1995年に取材した記事の1ページ(上海駅で撮影)
上海の自宅で増えすぎた物を少しずつ整理し必要のない物をバッサリと捨てているのだが一向に進まず。細かいカメラ用のパーツや本なども含め物が多すぎるのだ。そして、もう一つ整理が進まない理由に、昔の雑誌や本を発掘し読んでしまう事。
その中で見つかったのが、私が1995年の1月に初めて上海に取材で来た時の特集約30ページの記事が懐かしく読み返してしまった。この取材は、東京から編集長・編集者・ライター・イラストレーター・そして、写真担当の私の計5人で上海の日系企業を取材、時期は阪神大震災のすぐ後。私にとっては、その後の人生を変えた取材で、この取材で上海に来なかったら今私は上海に住んでない。
その特集の記事のタイトルだけちょっと並べてみた。1995年の話である。
- 毎年30%の昇給が続くインフレ経済
- 「自由な風土」イメージ0%の日系企業 (現地社員から見た話)
- 「仕事がきつく管理が厳しい」のキツイ評価 (現地社員から見た話)
- どうして仕事中に冗談を言わないの? (現地社員から見た話)
- 「真面目」が度を越す日本人 (現地社員から見た話)
- 「忙しいフリ」をしなければならない日系企業 (現地社員から見た話)
- 誰だって経営者になりたいに決っている (現地社員から見た話)
- 「差をつける、根拠をはっきりさせる」(現地日系の日本人社長の話)
- 基準を明確にする。待遇に徹底して反映させる (現地日系の日本人社長の話)
- 方針のみ定め後は任せる (現地日系の日本人社長の話)
- 中国の実情を本社はわかってない (現地日系の日本人社長の話)
- 中国に来たがらない人事部 (現地日系の日本人社長の話)
- 現地の弁当を食べない役員たち (現地日系の日本人社長の話)
- 「あいまいな日本」の組織に、今明快さが求められている (編集部の話)
上記がおもな小見出しやタイトルとして使われているのだが、もしかしたら21年前から日系企業は今も大陸でまったく進歩してないと思えるような言葉がすらりと並んでいるではないか。すべての大陸の日系企業がそうだとは思わないが、現地トップの日本人に経営者感覚が欠落していて自分で会社を経営している訳でなく、単なるサラリーマンの延長だからかな。つまり、波風立てず無難に任期を全うするってヤツね。
☆私も来月は世間でクソジジイと言われる歳に突入するので、60歳を節目にもう一度童貞のような気分で、再度思春期を迎える努力をしようと思っている。(これは気持ちね、もう童貞にもどれないから) ニキビ出るかなぁ。