緋野晴子の部屋

「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」「青い鳥のロンド」「時鳥たちの宴」のご紹介と、小説書きの独り言を綴っています。

丁寧に生きる

2024-05-29 15:25:41 | 空蝉

蕗採りをしました。皮を剥くのがたいへんで肩が凝りましたが、薄味で煮つけ、季節感のある1品になりました。

今年も大地の恵みを無駄にせずに済んで、ほっとしています。

若い頃は時間貧乏性で、次々と何かしながら、それでもまだ、やり残しがあるような気がして焦ってばかりいた私。一つ一つの出来事を、味わうことを忘れていました。

たくさんの事をこなしたようでも、片付け仕事になってしまうと記憶に残ることは少なく、結局、人生の浪費だったかもしれません。

もっと丁寧に生きよう、と思うこのごろです。

 

       

       

 

 


図書館に励まされて

2024-05-15 18:02:39 | 千里の道

前回の投稿から3か月も経ってしまいました。新作に没頭していたからです。

もうすぐ草稿が仕上がります。没頭していた間はいいのですが、物語の終わりが見えてくると、さて、これをどう世に出せばいいか、ということが頭を過ぎり始めます。厳しい出版状況が思い出されて、気が滅入ってきます。

そんな時、図書館はほんとうに有難いものです。

小説を書いて生活している方や書店を経営している方にとっては、図書館は敵かもしれません。けれど、私のようにメジャーな賞を貰ったことがなく、有名な文芸誌に短編の一つも載せてもらったことのない者にとっては、図書館はまさに「拾う神」です。

「たった一つの抱擁」2007 は 15館が、

「沙羅と明日香の夏」2011 は 57館が、

「青い鳥のロンド」2017 は25館くらいが、

「時鳥たちの宴」2022 は21館が、

拾ってくれました。

最近は寝る前に、愛知県の図書館だけですが、貸し出しされているかを一括蔵書検索で調べるのが、癖になってしまいました。

十年以上前に出した「たった一つの抱擁」と「沙羅と明日香の夏」は、さすがにもう奥の書庫にしまわれたのでしょうね。蔵書されてはいますが、カウンターでリクエストしないと借りられないためか、貸し出しがなくなりました。

でも、「青い鳥のロンド」と「時鳥たちの宴」はまだ、毎日どこかの館で借りられています。

新しく『貸出中』となっていると、どんな方が何を感じて手に取ってくれたのかなあ、と読者さんを想像して嬉しくなり、思わず、「ありがとうございます」と手を合わせてしまいます。

出版or発表の目途もつかないままに書いていると、時に気が沈んでくるのですが、『貸出中』の文字を見ると「読んでくれる人はいる」と思えて、また気力が湧いてきます。幸せな気分で眠れます。

これまでに、図書館からどれだけの読者さんを得られたでしょうか。本は読みたいけれど金銭的な余裕がない、という方も少なくないと思います。

図書館は、作品を読者さんに出会わせてくれる、私のありがたい味方です。

 

          

          


雪の朝のつれづれに

2024-01-27 17:58:10 | 時鳥たちの宴

一昨日、この地方には珍しく雪が降って、朝にはもう、うっすらと積もっていました。そうなると、私は心がふわふわして、何も手につかなくなってしまいます。

窓の外を眺めては、ただ、綺麗だなぁ、と見とれるばかりです。

どうせ長くは降らないのだから、書きかけの小説の世界に入ってしまうのも惜しく、手持無沙汰なままに、ネットで自分の既刊書がどうなったか、ポツポツ検索しておりました。

すると、Amazonでは、2冊残っていた本を誰かが一冊購入してくださったようです。残り1冊になっていました。急に胸の中がポッと温かくなり、買ってくださったのは、どういう方だろう? と、降り積む雪の中に、その姿を想像してしまいました。

そのうちに、ふと、図書館は? と思いつき、愛知県内を調べてみました。

結果、小説「時鳥たちの宴」(緋野晴子著)が所蔵されている館は、以下のとおりでした。

名古屋市立 …… 北、西、東、鶴舞、千種、中村、瑞穂、中川、富田、山田、熱田、徳重。豊橋市立中央、岡崎市立中央、刈谷市中央、安城中央、豊川市中央、新城、蒲郡市立、知立市立。 (計20)

出版からもう2年8か月も経っていますが、そのうち5箇所が貸し出し中でした。

図書館とは、ほんとうに有難いものだと、しみじみ思います。所蔵されている限り、こうして読み継がれる可能性があるのですから。

どんな方が借りてくださったのだろう? 

