見聞知・録 福井県議会議員 西本正俊  

琵琶湖・若狭湾快速鉄道 実現!

嶺南と嶺北の地域間格差 是正!

議員活動6/30木曜日

2005年06月30日 | 見聞知・録
今日は郷土の偉人「梅田雲浜」先生の顕彰祭が「小浜市郷土の偉人顕彰会」の主催により開催され出席してきた。
梅田雲浜先生は1817年に小浜の武士の家において生まれた。七歳で順造館に学び、二十七歳の若さで滋賀県に湖南塾を開かれた。また、二十九歳で京都の有名な「望楠軒」の校長先生になられている。
先生は自分の正しいと思った道を歩まれた。そのため家臣の身分を奪われたり、投獄され度重なる拷問を受けることとなった。しかし、自分の考えは決して変えることはなかったのである。残念なことに四十五歳という若さで牢獄死されている。先生の死は無駄ではなく、明治という新しい時代を迎えるための人づくりをされた立派な先生である。
立派な先生が小浜出身であることを、私たちは誇りに思い先生に学んでいかなければならない。


今日はでした。
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日々一考日記6/29水曜日

2005年06月29日 | 見聞知・録
天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の激戦地であるサイパン島をご訪問され慰霊をされた。
「中部太平洋戦没者の碑」と「アメリカ慰霊公園」を訪れ供花された。
また、日本人が身を投げた「スーサイドクリフ」と「バンザイクリフ」を訪問され、自決した民間入植者らへ鎮魂の黙礼をささげられた。そして、事前には公表されなかったが韓国人の慰霊碑である「太平洋韓国人追念塔」と「おきなわの塔」にも立ち寄られ一礼された。
両陛下は、異郷の波間に散った命への鎮魂の祈りを現地で行なわれたのである。
陛下はサイパン島激戦時に学習院初等科の五年生であられたそうだ。戦況の悪化に伴い、静岡県沼津御用邸、栃木県の田母沢御用邸さらに奥日光南間と疎開先を変わられ、終戦の日をお迎えになられ、その時々の鮮明な記憶が「南洋での慰霊の旅へと陛下を駆り立てた」と側近は述べている。
両陛下の戦後の総括なのだろうか。
私は平成の天皇、皇后両陛下の言動なり行動に常々注目をしている。本当に真心から日本国を愛し国民を愛されていることがよくわかるのである。


今日はでした。
久しぶりの雨(大雨)でした。枯れていた遠敷川にも水が戻ってきました。
大地と自然に感謝です。
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日々一考日記6/27月曜日

2005年06月27日 | 見聞知・録
今日はついに歯医者へ行ってきた。
実は4月半ば頃から疼いていたのだが、歯医者が嫌いでとうとう今日になってしまった。
私は極めて痛がりの怖がりなのだ。
人様から見ると馬鹿の典型みたいなものだが医者嫌いはこんなものだ。
この歯痛は目と肩と連動している厄介者だ。時によっては心臓まで響いてくる代物だ。
右下の奥歯なのだが「銀歯」であり、当然その昔に神経も抜けているものと思っていたが、
今日の治療ではしっかりと神経が残っているとの事。来週の月曜日に処置をすることとなった。
いまとなってはもう少し早く治療に行っていれば、おいしく飲酒や食事が出来たのにと思ってしまう。
自分で自分が情けない。母や妻からは「早く歯医者に行ったほうが身のため」と何度となく言われていたのに…
これからは忠告通り早めに病院に行かなければ。


今日はでした。
本当に雨が降りません…
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日々一考日記6/26日曜日

2005年06月26日 | 見聞知・録
今日は幼稚園の保育参観日。
今年年中さんになる四女と一緒に幼稚園に行ってきた。
まず、トイレタイムから始まった。
お祈り、お歌、親子で体操などをこなしたあと、親子でコマとカエルさんづくり。
お歌の時など娘が隣のお友達に世話を焼いていた。4人姉妹の末っ子はまさにちゃきちゃきである。頼もしいかぎり。
コマは紙の取り皿、ビー玉そして空フィルムケースでつくるのである。取り皿には子どもがいろんな絵を描いた。また、カエルは牛乳パックと輪ゴムを使って作るのである。もちろんカエルさんの絵も描くのだ。
普段子どもと遊びなれていないためか、親子ともどもどこかぎこちない。
1時間余りの短い時ではあったが、子どもの園での生活の一部を垣間見ることが出来て良かった。


今日はでした。
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日々一考日記6/25土曜日

2005年06月25日 | 見聞知・録
今日は名田庄村の「流星館」へ行ってきた。
高木文堂後援会の「ホタルの会」に参加するためである。
福井から十数名の方の参加を得ての会であった。全部で四十名近い方の参加があった。
皆さん熱烈な「ぶんどう支持者」であり、政治家としてはうらやましく、高木さんとしては極めて心強いことである。高木さんにそのことを言うと「だからこそ、今回はどうしても当選しなければならない」とおっしゃっておられた。
高木さんとお会いするのは昨年末、小河事務局長宅で開催されたクリスマス会以来である。また、今日は久しぶりに奥さんの洋子さんにもお会いすることが出来た。皆さん元気だ。安心した。
私は昨年の今頃市議選に立候補すべく選挙活動をしていた。そのとき小泉会長や小河事務局長のご配慮でこの会に顔をだしたことを思い出した。体重は8キロ減の65㌔。前身真っ黒。目だけがギロギロと光っていたらしい。皆さんに励ましていただいた。本当にうれしかった。「地獄で仏」の心境。
辛いときに仲間が声をかけてくれるのはありがたいものだ。
来年3月5日には皆さんで勝利の美酒に酔ってほしい。こころからそう願う。


