載のある、薄汚れた小さな石ころを飽きもせずじっと眺めていたりする。おもちゃと言う以上、これを大切に持って遊んだ幼児が確実にいたはずだ。その石ころを持って遊ぶ幼児のその姿を思い浮かべる。

その子は地球上で確実にその時代を生き、今や完全に分解して有機物のほんの一部は他の生物の極少成分として再生され、他は自然界の構成成分として非生物のまま存在し広く拡散している。骨など無機物はおそらく風化後主として土壌成分となり長くその地に留まっている。それは100%確実にそうなのである。少し異常な発想と自分でも思うが、そのようなことに思いを馳せながら過去の人間たちの持ち物を見ていると、人間のはかなさのようなものを実感することができる。

常熟の外れ、無錫までほどない張橋(张桥)という村に“平墅橋”という橋がある。明代の橋で“雷尊殿橋”ともいう。知った風に書いているが、たまたま張橋なる農村に行くことがあり、そしてたまたまその地で何か有名なものはないかと問うたところ案内を受けたに過ぎない。橋の下側に明代1522年8月建設。1621年7月朱氏により再建、1644年3月再建、1704年8月平氏他により再建と刻まれていることで明代のものとわかり、2009年5月に常熟市重要保護文化遺跡として登録、とある。

おそらくこの橋を日本語で紹介するのはこの文が本邦初に違いない。だからどうということではない。これ以後もこの橋が話題になることはないに違いない。常熟市はもちろん江南地方に見飽きるほどある何の変哲もない橋の一つである。

張潮河という細い川にかかる平墅橋。いまも中国の農村の風情を残す常熟市張橋にあって、この橋はこの地で暮らす人々の生活のために五百年に渡ってこの地で生きながらえている。この橋を重い荷物を持って毎日のように歩いた人もいるだろう。この橋を渡って恋人に会いに通った娘さんもいたかもしれない。この橋を渡り苦渋の思いで故郷を後にした人もいたに違いない。そういうことに思いを馳せながら、はるか海を越えておそらく天文学的な小さな確率の積み重ねの結果、この場所にじっと立つ自分がいることの奇跡。そんなことを考える。人間に対する限りないやさしさのようなものがこみ上げてくるのは、そんな時である。

 

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