読み終えて、どんな感想を持たれたろうか?

……楽しい空想が尽きない、雪の朝でした。

 

     

     

      

       これは電子版です。Amazon、kindle、でお求めください。


虎希の会

2023-12-10 11:40:33 | 空蝉

先日は第12回目の「虎希の会」で、久しぶりに東京へ行ってきました。今回は菅直人氏の喜寿と岳真也先生の出版を祝う会です。

岳先生に初めてお目にかかったのが、この虎希の会の第1回目でした。つい昨日のように思われるのに、あれから、もう7年! 時の過ぎゆく早さに、啞然としてしまいます。

今回は、この秋、突然に逝ってしまった、「かがく塾」の仲間である笠健人くんと、先生の姉上で画家の井上一恵さんを惜しんで、ふたりのための追悼文集を作成し、出席者の皆様にお持ち帰りいただきました。かがく塾のメンバーの他にも多くの方が寄稿してくださいました。

また、編集を一手に引き受けてくださった松本のぼるさんには、感謝、感謝、です。愛知の山奥にいて、何もお手伝いできなかったことを申し訳なく思います。

文集「かがく」には、笠君の小説「冬に咲くコスモス」が掲載されています。宴会が終わって、ホテルで読んでいると、彼の顔や、必死にアドバイスを求めてきた電話の声が思い出されて、涙腺が緩んでしまいました。君は命がけで書いていたんだよね。よく努力して、上手くなっていたんだなあと思います。

文集の表紙は、井上一恵さんの作品です。お会いしたことはありませんが、とても魅力的な絵です。文章でも、絵でも、作品はその人そのものですね。

二次会に誘われましたが、山奥の静寂の中で生まれ育った私は、「騒音」というものに弱く、2時間の宴会が精一杯です。個性的な方々とお話できて、楽しいには楽しいのですが、頭痛くなっちゃって。前回は文壇バーでしたので、なんとかお付き合いできましたが、今回はカラオケと聞いて、もう無理だと思いました。かがく塾のみなさん、付き合い悪くてごめんなさい。一次会の女です。

写真は会の前に、岳先生と。そして、追悼文集「かがく」です。

 

    

 

        

 

 

 


発売されました! Kindle版「時鳥たちの宴」緋野晴子

2023-11-09 16:21:45 | 時鳥たちの宴

ついに発売です。 💕 kindle版「時鳥たちの宴」緋野晴子 照れ

Amazon本 で、タイトルを検索してください。

紙版の半額 750円です。

 

(内容ご紹介)

ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人である大海豊から便りが届く。遥は、十年前に浮橋邸で催された「平安の夜の宴」を思い出し、胸が小さく疼いた。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。魂を誘うような、その光の舞いを脳裏に浮かべているうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引きこまれていった。

そこは、大学の国文学科の浮橋ゼミ。男女八人のメンバー+教授に訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛の行方は?

青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説。

 

一 大海の便り

二 東風

三 若葉

四 浮橋

五 七日月夜

六 時鳥

七 皐月雨

八 恋歌

九 夏草

十 海辺の月読

十一 月夜茸

十二 萩の庵

十三 風花

十四 明けぐれの雪

十五 如月の梅

十六 それから

十七 蜜柑の丘

 

浮橋教授による平安時代の風俗や恋愛観の話もあり、古典好きはもちろん、古典が苦手な人も、大いに楽しんでいただけると思います。😊

なお、読後に、評価の★をつけてくださいますと、たいへん有難いです。

もちろん、レヴューをいただければ、もう、感謝、感謝です。作者冥利に尽きます。

よろしくお願い申し上げます。🙇‍♀️

 

       

 

 

 


新しい表紙が決まりました!

2023-11-02 11:57:15 | 時鳥たちの宴

電子版「時鳥たちの宴」の、表紙が決まりました! 照れ ラブラブ

私の都合で二週間ほど遅れましたが、間もなく出版されます。

紙版の表紙も気に入っていましたが、こちらも、なかなか良いと思います。如何でしょうか?

