韓国通

韓国ビジネスやNPO団体の交流などに役に立てればと思っています。

出版_韓日文化

2013-08-18 | 韓国事情
韓国では少しだけでも日本をほめてはいけない雰囲気が蔓延しています。例え、それが客観性を保つべきの研究であっても日本をほめては絶対にだめなのです。このような社会雰囲気というのは日本で天皇を批判してはいけないようなものとよく似ていると思われます。言って見れば、神聖不可侵のようなものだとでも言えましょう。
こんな社会の中から日本に対して、冷静的にわれ等の問題もあるよっていうような本が出版されたとの記事がありました。関連する記事を読んでみるとタイトルに韓国社会では面白いと思えるくらいのモノがありました。それは“韓日共に歴史のコンプレックスから抜け出さないと”とか、“韓日両国から飛んでくる毒矢に打たれる腹構えで書いた”などがありました。この中から、本人とのインタビューが中心になっているものを探ることにより著者は何を考えているのかを探検することにしました。ファイネンシャルニュース社から2013年7月24日づけの、“韓日両国から飛んでくる毒矢に打たれる腹構えで書いた”とのタイトルの記事もあったことを紹介して置きます。
著者であるYOU,HongJunさんは韓国政府で文化財庁長官を務めてた人だったし、学生時代には民主化活動で逮捕され、受刑生活も送った経験の持ち主だし、個人的には私と同じ高校出身なのです。彼の昔の著書も読んでました。そんなわけで彼の新作に興味があるのは自然的な流れで、まだ、新作を手には入れてないものの確かに興味はあります。

それでは、著者は何を考えてこの本を出すことにしたのかを探ってみましょう。


YOU,HongJun“韓日共に歴史のコンプレックスから抜け出さないと”
韓国、日本の両国の読者を意識しながら執筆した
日本を理解するのに良いガイドになれればと思う


YOU,HongJun教授が『俺の文化遺産踏査記』日本編を出した。1993年に第一巻を出してから今年で20周年を迎えているYOU,HongJun教授は初めて海外踏査記を執筆し、‘日本’の九州と飛鳥と奈良を見回ってみた。これからは京都、大阪、対馬編も書く予定だ。

YOU,HongJun明知大学美術史学科教授が始めて海外踏査記を出しながら選択した国は韓国とは近くて遠い国、日本だった。去年、日本の九州を踏査している中に柳教授は偶然に修学旅行に来ていた韓国の高校生たちと出合った。そこで、韓国で日本の歴史と文化に対する情報が不足している事実に目を覚ました。以前から日本を数回も訪問していた柳教授は日本の歴史遺跡を紹介して見ようという気持で『俺の文化遺産踏査記、日本編』を執筆するようになった。最初は1巻ほどを計画していたが、今年の始め頃、日本の保守化を見て日本の風土と歴史まで探ってみる事に決めた。



東アジアの文化を主導したいのなら、リーダとしての徳を備えるべき

さる、7月24日開かれた『俺の文化遺産踏査記、日本編』出版記者懇談会で柳教授は“韓日、両国から飛んでくるであろう毒矢を吹き飛ばしてしまえるくらいの覚悟で書いた。東アジアの共存と共生関係を回復させるためには誰かが立ち向かわないといけない”と話した。柳教授は日本の文化遺産を見回るくらいの事ではなく、韓日間の歴史的な関係と韓半島や到来人が日本文化に与えた影響などを細かく書いた。柳教授は“日本は古代史コンプレックスのために歴史を歪曲し、韓国は近代史コンプレックスのために日本文化を無視している。私たちの歴史を東アジアの歴史という側面から理解し、解釈すべきである。韓国も日本も東アジア文化史では堂々たるそれぞれの持分を持っている文化的な株主の国家である事を分かって欲しい”と話した。

柳教授は『俺の文化遺産踏査記、日本編』 1巻、九州篇で‘日本の風土と古代史の話’を韓国歴史と関連して執筆した。殆どの韓国人が日本歴史を勉強していないため、古代に韓日間で行われた旺盛な文化交流を知らないからだ。柳教授は“文明の光を日本に伝えたのはわれわれの自慢できる事だが、日本の古代文化をすべて韓国から創って上げだわけでもない。渡来人が作った日本文化はそのまま日本文化”だと言いながら、“日本人は古代史においては韓半島にお世話になっている事はそのまま認めて欲しい。 『日本書紀』と近代の皇国史観から生まれる歴史の歪曲を認めて欲しい”と話した。

