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セイピースプロジェクトのブログ

【原発】広島・長崎と隠された内部被曝

2011年05月10日 | 原発・震災
広島・長崎と隠された内部被曝(1)

 去る4月21日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、福島第1原発事故を受け、原発の周辺住民や作業員に「健康管理手帳」を交付し、定期的な健康診断を実施するよう求める要請書を菅直人首相と東京電力、厚生労働省などに提出しました。東京都内で記者会見した田中煕巳事務局長は「被爆者として放射線被害に苦しんできた私たちは非常に心を痛めている。放射性降下物による障害は、相当の時間がたってから現れることがほとんど。被災状況をきちんと記録しておくことは重要だ」と指摘しました。
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042101001163.html

内部被曝や低線量被曝を過小評価するとして批判されているICRP(国際放射線防護委員会)の基準は、いかにしてつくられたのでしょうか。ICRPの基準の元になっているのは、広島・長崎の大多数の原爆被害者を対象にした膨大な調査データです。ABCC、放影研と続く被爆者調査は、世界に類例のない規模と調査期間のために、権威を持って「科学的」で「国際的な」放射線影響に関する「常識」として学会に蔓延し、国際的な基準として用いられていったのです。しかしそれは、原爆の被害を初期放射線による外部被曝の影響だけに限定し、長期にわたって続く残留放射線の影響、特に内部被曝の被害を隠蔽しようとしたアメリカの核政策に基づいていました。

●原爆による放射線被害
 
原爆の放射線は、原爆の爆発後一分以内に放出された初期放射線と一分以後に放出された残留放射線に便宜的に区分されています。初期放射線には、原爆から放出された中性子線とガンマ線、さらにこれらを途中で吸収した大気中の原子核から再び放出されたガンマ線などがあり、近距離の直爆被爆者は体外から初期放射線を瞬間的に浴びました。残留放射線には、広い範囲にわたって原子雲から放射性降下物になって降下した放射性物質から放出されたものと、爆心地に近い地上や地表近くで初期放射線の中性子を吸収して放射化された放射化物質から放出されたものがあります。残留放射線による被曝では、体外からの被曝もさることながら、内部被曝の影響が深刻になります。初期放射線の影響がその到達地域に限定されるのに対し、残留放射線の影響は無限定に広がり、長期間影響が継続するのです。

●占領直後から始まった隠蔽政策

米国政府は原爆投下の非人道性と国際法違反の批判を怖れ、日本占領直後から原爆被害隠蔽の政策をとりました。1945年9月6日、マンハッタン計画の医学部門責任者であったファーレル准将が急遽東京入りして、「広島・長崎では死ぬべき人が死んでしまい、9月上旬において原爆放射能で苦しんでいるものは皆無だ」と残留放射線の影響を否定する声明を発表しました。その後、占領軍は被爆関係の報道を一切禁止するプレスコードを引きました。
日本政府はこの政策に従い、被爆者がもっとも苦しんでいた被曝後の12年間、何も被爆者援護の対策をとりませんでした。1954年のビキニ事件をきっかけに国民的規模の原水爆禁止運動が高まるなか、漸く1957年に「原爆医療法」がつくられました。被爆者には原爆被爆者健康手帳が支給されたほか、傷害が原爆放射線の影響であり、現に医療を要すると厚生大臣が認定すれば、医療と生活補助の特別手当を支給する制度(「原爆症認定制度」)が出来ました。
 しかし問題なのは、ここにおける法律上の「被爆者」とは、原爆爆発時に当時の広島市内または長崎市内にいて直爆を受けた被爆者(1号)、原爆投下後2週間以内に爆心地から2km以内に入った入市被爆者(2号)、市内に入らなかったが多数の被爆者の救援にあたった救護被爆者(3号)、およびこれらの被爆者の胎児であった人(4号)とされており、残留放射線の影響が事実上なかったものとして扱われていることです。残留放射線の影響は決して2週間でなくならず、2km以内に留まらないということは、原爆被害者の実態からも、放射性降下物の性質からも明らかです。
 原爆症認定についても、当初は100%近い被爆者が認定されていましたが、残留放射線による被曝影響を隠蔽する政策に次第に傾斜して、認定基準は年々厳しくなっていきました。


●認定基準の元になったABCC、放影研の調査

 こうした日本の原爆症認定の基準に用いられてきたのは、ABCCと放影研の疫学研究の結果です。1946年にトルーマン大統領命令に基づき広島と長崎に設置されたABCC(原爆傷害調査委員会)の目的は、アメリカが核兵器を用いた戦争を遂行するために、初期放射線による被曝影響を調べることでした。その研究結果は原子力政策に利用することはあっても、被爆者救済の視点は全くありませんでした。
ABCCは被爆者の放射線の被曝線量ごとに区分し、各区分の傷害発症率や死亡率を被曝しない集団と統計的に比較して、被ばく線量による影響を研究しました。ここで問題なのは、ABCCが2km以遠にいた遠距離被爆者や入市被爆者を「非被爆者」とし、初期放射線を浴びた「被爆者」に対する影響を引き出すための比較対照集団として扱ったことです。ABCCは残留放射線の影響を無視する統計データ処理を行ったのです。このような姿勢はABCCが閉鎖され、日米共同運営の放影研(放射線影響研究所)が発足した後も引き継がれました。

●放射線線量評価、DS86において隠蔽された内部被曝

ABCCの調査にも、原爆症認定の基準にも用いられているのがアメリカによる放射線量評価です。これは、被爆者が浴びた放射線の量を調べるために、米国が日本家屋を用いた核実験のデータに基づいてコンピュータ計算を行い策定したものですが、ここでも残留放射線についてはほとんど評価が行われていません。唯一、放射性降下物について評価を行った「1986年放射線評価体系(DS86)」にも、次のような問題点があることが指摘されています。

○被爆後時間が経ってからの調査(一番早くて49日後)で、台風や風などによって放射性の埃がなくなってしまった後の調査にもかかわらず、放射性の埃がそのまま残っているものとして線量計算をしていること。
○測定がガンマ線に偏っていて、肝心のベータ線やアルファ線を無視していること。
○ホールボディカウンターによる内部被曝の影響調査が、生物学的半減期が過ぎた後の測定であること。
 
 残留放射線による被曝影響、とくに重要な内部被爆の影響を一部の放射性降下物の物理的測定だけによって知ることは出来ません。事実、DS86の線量評価では、2.5km以上の遠距離被爆者や入市被爆者の間で多く発生している急性症状を説明することはできません。残留放射線の影響は物理学的測定ではなく、被爆実態にもとづいた生物学的方法によるしかないのです。
 ここで指摘されているような問題点は、現在の福島原発から放出された放射性物質の影響評価においても、現れているのではないでしょうか。放射性微粒子による内部被爆の影響を、私達は決して過小評価してはいけません。そのことは広島・長崎の被爆の実相が示しているのです。

 次回は、こうした残留放射線の影響を過小評価する日米政府の姿勢に対し、原爆症認定訴訟という形で闘い、科学的に残留放射線被爆の影響を明らかにしていった被爆者たちの運動をおっていきたいと思います。

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