 

     


時鳥(ホトトギス)たちの宴

2023-09-26 22:58:07 | 時鳥たちの宴

昨年出版された小説「時鳥たちの宴」(緋野晴子作)は、お蔭様で好評で、紙の本はAmazonに2冊を残すのみとなりました。

この2冊が売れてしまうと、市場から完全に存在が消えてしまいます。それは寂しいということで、このたび、電子書籍化することになりました。価格は紙版の50%、750円+税です。

また、それに伴って、表紙も刷新されます。表紙は読者さんの大きなキャッチポイントですから、表紙が変われば、手を伸ばしてくださる読者さんの層にも変化があるかもしれません。どんな表紙になってくるか、今からドキドキ、楽しみです。

ただ今、制作中。来月半ば頃にはリリースされると思います。

 

     

     


別府はいいとこじゃんたなぁ。

2023-09-10 11:31:21 | 空蝉

お久しぶりです。緋野晴子です。爆  笑 三か月以上もサボっておりました。笑

皆様にすっかり忘れ去られる前に、別府旅行のことなど、お話してみますね。

冬に母が骨折してから半介護の生活になりまして、私は旅行もままならなくなったのですが、次男が別府で事業を始めることになり、妹が母の世話を代わってくれましたので、引っ越しの手伝いを兼ねて行ってきました。

台風が近づいている時で、飛行機を避け、電車を使いました。

珍しかったのは、小倉から大分方面へ向かう日豊本線のソニックという特急です。

床が木なんですね。床の板には刻印がありました。子どもの頃の飯田線を思い出して、なんか、いい感じ。

 

         

 

今回は引っ越しの手伝いが半分でしたので、観光は鉄輪温泉と別府市街だけにしました。

鉄輪地区を丘から眺めると、あちらこちらに湯煙が見えます。さすが温泉地。

でも、道路の下からも蒸気が立ち上っているのには、さすがに、びっくり! 目

足蒸し湯があったのですが、夏のことで、とても暑くて入れませんでした。次回、冬のお楽しみにとっておきます。

 

   

 

   

 

   

 

鉄輪温泉では、「ひょうたんの湯」に入りましたが、そこの食事場所のカレーが、とっても美味しい!! すりおろし野菜がいっぱい入っているのかな? 作り方を知りたくなるカレーでした。Verdy good! コーヒー

 

   

 

 

資料館がありましたので、入ってみました。雨の水滴が温泉になって湧き出るまでの旅が立体イメージ映像で見られたり、この地域の火祭りの衣装が展示されたりしていて、興味深いものがありました。この衣装をみると、なんだか、東北のナマハゲ👹や、北海道のアイヌの衣装に似通ったものがあるように思われます。ひょっとして、東北の人々というのは、かつて九州に住んでいて、朝鮮半島から入って来た民族に北へ追われたのではないだろうか? アイヌ文化というのは、この九州由来の文化と、ロシア方面からの文化が入り混じったのではないだろうか? そんなことを考えてしまいました。面白かったです。

 

         

 

   

 

別府には、市街地にも小さな温泉施設がポツポツとあります。その代表格は、竹瓦温泉です。ここのお湯は跳び上がるほど熱くて、地元の方は入っておられましたが、私はとっても無理で、湯船の外で流すだけにしておきました。残念。

でも、その代わり、砂湯があったんですよ。砂の重さに、包まれているような安心感があって、ぬくぬくとして、とってもリラックスできました。ニコニコ

 

   

      

今回観光できたのは、ほんの一部。旅行と言えば当分、別府になりそうです。

では、また。

 


噂のChatGPT

2023-05-21 12:16:07 | 空蝉

世間で騒がれているので、どんなものかと、私もちょっとChatGPTで遊んでみました。

明治の有名作家・小説については、ふむふむ、なかなか上手く解説するじゃありませんか。では、「緋野晴子について教えて」 というと、まあ!びっくり なんと! こんなことを言うんですよ、みなさん。

 

緋野晴子は、日本の小説家であり、推理作家です。

(え? 私がいつ、推理小説を?)