“日本は昔でも、今でも、島の外へと出て世界の中で生きて生きることに不慣れであります。日本列島の中では天皇である事を自負していますが、本当に東アジアの文化を主導して行きたいと思うのであればリーダとしての徳を備える事が大事です。”

柳教授は韓日の文明交流史を客観的な視線で見ている日本人学者も多いが、彼らさえも歴史的な実像をそのまま受け入れてというより、一回、屈折させて叙述する事が多いと話した。韓半島から受けた影響を、必ず、‘韓半島を渡って’大陸文化が入ったと叙述する事、一方、日本の歴史歪曲が韓国人には逆効果として生じ、日本文化に対しては完全に無視するか、言及さえもしないような傾向が発生している。柳教授は“日本の文化が独自的なアイデンティティを持って、東アジアの一員として成長している事実を韓国人は素直に認めるべきだ”と話した。



日本を理解する上で良い案内書になれる事を期待している

『俺の文化遺産踏査記、日本編』 1巻‘光は韓半島から’は九州地域を踏査しながら、日本古代史と関連している遺跡を顧みて、私たちの先祖の足跡を確認した。青銅器時代の住居地である吉野ヶ里、文禄の役の時に朝鮮侵略基地であった肥前名古屋城、朝鮮の粉青沙器が日本化された唐津焼の跡地などを見回った。柳教授は唐津焼きの活力溢れる作品を観ては惜しい気持ちと恥ずかしい気持ちを同時に告白している。日本は私たちの陶器技術を持って行って、世界のマーケットを制覇して陶器王国として発展したが、われわれは高麗青磁と朝鮮白磁、朝鮮粉青沙器の優秀性だけを主張するだけで、生活の中で楽しむ事もないし、無関心で見過ごしている。柳教授は“朝鮮陶器の価値は日本人たちがいち早く知って、生活の中でそれを楽しめているが、我らは固有の技術だけを持っているだけで活用する方法を知らなかった。反省の対象はわれらにある”と話した。

2巻‘飛鳥の野原には百済の花が咲いています’は飛鳥、奈良地域の古いお寺を見回りながら、日本の仏教文化を花咲かせた渡来人たちの足跡を追ってみた。5世紀の伽耶人たちが陶器文化を伝播した痕跡が確然とした‘到来人の故郷’飛鳥、百済の建築技術を見せている‘日本古代文化の華と言える’法隆寺、薬事寺の東塔、興福寺の仏像、東大寺の大仏など韓半島の渡来人たちが残した文化的な結果物と共に日本文化の独自的な姿も探ってみた。

柳教授は日本篇の刊行の前に、日本古代史を初め、日本文学史、日本美術史、韓日交流史を専攻した6人の専門家たちに歴史的な事実と日本語表記などを監修をしてもらった。『俺の文化遺産踏査記、日本編』 1,2巻は日本語に翻訳して日本で出版する予定になっている。3巻、京都篇(京都の古刹巡礼)と、4巻、大阪、対馬篇(朝鮮通信使の道)の執筆を計画している。

柳教授は“1988年、韓国国際交流財団の海外韓国文化財調査ティームの一員として日本の飛鳥を始めて訪れた時が思い出した。当時、自転車レンタル店‘夢を売るお家’で自転車を借りて飛鳥の野原を走りながら、‘我らに日本はなんなのか?’という自分への質問を投げかけて、何時かは必ず、日本の歴史を書こうと自分に言い聞かせた。最近、10年間毎年2週間ほどは日本を訪問している中で、撮影したスライドだけでも数千枚に及んでいる。韓国と日本の両国の読者を念頭に入れて本を書いているが、『俺の文化遺産踏査記、日本編』が日本を理解する上で良い案内書に成れればと思っている”と話した。

柳さんの今までの学問的成果や度量や文章から考えると今回の本もきっと良い物に違いないとは思います。タイトルも彼らしいですし、内容も彼なりのいい構成になっていると思われます。
近いうちにこれを読んでみたいと思っています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