労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

社民党のスターリングラード

2010-05-28 01:43:50 | Weblog
 現在のロシアのボルゴグラードは、以前はスターリングラードと呼ばれ、ガダルカナルと並んで第二次世界大戦の決戦場となったところだ。

 スターリンの生まれ故郷はグルジアなのに、この地がスターリングラードというスターリンの名前がつけられているのは、この地がスターリンにとって忘れられない地であったからだ。

 下っ端の中央委員であったスターリンがボリシェヴィキの指導部に入るようになったのは、レーニンの指令でツァリーツィン(スターリングラードの以前の呼び名)に派遣されたからで、この地で頼まれもしないのに内戦の指揮をとり、ボローシロフやプジョンヌイのような子飼いの部下を得て、トロツキーの対抗馬として登場した。

 軍事委員会の議長であったトロツキーはこのスターリンらのツァリーツィン・グループを“下士官グループ”とか“軍事反対派”とかいって思いっきり見下していたが、彼らは間違いなくツァリーツィンで生まれ、ツァリーツィンで育ち、ツアリーツィンを踏み台にして共産党や赤軍の幹部へとのし上がっていったのである。

 だからドイツ軍にとっては、スターリングラードはボルガ川の河畔の一つの都市に過ぎなかったのだが、スターリンにとっては、自分の“聖地”であり、どのような犠牲を払ってでも守り抜くべき都市であった。

 それを知らなかったドイツ軍の指揮官パウルスは、結局、大消耗戦の後、ソ連軍に包囲されて降伏せざるをえなかった。

 その点では、普天間に始まり、普天間に固着し続ける社民党の“スターリングラード”はもちろん普天間しかないのだろうが、残念ながら社民党には“第二次世界大戦の奇蹟”は起こりそうもない。

 もちろんそれはその不徹底さにある。多くの左翼グループが普天間問題を足がかりにして、日米安保条約を問題にしているのに、社民党の日米安保条約にたいする態度はあいまいなままだ。

 これでは誰の理解も得られない。

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