1958年、東京都生まれで、早稲田大学第一文学部卒業後、

(1955年、静岡県の山奥で生まれ、大学も違うんですけど…)

1990年代から執筆活動を始めました。

(2005年からですってば)

代表作に、『禁断の魔術』シリーズや、『殺意の接吻』シリーズがあります。

(ちょっとお、やめてよう。……全然、知らないわ😅

彼女の作品は、様々なジャンルを網羅しており、推理小説、ホラー小説、ファンタジー小説、恋愛小説など、幅広い読者層から支持を得ています。

(そんな器用な人間じゃないですよ)

また、主人公が女性である作品が多く、その描写には緻密な心理描写が取り入れられていることが特徴です。

(それはまあ、若干当たっているかも)

緋野晴子は、数々の文学賞を受賞しており、その才能が高く評価されています。

(ああ、そうなったら、いいのに!爆  笑

 

というわけで、嘘ばっかり! 爆笑!! 笑い泣き

 

もしや、そういう同名の作家さんが実在するのかも? と思い、調べてみましたけど、見つけられませんでした。

いったい、どこから、こんなフェイク情報を引っ張ってくるんでしょうね。

緋野があまり知られていない存在だからかと思って、わりと有名な現代小説家の方でもやってみたんですけど、やっぱり、嘘ばっかり! 面白すぎました。爆  笑

 

みなさん、将来はともかく、今は、AIの言うことなんか、信じちゃいけませんよ。

AIはまだ赤ちゃんです。真実を語るには未熟すぎます。

あるいは、将来的にも・・・

基本的に、ネットの中にある断片的な関連情報を拾い集めて、そこから推測しうるもので作文していると思われますが、これは、危険を孕んでいます。

元になる情報を、悪意を持った者が故意に歪めて大量に流した場合、AIはそれに引きずられ、まことしやかにフェイク解説をするでしょう。それを真に受けると、とんでもない混乱が生じることは想像に難くありません。

ですから、みなさん、自分で確認し、自分の頭で考えることを最優先にしてくださいね。

AIをどういう場合に、どういうふうに使えるか、あくまで、道具としての活用方法を考えてみましょう。ウインク

 

   


小説の森で考える ー 誰のために書くのか?

2023-05-07 17:21:22 | 千里の道

 これまでに四冊の小説を出版し、今、五作目の原稿を書き上げた。このあたりで少し立ち止まって、自分の小説について考えてみたいと思う。

 比較的売れた作品もあれば、売れなかった作品もある。その違いはどこにあったのだろうか? 私のようなメジャーな賞をとっていない著者の場合には、第一に、タイトルや装丁が人々の気を引くものであったか、帯にどなたかの推薦文があったか、等の要素が大きいとは思うけれど、そこを問題にしても著者としては意味がない。顧みるべきは、読者の反応だ。

「沙羅と明日香の夏」は、広範な読者に共感され、愛される小説だった。対して、「青い鳥のロンド」は、感想にずいぶん差があった。女性、特に職業を持った女性たちには絶賛され、男性たちの反応は概して鈍かった。それは、恐らくこの小説が、女性の心理を主として描かれていたからだろうと思う。私としては男性を含めた幸福を追求したのであって、男と女で成り立つ世界の未来を志向するためのものだった。けっして、女性の不幸を訴えるというような偏狭なものではなかったのだが……。この反応の差こそが、つまりは今の社会の現実なのだと再確認することになった。

男性には、共感できる心理的体験がないのだと思う。のみならず、共感したくないという心理の働く男性も少なくないのだろう。真の幸福を求める女性の心理は、男性にとっては関心の薄い、あるいは耳の痛い、ひいては都合の悪いものでさえあるかもしれない。そうした前提のある時点で、この小説はすでに読者の半分を失っていたと考えられる。「青い鳥のロンド」は、初めから読者を選ぶ小説だったということなのだ。

小説が読者を選ぶ・・・そこで私が考えてしまうのは、「私は誰に向かって書いたのだったろう?」ということだ。

 小説は独白ではない。独白なら大学ノートにでも書きつけておけばいい。小説を書くということは、現実そのものとは別の、意図的な世界を創り出すということで、なぜそうするかと言えば、そこに誰かを(読者)を招き入れたいからである。

  私は、この混沌とした世界の中から、自分だけが感じ取った主観的な世界を、一枚の透明なスクリーンのように漉しとって、小説という文章の中に展開する。自分というフィルターを通して整理・象徴された世界の中に生きてみようとするのだ。だから、最初にそこに招き入れられるのは、自分自身ということになる。けれども、それだけでは終わらない。描かれた世界は独白と違って、必ず他の、より多くの訪問者を求めるもので、それは、「誰かの魂と繋がりたい」「自分の眼が漉しとった世界を、共に眺めてくれる人が欲しい」という、小説を書く人間に共通した根本的な欲望からくる。

 それならば、その訪問者は誰でもいいのだろうか? 多ければ多いほど? 

