労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

イランの動乱

2009-06-22 02:57:12 | Weblog
 今年(2009年)3月30日に、パキスタン東部のラホールの警察訓練施設で襲撃事件があり、フェダイン・ハルクが犯行声明を出した。

 フェダイン・ハルクはイランの強制収容所で拷問と処刑によって絶滅したののではなかったかと思ったら、現在、イランは大統領選挙をめぐって騒乱の中にある。

 この中で、自爆テロによってホメイニ廟が爆破されるという事件も起きている。

 確かにフェダイン・ハルクは絶滅してはいなかったのだ!

 そういう点から考えると、現在のイランの騒乱は違う観点から見られるべきであろう。

 確かに、現在、表面的には、大統領選挙の結果をめぐって、「保守派」と「改革派」が激しく争っているのだが、事態は両者の思惑を越えて進んでいる。

 もともと「保守派」にせよ「改革派」にせよ、ホメイニが始めた宗教国家(宗教指導者が政治指導者の上に君臨する政治体制)の上に立つ政治勢力であり、イラン資本主義の上部構造をなしているという点で、ブルジョア的な政党であることにかわりがない。中近東の民族主義の特徴であるイスラムの法衣を着ているからといっても彼らは「ペルシア商人」の末裔であり、イラン資本主義の担い手であるという点に変わりがあるわけではない。

 しかし、1979年のイラン革命は当初からそのようなものとしてあったわけではない。革命の端初期に大きな役割を果たしたのはイランの労働者・農民と結びついた左翼政党であった。

 しかし革命後、ツデー党(イラン共産党)はイスラム勢力に妥協し、解党してホメイニ体制の中に組み込まれていったが、妥協を拒んだフェダイン・ハルクなどは非合法化され、徹底的な弾圧を受け構成員は末端にいたるまで虐殺された。つまり、フェダイン・ハルク(イスラム戦士)という言葉自体が禁句であり、フェダイン・ハルクと関係があるというだけで殺されるような事態が30年あまり続いていた。

 にもかかわらず、イランの労働者はホメイニ廟を爆破してイランの宗教国家体制に挑戦を始めている。

 これは、一つにはこの30年間のイランの資本主義的な結果の一つであろう。確かに、この間、イラン・イラク戦争やアメリカとの緊張関係と経済封鎖が続いたが、豊富な石油資源をもとに、独自の資本主義的な発展も遂げている。

 こういう資本主義的な発展が、イランの労働者に権力と結びついたイスラム教への憎悪と不信を醸成しているのであり、今回のイランの騒乱がイランにおける階級闘争発展の契機をもたらすかもしれない。


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