熊野の意味
クマ=古語でカミ…神のいます所
クマ=こもる…樹木が鬱蒼と隠れなす所、神が隠れる所、死者の霊魂が隠れる所
などなど。
と言うことで大和地方の人々は熊野を死者の国に近しい場所と考え
そのイメージで後に浄土信仰が盛んになった時に
熊野はやはり死者の国である「浄土」と結び付けられたようです。
神仏習合(本地垂迹説=仏や菩薩がもともとの本体であり人々を救うために神の姿にとって現れるという考え方)や
浄土信仰の隆盛により
本宮は阿弥陀如来の西方極楽浄土
新宮は薬師如来の東方浄瑠璃浄土
那智は千手観音の南方補陀落浄土であると考えられ
熊野全体として現世にある浄土の地とみなされるようになりました。
そして院政期上皇や女院による熊野御幸が盛んになり熊野は
浄土信仰の日本第一の大霊験所としての地位を確立しました。
武士の世になると武士や庶民による熊野詣が盛んになり
「蟻の熊野詣」と言われるほど大勢の人々が列をなして熊野を詣でるようになりました。
熊野詣の案内人は先達と呼ばれる修験者たちで
道中様々な作法を守りながら今で言う「熊野古道」を歩いたそうです。
精進潔斎をして黙々と歩く。
昔の人々は並々ならぬ決意で熊野詣をしたことでしょう。
江戸時代熊野三山は紀州藩の宗教政策により神道化され
さらに明治の神仏分離令により仏教と渾然一体となっていた熊野信仰は
国家の神道政策により大きなダメージを受け
熊野詣は廃れていったという歴史背景があります。
(み熊野ネット 熊野入門より)
これらのことに思いをはせると
初日の雨は師匠の言うように
洗礼の雨 禊の雨
そして旅の厳しさを味あわせていただいた恵みの雨かも知れません
全行程を歩いた先人の苦労には及びませんが
せめて歴史を学ぶことで先人の心に触れ
今の時代に生きていることに感謝したいです。
私は合気道をすることで自然と神道に触れることになり
それをきっかけに拙いけど少しずつ勉強するようになりました。
神道のイメージは国家神道政策で戦争と一体になってしまい
あまり良いものではありません。
仏教も明治時代に廃仏毀釈により力を落としてしまいました。
これらのことで日本人は宗教アレルギーになってしまいました。
語ってはいけないことのように。
本当にそうでしょうか。
私は宗教が大事だとは思っていません。
美輪明宏さんが言うように
神仏を「信じ仰ぐ」気持ちが必要なんだと思っています。
だから神仏のイメージは各人が作ったらいいんだと思います。
そのために神社やお寺に行って雰囲気を感じたり空気を吸ったり
肌で感じることが素晴らしいんです。
それが出来る旅にしたいなあと思っていましたが
願いはかなったようです。 ・・・つづく