今日はでした。

小河事務局長から、私のブログを見ていただいていることをお聞きしました。ありがとうございます。
ご指摘のホームページからの件につきましては早急にお願いしてみます。
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小浜市議会報告6/22水曜日

2005年06月22日 | 見聞知・録
今日は6月定例会最終日。
まず最初に各常任委員長報告があり、その後採決が行なわれ上程された議案は全て原案可決された。
続いて意見書案2件が上程され各意見書とも採択された。
また、人事案件として「固定資産評価審査委員会委員」の選任について、小浜市中井の大澤貞春氏の選任に同意した。
また、嶺南広域行政組合議会議員、公立小浜病院組合議会議員そして若狭消防組合議会議員の指名がそれぞれ議長よりあり、私は嶺南広域行政組合議会議員と若狭消防組合議会議員に指名された。
嶺南広域行政組合議会議員は初めてであり市町村合併等未だ重要な時期にあり嶺南という広域的観点から意欲的に活動していきたい。

次の9月議会に向けてアンテナを最大限に高くして備えて行きたいと考えている。


今日はでした。
未明にかなり激しい(バケツの水をひっくり返すとの例えがぴったり)雨が降りました。
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日々一考日記6/21火曜日

2005年06月21日 | 見聞知・録
今日は夏至。一年でもっとも昼間の長い日だ。
全国各地も大変暑かったようだ。小浜も30.3度を記録した。
現在(午後7時20分過ぎ)も未だ明るい。
小浜湾に沈む夕陽がとても雄大できれいだ。
小浜の町屋から見る小浜湾の夕陽もきれいだが、私個人的には加斗の荒木海岸から見る夕陽が好きだ。
初めて市議選に立候補した平成11年の遊説中に見た夕陽がそれで忘れられない。
小浜に残っている自然は本当にすばらしいものばかりだ。
将来にわたって残したい自然のひとつである。
また、垣内さんからコメントいただいているように「蛍」も将来にわたって残したい自然である。


今日はでした。
今年の梅雨は空梅雨なんでしょうか。雨が降りません…
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後援会活動報告6/20月曜日

2005年06月20日 | 見聞知・録
今日は後援会長の岩本次彦さんの事務所をお訪ねした。
昨年の市議選から来月で一年になるので、市民の皆さんに何かの形で活動報告をしなければと常々考えていた。
後援会長と協議する中で「市政報告新聞」を創刊してはということになったのである。
後援会の皆さんの中で広報新聞に関心興味のある方、十人程度に参加していただいてご協力いただくことになった。出来れば昨年当選させていただいた7月25日過ぎに発刊できればと思う。
完成後は後援会を開催し会員の皆様にも配布のご協力をお願いしたいと考えている。私は私で関係地区を一軒一軒お訪ねしながら活動新聞を読んでいただけるようお願いに歩くつもりでいる。
一昨年の落選を反省として日常の地道な活動を忘れてはならない。

今日はでした。
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日々一考日記6/19日曜日

2005年06月19日 | 見聞知・録
今日は「十戦車若狭友の会」の平成17年度総会に出席してきた。
また会長のご指名により総会の議長をさせていただいた。
「十戦車」とは自衛隊の地域をあらわすそうで、滋賀県の今津駐屯地がそれに含まれる。
よって今津駐屯地関係からの出席者も大勢であった。
総会のあと自衛隊のイラク支援報告会も開催された。
イラク支援に副群長として努められた中村大隊長より活動内容の説明があった。
実際の支援活動のために警務班、医療班、生活支援班、食料班などさまざまな後方支援がある。
それらの後方支援があって初めて支援活動が出来るのであることがわかった。
後方支援の隊員の中には自分たちも前線へ出て活動したいと思う隊員も多いそうだ。
イラク支援は成功して当たり前と見られていることだと思う。
いつ攻撃されるやも知れぬ地での緊張感、恐怖感、疲労感など私たちには想像もつかない状況での活動であったろう。昼間の気温は52度にも達するそうだ。

世界の中の日本。世界の多くの国と交わりながら今日の日本がある。
イラクへの自衛隊派遣にたいする認識には人それぞれ様々な考え方があると思う。
しかし、実際に日本の自衛隊がイラクで人道支援活動を行なっている。
その活動にたいし多数のイラク国民から感謝されていることは事実であろう。


今日はでした。
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日々一考日記6/18土曜日

2005年06月18日 | 見聞知・録
今日は仕事の関係で三方五湖周辺へ行って来た。
五胡周辺にはたくさんの梅の木があり、現在は梅の収穫期であった。
まさに風光明媚で気持ちが安らぐから不思議である。
そういえば、大学生と高校生の娘が幼稚園に上がる前だったろうか、
妻と4人で三方五湖周遊道路を散歩したのを思い出した。
あの頃は私も妻も若かった。いまから十五年前くらいだろうか。
そんなことを考えていたが、考えてみると三女はとはまだあちこち遊びに行ったが、
四女とはあまり一緒に遊びに行ってない気がする。
なんとなくかわいそうな気がしてならない。でもそんな気持ちになること自体申し訳ないような気がする。
そんなことを考えてしまう前にもっともっと子どもと遊んでみようと感じた日であった。

日本の豊かな自然に感謝である。


今日はでした。
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