太極の家

太極拳から入る、東アジア精神文化の探求

鄒氏と奇瑞(超能力) 更に続き

2014-06-08 21:11:32 | ホームページ
筆者が鄒氏に知り合った頃、氏はスーフィーの行者に熱心に帰依していたが、その行者が説教の為に部屋に入ってくると、あらゆる種類の花の香りが満ち溢れるのだと語っていたのを良く覚えている。 筆者は、その手のいわゆる奇瑞は、平安時代の絵巻物の類いに描かれているだけで現実には無いものだと思っていたが、鄒氏の考えでは、そのような奇瑞を現せるからこそ信用できるのであって、言葉だけでは何でも言えるのだから直ちに信用するわけには行かぬ、というのであった。 その後禅宗のH師(当時唯一の伝人と思われていた)に会った時にその話をすると、H師も奇瑞というものがあることを否定はしなかったが、奇瑞を現せないから本物で無いとはいえまい、とのお説であった。 しかしながら、仮に存在するとしても、我々としてはそれをどのように考えたらよいのであろうか。 この点でも、化学者タイムニ氏のヨーガ・スートラ解説は大変参考になると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鄒氏と奇瑞(超能力) 続き

2014-06-08 21:09:10 | ホームページ
氏が黄性賢大師に入門して間もない70年代初頭、黄先生が上体をぐるぐる回すと、周囲に強い風が巻き起こったとのことである。 同様のことはケリー氏も証言していて、水を張った洗面器のうえで大先生が手をぐるぐる回すと、水も一緒にぐるぐると回ったということを「無窮の道」の中に書いておられる。 そして、それから20年たったころ、同じように水を張った洗面器であるものを見せてくれたが、それはどうにも人知では説明のつかないことであったと、やはり同じ著書の中で述懐しておられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鄒氏と奇瑞(超能力)

2014-06-08 20:35:46 | ホームページ
氏にはじめて会った頃、阿弥陀如来に会う、という話を度々されるので、驚いたものである。 だんだん聞いてみると、瞑想中に現れる光のことらしいのであった。 そういえば、五色の光のことが仏典に出てくるということを、宮沢賢治がどこかで書いていたのを思い出した。 鄒氏の言によれば、白い光が阿弥陀如来なのだそうだ。 あるとき、一緒に箱根に滞在した事があった。 宿の窓からカワセミが見えたので、隣室の氏を呼ぶと、ちょっと見ただけで大急ぎで自室に戻ってしまったのである。 後でそのことを尋ねると、瞑想中にまたも阿弥陀如来が光臨していたとのこと。 筆者に気を遣って、大切な瞑想を中断して出てきてくれたと知って、申し訳なく思った次第である。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鄒氏と般若心経

2014-06-01 18:53:46 | ホームページ
氏と知り合って間もない頃、般若心経は歌うものだといわれ、びっくりした事がある。その後だいぶ経ってから、一緒に秩父の札所を巡ったことがあった。 或るお寺に着くと、ちょうど年配の婦人方の一団が到着したところで、あたりはごった返していたが、やがてその一団が山門の前で般若心経を唱え始めた。 ふと気がつくと、鄒氏が彼らの後ろのほうで一緒に唱えているのである。 そして、最後のギャテーギャテーのところを、独特の節をつけて歌ったのである。 これにはご婦人方も大喜びで、氏に向かって口々に感謝の言葉を述べたのであった。 このとき鄒氏が彼らに向けた笑顔は忘れがたいもので、氏はやはり道の人であると確信した。 今に至るまで交際が続いている理由の一つである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする