かれこれ50年前、私は小学生となった。
入学したのは、ミッション系の私立学校で、先生は全員シスターだった。
父は、当時零細企業に勤める会社員で、子どもを私立の学校に入れるほど裕福ではなかったが、何とか高い教育を私に受けさせたいという願いからかなり無理して入学させたのだった。
土曜日は、午前中で授業が終わり、帰りがけには敷地内にある教会でお祈りをして下校する習わしで、教会には当時としてはめずらしいイタリア人の神父さんが居た。
教会内に入るといつも何とも言えない良い匂いがして、それが一体何の匂いなのか分からず、帰宅するといつも母にその良い匂いの話を聞かせていた。
ある土曜日、学校から帰ると教会で嗅いだあの良い匂いが自宅の中で充満していた。
「教会の匂いだ・・・」
少しして母が見たことのない食べ物をお昼として出してくれた。
こんな旨いものが世の中にあるのか!と思うほどそれは美味しかったのだ。
食べ物の正体はフレンチトーストだった。
当時、日常の生活の中でバターを食する習慣はなく、ましてや裕福でもない我が家にバターを使う料理など出る訳もなかった。
いつも私が話す良い匂いの正体を私に内緒で母が教会に行き、作り方を聞いてきて同じものを作ってくれたのだった。
数年前、かつて通っていた学校を訪ね、真っ先に敷地内の教会にむかったのだが、どういうわけか教会はどこにもなかった。
丁度シスターがおられたので、教会の行方について尋ねてみると、教会はもともと学校の敷地内には無く、敷地から少し離れた場所にあるのだと説明してくれたが、俄然納得がいかなかったので、教えられた通りその教会を訪ねてみると、確かに子どもの頃通った教会に違いなかった。
50年前の想いでの断片を組み上げる過程で大事な部分が欠落しているにことに気づかず、組み合わさるはずのない断面を都合よく変形させて、あたかもパズルが組みあがったように錯覚していたことを知る。
人の記憶はいい加減なものだ。
事実を確認しなければ永久に敷地内にある教会を信じ続けたに違いない。
そう気づくと果たして母の作ってくれたフレンチトーストは事実だったのだろうかと考えてしまう。
いやいや母のしてくれたことは、絶対間違いないのだと自分に言い聞かせる。
既にこの世には居ない母が優しい母であった事実を決して間違えたりしないはずだ。
例えそれが自分に都合の良いパズルだとしても、それはそれで良いのだと信じたい。
人は過去の思い出の大半を忘れ、残されたほんの僅かなカケラを勝手に組み上げることで生涯を終える宿命なのだから・・・
Camera : Canon EOS7D