 確かに門戸はすべての人に向かって開いている。「青い鳥のロンド」の場合で言えば、女性はもちろん、男性たちにも広く読んでもらい、人としての幸福・家族の幸福・人間社会の将来について、共に考えてもらいたかった。

 それでも、よくよく心の奥を探ってみると、結局のところ、私がほんとうに自分の世界に招き入れたいと望んでいたのは、自分に似た魂を持つ誰かだったのだということに気がつく。私は、男性でも女性でも、どの世代の人でもいいから、とにかく魂の通う相手を探していたのだと。だから、多くの男性たちの反応が鈍くても、「私のために書かれた小説だと思った。自分の本当の幸せが何であるかが見えてきて、迷いがなくなった」という、ひとりの女性の感想を聞いて、十分に報われた気がしたものだ。それは他の小説書きの方々も、根本のところで同じではないだろうか。

 小説が不特定多数の、あるいは不特定少数の、魂の通う誰かを探しているものだとするなら、私としては、つまり、ひたすら自己の世界を芸術的に描き出すことだけに専念すればいいということになる。それは、とても有難いことだ。

  私は一時期、人に読んでもらうからには読者を意識しなければならない、多くの人に読んでもらうためには、そういうことに敏感であるべきでは? と思っていた時期があった。けれども、それは間違いだった。特定の読者層にアピールするように書こうと考え始めると、私の小説は、どんどん駄目になっていった。私にはそう感じられた。そもそも、他人にアピールするようにといっても、私はそれほど他人を知ってなどいないではないか。

だから、書くときは、とにかく、徹底的に、自分自身を発信するほうがいい。そうすれば、小説が自ずと読者を選んでくれる。書き手は、その選ぶに任せればいいのだ。なべての人々の魂を呼び込む場合もあれば、片寄る場合もある。それでいいというのが、私の結論だ。

 ついでに言うなら、文学賞の求めるものを意識して書くというのも、私は邪道だと思う。文壇は、作家という職業を生業にしている人たちのギルド社会だから、そこで目を引くのは、新鮮な素材(現代性)・新しい技法・珍しい文体・斬新な構想・細工のかかったプロット等。でも、そこから入って捏ねくってみても、生きた小説にはならない気がする。読み慣れた人たちの興を喚起することはあっても、市中の誰かの魂を揺さぶるものにはならないだろう。あくまで、自分の内側から突き上げてくるものを、どう展開すれば小説世界の中に完璧に描けるか、そのための表現方法を探るべきなのだ。

 ただ、書き上げた作品について、どんな人が読者さんになってくれるだろうか? と考えてみることは大切だ。「沙羅と明日香の夏」を書いた時、私は中高生にも読めるようにと、漢字その他の表記にずいぶん気を配った。読者を想像してみて多少の表現を変更することは、自分の世界に人を招き入れる者として、当然必要なことだと思う。

  ところで、ここまで「小説」という言葉を自分勝手に使って書いてきたけれど、それは純文学を念頭に置いていたのであり、エンターテイメントを主眼とする小説となると、たぶん、この限りではない。もとより、どんな小説があってもいいわけで、実際に、現代小説の主流は、少し深いもののあるエンターテイメント系になっている気がする。私もその線に近づけて「時鳥たちの宴」を書いてみたりした。読者さんたちの反応は、たいへん良かった。だから、職業としての作家を目指す人たちから見れば、前述の私の論などは、売る気のないアマチュアの傲慢さに過ぎないのかもしれない。

 それでも、私はやはり傲慢に書いていこうと思う。「時鳥たちの宴」には面白いという評が多く集まったが、意図した核心部分はどれだけ響いていたろうか? 他の三作への感想とは、質的に明らかな違いがあった。

 魂の通う誰かに向けて、魂を込めたものを書く。むやみに多くの読者を望まないことにしよう。

 

      


たまには文藝界の空気を

2023-04-25 22:10:55 | 千里の道

4月20日。第三回加賀乙彦顕彰特別文学賞(四方田犬彦氏の『戒厳』)の受賞を祝う会で東京へ。場所は例によって西新宿の嵯峨野です。

岳真也先生はもちろん、三田誠広先生にもお目にかかり、文藝家協会への推薦のお礼が言えて良かったです。「僕って何」の文章から滲み出てくる雰囲気どおりの、威張ったところのない、誠実で優しいお人柄が感じられました。

