太極の家

太極拳から入る、東アジア精神文化の探求

やはり、トーインさんは、大した人だなあ

2013-11-19 17:43:42 | 日記
憂きことの、なほこの上に積もれかし、限りある身のまこと試さん。

大燈国師の、乞食行の最中に詠まれた歌だそうです。インド人化学者T氏の解説するヨーガの奥義と、全く同じ覚悟が示されています。

同じ本より: 
       良い師家は、学人に悟りを急がせない。 学人も、もはや悟ろうなどとは思わず、ただ毎日の坐禅を勤めるようになる。 これが理想なのだ、と。

やはり、トーインさんは、大した人だなあ。
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黄性賢の変化に就いて

2013-10-06 13:10:28 | 日記
ケリー氏の自伝的著書「無窮の道」によると、黄性賢が本当に太極拳を理解するようになったのは65歳をすぎてからだということである。 簡単に言うと、それまでの水平面上の円運動を主体とする伝統的な動きから、垂直面の円運動を主眼とするものへと変化したのである。 黄性賢は、初め東南アジアに移住した時、生活のためもあって、大都市で大勢の弟子を取っていたのだが、やがてボルネオに移り、自然に囲まれた静かな環境で内面を深めるようになった。 それに伴って前述の変化が生じたのだというのが、ケリー氏の意見である。実際、その後しばらくして、黄性賢はケリー氏に対し、今後は太極拳ではなく、太極そのものを教えたいと、星空を指差しながら言ったということである。 著書では、多くのお弟子達が、黄性賢の上述の変化に気付かず、あるいは無視して、古い方法に固執していると言う嘆きが延々と綴られている。 そして、太極拳にもし秘密があるとすれば、それは練習方法以外にない、と強調している。
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このブログの趣旨

2013-04-21 20:19:13 | 日記
アストラル体の話が途中ですが、ここで当ブログの趣旨をもう一度確認させていただきたいと思います。

顧問の鄒氏から、この世界でナンバーワンの人物として紹介された荘氏とのお付き合いも7年くらいになりました。その間、荘氏から勧められた膨大な分量のヒンドゥーに関する文献を読んでまいりましたが、それは全く驚くべき体験でした。 話の内容としては、日本の仏教者の説くところと殆ど同じなのですが、要するに親切さの度合いが違うのです。

一例を挙げると、日本の禅宗で最高の水準にあると思われる師家でも、たとえば家族をなくして悲嘆に暮れている人に対して、適切な慰めの言葉をかけられない事があります。 また、目の前にいる学人のことを本当に考えておられるのか疑問に思うこともありますし、そもそも、一人ひとりの師家がカリスマ化しやすい現状があります。参禅会の終了時間が近づいてくるとそわそわし、質問が無いと知るや大急ぎで次の会場に走ったり、終いには提唱も昔の人の著書を棒読みにしたりなどのことがあり、少数ながら識者は心から悲しみ、憤っています。

ヒンドゥーの人々は、その点まるで違っていて、足がしっかりと地に着いています。その中でも、インド人化学者のT氏は抜群であるという深い印象を受けました。同氏によるヨーガスートラの解釈は素晴らしく、何とかしてこれを日本人に紹介したいものだというのが、このブログを始めた動機です。
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あらゆる透明な幽霊の複合体 (アストラル体とは何か?)

2013-04-06 19:48:41 | 日記
肉体と、それにぴったり重なっているエーテル二重体は共に、人体を構成している複合体(七つあるといわれています)の中では低次の存在で、だからこそ余り相手にすべきではないのでしょう(美容と健康!!)。 禅宗で、気や経絡のことなどを言わないのは、まさにそのためでしょう。

次のアストラル体になると、少し様子が変わってきます。アストラルとは耳慣れない言葉ですが、星印を意味するアスタリスクと同根の単語かもしれません。 さて、誰でも睡眠中にいろいろな体験をしているのですが、惜しいことにそれを正確に思い出して活用することがなかなか出来ません。 多くの場合、見聞きしたものは整理されずに、混沌とした夢となって現れるからです。 ところが、そうでない人もあります。 イギリスの社会思想家、平和運動家のバートランド・ラッセルは、若い頃数学者でした。 彼はどうしても解けそうも無い難問にぶつかると、「よし、寝ているうちに解いてやろう」と自分に言い聞かせ、一眠りして目が覚めると本当に問題が解けていた、という経験を何度もしていたそうです。 また、近代最高の太極拳家の一人である黄性賢は、瞑想の中で屡々異人が尋ねて来て、新しい技を教えてくれたと語っています。 通臂拳の張志通も、睡眠中に虎が出てきては、秘伝を伝えてくれたと言っていたそうです。 これらはすべて、アストラル体が活発になるときに見られる現象であると、ヒンドゥーの人々は解釈しますが、それでは、こういう現象は人類に希望をもたらすものなのでしょうか?、
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あらゆる透明な幽霊の複合体

2013-03-09 16:59:06 | 日記
表題は、宮澤賢治の「春と修羅」に出てくる有名な言葉です。一体これは何のことか。

ヒンドゥーでは、人間の身体(および心)は七つの要素の複合体であると言います。目で見たり触ったり出来る肉体は、その中で最も低次元の物に過ぎないのです。

肉体とほぼ同列の、もう一つの要素(体)は、エーテル二重体と呼ばれています。聞きなれない言葉ですが、エーテルとは古代の科学を論ずる時に出てくるエーテルと同じかもしれません。 この身体は、死と共に滅びる点では肉体と同列ですが、肉体よりも少し長く生きながらえて、その辺りをふらふらと動き回ったりします。 幽霊の正体とはこれだったのです!! しかし、いずれにしても間もなく消えてなくなるので、怖いことは何もありません。

エーテル二重体で重要なのは、いわゆる経絡(人体のツボ、すなわち経穴、を結ぶ回路が、このエーテル二重体の上に存在すると言うことです。 エーテル二重体は見ることも触ることも出来ないので、西洋医学では経絡を認識することが出来ないわけです。
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