シーエッグのスタッフブログ

西伊豆・田子にあるダイビング・サービス、シーエッグダイバーズのスタッフが写真と短い文章で田子の暮らしを紹介します。

潜水班

2022年02月26日 | 日記
録画してあってずっと見そびれていた、NHK佐賀放送局が作った「KARATSU ジャック・マイヨールが愛した海 四季」を観ました。



映画「グラン・ブルー」で知られる伝説のフリー・ダイバー、ジャック・マイヨールは、フランス人建築家の二男として1927年に上海の租界(外国人居留地)で生まれました。当時上海と長崎の間には定期航路があり、ジャックの一家は毎夏唐津の虹の松原で休暇を過ごしました。

6歳の時、東唐津の漁師に素潜りを教わり、七ツ釜で初めてイルカに出会い、このことが海の哲学者と呼ばれた彼の原体験。

1971年、76mという素潜りの記録を樹立、その年に唐津を再訪し、唐津アクアラングサービスの高島 篤志さんと出会い、その20数年後、NHKのテレビ番組制作のためジャック・マイヨールは再び唐津を訪れ、洋々閣で高島氏と再会、2001(平成13)年に亡くなる前の8年間に20回以上唐津に訪れ、七ツ釜の海を潜るようになったとか。



ジャック・マイヨールが愛した唐津の海の四季を、地元の人々との交流の足跡とともに、高島さんのガイドで唐津の海を潜り、4Kカメラで撮影し、海中世界を伝えるこの番組を企画したのが、NHK佐賀放送局の小林 将純アナウンサー。



小林さんが「季節感ある不思議な海」という唐津の海、伊豆にもいる温帯の魚だらけで親近感が湧きます。

番組の中で感銘を受けたのが、洋々閣の女将、大河内 はるみさんが語った唐津湾に1999年9月、3頭のコビレゴンドウというクジラが迷い込んた時の事。

このままではクジラは死んでしまうから保護しようと追いかけまわす人々にジャック・マイヨールは激怒し、「クジラにかまうな、死ぬものなら死なせろ」と叫び続けたそうです。人間がクジラを助けるなんて、驕ってると。



気になったのが、小林さんの「NHKで7人目の潜水アナウンサー」って、言葉。

wikiで検索したら、細田 史雄さん望月 豊さん小松 宏司さん中山 準之助さん二宮 直輝さん森下 絵理香さんの6人が見つかりました。

ちなみにNHKの潜水班は、1962年に当時のテレビニュース部、映画部撮影課、映画部写真課のカメラマン合計11人が潜水士の免許を取得したのが始まりで、テレビ番組の最初の水中撮影は、1957年8月に放送された短編映画『海底の探訪』で、16mmフィルムカメラを水中ブリンプに収め、映画課のカメラマン2人によって撮影された。

長い歴史の中で転機となったのは、1966年2月4日に起きた全日空羽田沖墜落事故。

この事故を独占スクープしたのがNHKの映画部に所属していた潜水カメラマンで、驚いたことに、事故沖の海底探査をしていた海上自衛隊水中処分隊の艦船に乗艦して撮影をしている。

この単独大スクープ以降、NHKは水中撮影に特化したカメラマンの育成に力を入れ、1966年から組織的に潜水研修を始め、潜水チームが発足する。1975年に初の海外潜水取材で『海と人間』4作品を制作し、1984年には南極観測隊に同行し、南極に潜るまでになる。

NHKの潜水班は現在、技術系カメラマン54人、報道系カメラマン47人、1996年より参加のアナウンサー8人、計109人が参加しているとか。

リーダーは、報道局 映像取材部 専任カメラマンの河野 英治さん。「潜水カメラマン 前編」と「潜水カメラマン 後編」に親子2代で潜水カメラマンで、幻のダイオウイカの撮影などが書かれています。

ダーウィンが来た!やアマゾン等の自然番組を中心にドキュメンタリー番組の撮影を担当している中西 紀雄さんも潜水班のカメラマン。

NHKのサイト「取材ノート、ひろげます」で小林さんも書かれている、伊豆大島で5泊6日のNHK独自の研修、このトレーニングがすごい。地獄鍋や地獄旅など、研修の内容が潜水班の女性カメラマン、小出 悠希乃さんの記事にも書かれています。

もう1つ気になったのが、水中で話してる小林アナウンサーのマスク。



これ、フルフェイスマスクという、イギリス製でマウスピースをくわえない顔全体を覆うマスクで、10万以上するもの。

耳抜きは鼻を押すパットがあって、マスク内に空気があるから楽に耳抜きができるって。

水圧のかからない、水面から海を楽しむシュノーケリング用のマスクでもフルフェイス型があって、視界が広くて曇りにくく、鼻でも呼吸ができ、しかも顔全体が濡れないと、人気になってるらしい…。

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