藤沢周さん(先生と呼べるほどに、私はまだ認知されておりませんので、さん付けで呼ばせていただきます)ともお話ししたいと思っていたのですが、席が遠くて叶わず残念でした。氏の「世阿弥最後の花」は、ほんとうに惚れ惚れする文章でした。また、次の機会を待ちます。

四方田さんの「戒厳」については、読んでから行こうと思ったのですが、身辺慌ただしく間に合いませんでした。四方田さん、ごめんなさい。😅 これから読ませていただきます。

何人かのFBの友人や、小説書きの仲間たちにも会えて、自分がいるべき場所を再確認できた思いです。たまには老母から離れて、文藝世界の空気を吸ったほうがいいと思いました。

私の東京行きのために母の世話を代わってくれた姉に感謝です。

写真は遠くから撮ったためか、シャッターチャンスが悪かったか、それともスマホのカメラがおかしいのか、ボケてしまいましたが、雰囲気だけは分かるかと思います。

 

     

 


新しい出会い

2023-03-13 21:24:09 | 時鳥たちの宴

このところ、物書きの友が増えています。かつてのブログの友人「夢追い人」さんとの再会もあれば、新しい出会いもありました。「文藝軌道」という同人誌で10年ほど活動されてきた小説家の小田部尚文さんです。「プロポーズアゲイン」「ごじゃっぺ」など単行本も出版されています。(Amazonでご覧ください)

フェイスブックで知り合い、私の「時鳥たちの宴」にご感想をくださいました。

大変に優れた作品だと思います。中世の文学、平安時代の歌を巧みに用い乍ら、現代の若者たちの行動と心理をそこに当てはめていく。面白い試みだと思います。若い人たちの心理を巧みに描き出しています。これだけの作品は国文学を学んだ人にしか書けません。

通常、小説には主人公以外多数の登場者を入れると読者には分かりにくくなり、混乱をきたしますので、出来るだけ登場人物を絞ります。

この作品には浮橋教授以下男女約8名が登場し読み手には多少重荷になりますが、それが一人一人個性豊かに描かれており読者を飽きさせません。

特に浮橋ゼミの中での若者たちのやり取りは生き生と描かれており、読者をまるで学生になった気分にさせてくれます。

P97の「法律のことは分からないけど・・・円満に暮らしていけるんじゃあないかしら」この部分は曖昧性を見事に語っています。そうですよね、曖昧とは人生の潤滑油なんですね。

P194の「三人はそれぞれ・・・・どれもけなげで、すこし哀しい」ここは名文です。この小説は全体的に美しい文章で溢れています。

女性作家が男性を描くと描かれる男たちは女性のように描かれてしまいます。全体の印象は男性が女性のようで少々大人しい印象がしました。それは平安時代を現代風に描くという著者の意図なのかもしれませんが。

216Pから始まる浮橋教授とのやり取りが現実味があって面白い。

男のエゴが良く描かれています。ああいう場面では男は教授のような態度をとるのでしょうね。私も結婚相手ではない女性を妊娠させたら浮橋教授のような行動をするでしょう。男の読者はあそこを読んで「はっ!」とします。良く描かれています。余計なことですが、私には身に覚えはありません。そんなことはどうでもよろしい!ですよね。

とまあ、勝手なことをずらずらとお書きしました。今後の更なるご健闘を祈っています。大変面白い小説でした。

小田部さん、とてもご丁寧に読み込んでいただき、ありがとうございました。

男性の描き方など、いただいたお言葉を今後の創作に生かしていきたいと思います。

 

私も小田部さんの「ごじゃっぺ」を読ませていただき、痛快でしたので、少し、ご紹介します。

茨城弁丸出しで、見た目も冴えず、女性にもてない銀行員が、大活躍して支店を立て直し、ついに恋人を得るお話なんですが、その大活躍の描かれ方がすごい。Amazonの内容紹介欄にもありましたが、まさに快刀乱麻を断つ活躍です。

一方で、恋人と訪れる沖縄の小浜島のハイムルブシのところなどは、この上なくロマンチックに描かれていて素敵です。私もそこに行ってみたくなりました。

全体的に描写がお上手で、それぞれの場面にみな臨場感があり、目の前で見ているような気分にさせられます。こうした点は、脚本に近いものがあるように思いました。銀行の人事とか、融資関係の業務とか、一般預金者には見えない世界が描かれていることにも興味が引かれます。

