日中の過去知り変化 反日デモに反発の高校生
今日まで三重県で行われていた日教組教育研究全国集会。
それに関連してこんな記事が共同通信からリリースされました。
内容は、昨年中国で起こった反日デモを見て中国はおかしいという高校生に、関東地方の50代の男性教諭が近代史を教え、犠牲になった住民の遺骨を残す中国の記念館を見た体験を話し、南京事件の生き残りの中国人証言などを特集したテレビ番組のビデオも見せたというもの。
まずこの記事の問題は、この50代の男性教諭の「教育」の結果、高校生たちがどうなったかという結果が報道されていないことです。
変わったのか、変わっていないのか、中国がおかしいと思う高校生の数が増えたのか減ったのか、記事には重要な部分が欠落しています。
そしてこの教師の問題は、あの反日デモを見て中国をおかしいという声に対して、過去を知らないまま反発する若者たちと結論付けている点。
言葉を変えれば、60年前の被害者は現在どんな加害をしても許されるという教育をしているともいえます。
悪いことを悪いと何故教えないのでしょうか。
例え被害者だとしても(反日デモの参加者が被害者かという議論は別にして)、それが加害を肯定するとは到底言えません。
本当に歴史を教育すればその高校生たちの考えを変えられると思う教師が存在するんでしょうか。
加害を肯定する教師が存在するんでしょうか。
私には信じられません。
歴史認識に関していえば私はそこまで深く追求しません。
その資料の真贋論争の泥試合になることもしばしばですし、歴史の認識方法は世代や時代によって大きく変わります。
歴史は様々な人間が介在するものですから、多義的な認識方法があってしかるべきです。
しかし、自分の歴史認識を強調するためにニセモノの資料や嘘で教育するということがあってはもちろんいけませんが。
私は小学校が公立学校で、中高と私立学校に通っていました。
そして小学校では塾に通っていたため、授業を全く聞かなくてもわかったため特に聞いていませんでした。
また中高でも日教組の影響が皆無の私立学校だったため、ごくごく普通の歴史教育を受けることができました。
そのせいか、日教組などの言っていることには同調できません。
最初に疑問に思ったのは1995年の従軍慰安婦問題。
その当時は日本はやったんだろうなと思っていましたが、それでも戦後結ばれた2つの条約のため、このような賠償問題は解決済みであるので、日本政府を訴えることなどできないはずなのに何故訴えるのか、と思っていました。
その問題を調べていくうちに、日本はそこまで卑下されなくてもよいのではないか、中国や韓国の要求は世界的に見ても過剰ではないかと思うようになって行きました。
今では、過去は過去としておき、現在は過去にとらわれることなく堂々と中韓と付き合っていけばよいと思っています。
戦後60年がたち、世代も大きく変わっているのにいつまでも過去のことにこだわるのは建設的ではありません。
世界的に大きな位置を占める中国の存在は無視できません。
しかし、中国に頭を下げ続ける必要もありません。
普通に接していけばいいんです。