ある文芸評論家さんは「茨城弁で毒沼を罵倒するシーンはユーモアに富んでおり雷太の真骨頂ともいうべき名シーンである」と述べられたそうですが、確かに、この終盤のヤクザとのやりとりは、快男児「ごじゃっぺ」の本領発揮です。筆が乗っていてリズムが良く、すっかり引き込まれてしまいました。とにかく胸のすく面白さでした。

興味を引かれた方は、ぜひAmazonでお買い求めください。茨城県をはじめ、全国の多くの図書館にも配架されているようです。

私の書く小説とはタイプがまったく異なりますが、創作上、考えさせられることは多々ありました。良き「書き友」を得られたことに感謝したいと思います。そして、驚いたことに、小田部さんは、私の「かがく塾」の師・岳真也先生と大学で同期だったそうです。人の縁とは不思議なものですね。

 


      


一期一会というけれど

2023-02-18 17:43:08 | 時鳥たちの宴

つい先日のことです。ツイッターに思いがけない方から返信をいただきました。目

数年前に閉鎖されてしまったyahooブログのお友達で、ブログの閉鎖とともに音信不通になっていた方です。その頃のブロ友さんたちは、ごく一部の方を除いては、みんなどこかに散らばって行かれ、一期一会だなと思っておりました。

偶然私を見つけて声をかけてくださったのは、夢さんとお呼びしていた「夢追い人」さんです。「セイラさん」と懐かしい呼び名で呼ばれ、当時の空気が一気に蘇ってきました。ご縁のある方とは、また繋がっていくようです。ニコニコ

彼はあれからまた一冊出版し、この三月にもう一冊、新作を出すとのことです。夢を追い続けているんだなぁと、嬉しくなりました。さっそく彼の著書「遍路で辿るもう一つの伊豆」を購入し、Amazonにレビューを書かせていただきました。新作は「伊豆で宇宙の平和を願う」だそうです。

 

夢さんからは、私の「時鳥たちの宴」に次のようなご感想をいただきました。

本書を読んでいると直木賞を受賞した「青春デンデケデンデケ」が思い浮かびました。どちらも青春を題材にしており、読者はまぶしいばかりの青春を羨むが、主人公達はそのような実感はなく、悩み、苦しんでいるのに、どこが眩しいんだ、と主張している部分が共通していると感じました。

作者は、人の心のひだを、文章を使ってキャンバスに描き出そうとする画家を想起させます。しかも右手と左手を交互に使い分けて作品を描いている。

そして、時に、描いている作者自身がその中に登場する。しかし、それは実際の作者ではない。作者は作者にしか分からない方法で作品に登場している。どこに自身の実体験を投影させているのだろう? と、読者が描かれた絵の中に作者の姿を探しているのを、作者が楽しんでいる様子が目に浮かびます。

う~ん、夢さん、なかなか視点が鋭いではありませんか。笑

そうですね、作品は作者の投影ですからね。登場人物の誰かということではなく、あらゆるところに密かに登場している、と私自身も思います。

貴重なご感想を、ありがとうございました。 ショートケーキコーヒー

これを機に、また繋がったご縁を大事にしていきたいと思います。

 

限定販売の「時鳥たちの宴」は、出版社に、あと二十数冊を残すばかりとなりました。興味を持っていただけましたら、ぜひAmazonでお買い求めください。

内容紹介

ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人の大海豊から手紙が届きました。

遥は、大学時代に浮橋邸で催された「平安の宴」を思い出し、胸が小さく疼きます。あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。その、魂を誘うような光の舞いを脳裏に浮かべてうるうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引き込まれていきます。

そこは、国文学科の浮橋ゼミ。そこに集った若者たちに訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛のゆくえは?

青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説です。

 

       

       


突然、訪れた介護

2023-02-12 18:34:38 | 空蝉

しばらくご無沙汰してしまいました。実は、昨年十二月、母が骨折で入院しました。

幸い軽くて、年末には退院できましたが、もともと膝が悪くて歩行が覚束なかったところへ、入院で筋肉が弱って、介護が必要な状態になってしまいました。それで、このひと月余り、初めての介護に奮闘していたというわけです。

今まで人様のお話は耳にしていましたが、なるほど介護って、自分でやってみると、ほんと!大変!! 😆 もう、腰や膝が痛くって、特に入浴の介助は大仕事です。夜中も二度トイレに付き添うので睡眠不足になり、わずかに空いた昼の時間が昼寝で潰れてしまいます。介護で最も辛いのは、自分の時間が無くなってしまうことだと、身を持って知りました。

 

お蔭で、母の骨と筋力は順調に回復してきて、今では一人でベッドから立ち上がり、部屋に付設したトイレに、なんとか一人で入れるまでになりました。シルバーカーに掴まれば庭を歩くこともできます。私もようやく、少しゆとりが出てきました。😊

と言っても、骨折の原因は膝が駄目になったことによる転倒です。昨秋、三度も転びました。

これまでは週に三日、母の家へ行って手伝いをしてきましたが、もう、一日も一人にはしておけず、何かと眼の離せない状態になってしまいました。

 

昨秋、転倒する前に、母自身が、あれだけ愛していた畑を、「もう、やれん。これでお仕舞いにする」と言いました。私は、(何を言ってるのよ。来年の春になったらまた、やると言うに決まっているのに)と思いましたが、母には自分の体の限界が分かっていたんですね。🥲

母の入院中に、私は畑に残っていた菜や里芋、大根などを残らず掘り上げて、大事に我が家に持ち帰りました。今までは、貰っても時々腐らせていた野菜が、とても愛しく大切なものに思われて、ほんの小さな芋でも、皮をむくのが面倒でも、けっして捨てずに調理しました。

 

いつかは来ると思っていたその時が、突然やって来ました。また、新しい生活の始まりです。

夜空の星を見上げながら、「なんとか乗り越えられますように。僅かでも自分のことを続けていけますように」と、私だけの守り神様に祈っています。🙏


ささやかなお年玉をもらってくださる方募集

2023-01-06 19:12:48 | 時鳥たちの宴

明けましておめでとうございます! 晴れ

実は、母が12月の始めに軽く骨折しまして、年末に退院したばかり。今年、初めて、介護というものの大変さを経験している私です。ともあれ、大事には至らず、まずまず平穏で、ありがたい年明けとなりました。

その感謝の気持ちをこめて、どなたかに、ささやか~~なお年玉をお贈りしたいと思います。受け取ってくださる方があれば、今年はきっと良いことがあるような気がしています。

 

さて、お年玉とは・・・

昨年の五月に出版しました、緋野晴子の小説「時鳥たちの宴」です。笑

お蔭様で、Amazonではあと2冊、出版社にも20~30冊しか残っていない状況となりました。私(作者)の手元には、まだ数冊残っています。その数冊を、このまま手元に置いて眠らせておくより、有名作家以外の人の小説も発掘してみたい、と思っておられる方に、ぜひ読んでみていただきたいのです。

「Amazon本」に掲載されているカスタマーレヴューも、ぜひご参照ください。

 

無料(送料込み)で送らせていただきますので、興味のある方は、コメントでお声をかけてください。ご感想の要求などは、いっさい致しません。ただ読んでいただければ嬉しいです。

(無料ということに抵抗のある方は、Amazonのカスタマーレヴュー欄にある評価の★を、正直にポチっと押していただければ、作者は大いに喜びます。爆  笑

ほんの数冊しかありませんので、お申し出順とさせていただきます。

よろしくお願いいたします。コーヒー

 

【内容紹介】

ある日、三十歳になっている宮川遥のもとに、友人の大海豊から手紙が届きました。

遥は、十年前に浮橋邸で催された「平安の宴」を思い出し、胸が小さく疼きます。

あの七日月夜に、どこからか現れて、暗い竹林をさまよっていた黄色い蛍火……。

その、魂を誘うような光の舞いを脳裏に浮かべてうるうちに、遥の意識は遠ざかり、記憶の奥に広がる、甘やかで異質な風の吹く世界へと引き込まれていきます。

そこは、大学の浮橋ゼミ。

そこに集った若者たちに訪れた恋は、彼らに何を見せ、どんな痕跡を残したのか? そして、恋と愛のゆくえは?

青春純愛物語ではなく、男と女のドロドロ劇場でもない、一味違った恋愛小説です。

平安時代の風俗や恋愛観も垣間見え、古典好きな方はもちろん、古典の苦手な方も大いに楽しんでいただけると思います。