小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

少子化対策と女性の活用という「二律背反」政策を、安倍内閣はどうやって実現するか。

2014-06-04 06:36:08 | Weblog
 政府が、将来の急激な人口減対策を講じるため、安倍総理を本部長とする総合戦略本部を設置する方針を固めたという。一方政府が推進する女性の活躍促進のための新たな成長戦略がまとまった。 
 日本の将来を考えると、非常に大切なことだ。
 私はしばしば安倍総理の方針に批判的なブログを投稿してきたが、そのエネルギッシュな活動には感動すら覚えていることも事実である。とくに海外を飛び回り、日本産業界の営業本部長として日本の技術力を売り込んでくれていることには感謝の念を惜しまない。
 1970年代以降、少子化は先進国に共通した現象でもある。一方医療技術の発達によって平均寿命が延び、21世紀に入って先進国は高齢化社会に入っていった。平均寿命が延びたため、人口は目立った減少を示していないが、いずれ人口減が社会問題として浮上するのは避けられない。
 アメリカだけが人口増を辛うじて維持しているようだが、公表されていないので詳細は不明だが、白人系人種以外の人口増によってプラスを維持しているのではないかと思われる。一般的に先進国では女性の社会進出の機会が増え、とくに若い女性の価値観が大きく変化しつつあることが少子化につながり、人口減少の時代に入ったのではないかと思う。男性が働いて家庭を支え、女性は家庭を守り子どもを育てる、といった伝統的な「男女の役割分担」の構造に対する女性の「反乱」といってもいいかもしれない。
 女性の社会進出の機会が増えて自立心が高まることは、長い目で見れば決して悪いことではない。ただ先進国の中でも、日本の人口減は突出している。あまりにも急激な変化に社会のいろいろな仕組みがついていけず、さまざまな分野でひずみが生じていることは見逃せない。
 日本では一人の女性が一生に産む子供の数に相当する合計特殊出生率は、2012年は1.41で、人口維持に必要な2.07を大幅に下回っている。このまま人口減少が進むと50年後には現在の人口の1億2730人より3割減の8670万人に落ち込むという。民間の有識者会議「日本創成会議・人口減少検討分科会」(座長・増田寛也元総務相)によれば、2040年には全国の1800市区町村の半分が消滅する可能性があるという。どんな社会になるか、想像もできない事態だ。
 日本の人口が減少局面に入ったのは2005年以降。が、それから約10年、政府はほとんど何の手も打ってこなかった。今、ようやく安倍内閣が少子化対策と女性の社会的活躍の機会増加という、考えようによっては二律背反の課題に正面から取り組もうとしている。この大きなテーマは別々の組織で対策を講じても矛盾を拡大するだけという危険性もはらんでいる。政府の有識者会議そのものを一本化して、少子化対策と女性の活用を両立できるシステムをこうじないと、政策に整合性が失われてしまう可能性がある。
 さらに、大都市と地方の格差の進行という問題もある。
 2040年には全国1800市区町村の半分が消滅するとの予測を発表した日本創成会議によれば、三大都市圏への人口の純流入数は2013年に約9万人に達したという。創成会議が注目したのは、出産に適した年齢層の20代、30代の女性の人口の減少である。2040人には896の市区町村でこの年代の女性が5割以上減り、このうち523の市区町村は人口が1万人未満になると予測する。仮に全国の女性の出産率が増加に転じても、これらの自治体の人口増には結びつかず、「消滅する恐れがある」としている。
 一方首都圏はどうかというと、地方からの人口流入が続くにもかかわらず、東京都23区では女性の人口は10.2~50.8%も減るという。住居費や生活費がかさむためと考えられる。都内の出生率は全国で最も低く、子育ての環境が厳しいからのようだ。創成会議は、2012年には1.41だった合計特殊出生率を、25年までに1.8に高めるための対策を講じることを政府に求めている。具体策として会議は、保育所付きのマンション整備によって子育て世代を応援するほか、企業ごとに社員の出生率を公表させて女性の就業と子育ての両立を提案している。それでも人口減が止まるわけではない。減少傾向にややブレーキをかける程度の効果しか期待できない。
 私は、安倍政権が発足した直後の2012年12月30日に投稿したブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』でこう書いた。

 まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共事業による経済効果の2点である。(※これに「成長戦略」が加わってアベノミクスの三本の矢になる)
 金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。日銀が金を貸す相手は一般国民ではなく、主に民間の金融機関である。ではたとえば銀行が二流、三流の中小企業や信用度の低い国民にじゃぶじゃぶ金を貸してくれるかと言うと、そんなことはありえない。優良企業が銀行から金を借りなくなってからもう20年以上になる。いくら優良企業といっても、銀行が融資する場合は担保を要求する。そんな面倒くさいことをしなくても優良企業なら増資や社債の発行でいくらでも無担保で金を集めることができるからだ。(中略)
 とにかく市場に金が出回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子どもや孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然
内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も
一気に解消する。そうすればさらに内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。(中略)
 その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その考え方を変えなければならない。相続税の負担は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税を支払うだけでなく被相続人は収入として確定申告を義務付けることである。(中略)いずれにせよ、相続税を軽く贈与税を重くしてきたのはそれなりの時代背景があったと思うが、時代背景が変われば課税の在り方についての発想も転換する必要がある。税金に限らず専門家は従来の考え方からなかなか抜け出せないという致命的な欠陥をもっている。私たちはつねに従来の考え方(つまり常識)に疑問を持つ習性を身に付けるように心がけたいものだ。そうでないと日本はこの困難な状況を脱することができない。

 この主張の一部はすでに政策化されている。定年は65歳に延長されたし、相続税も非課税限度額が引き下げられた。孫への教育援助という限定つきだが孫一人に付き祖父母が1500万円までは非課税で贈与できるようにはなった。が、それがどれだけ経済の活性化にプラスになったかというと疑問がある。活性化されたのは学習塾の経営だけではないのか。それでは贈与による若者層の収入が増えて内需が拡大し、企業も定年65歳制にスムーズに移行できたわけではない。定年65歳制への移行によって若年労働力が企業側に買いたたかれる結果を生んだだけだ。
 ただ、このときの私の「贈与税を低く、相続税を高く」という提案は、経済活性化という視点だけだった。いま改めて考えると、少子化対策(つまり子育てと仕事の両立)や女性労働力の活用にもつながる手段ではないかと思う。安倍内閣は今月中に策定する新たな成長戦略に、女性労働力の活用を重点目標として盛り込むという。
 具体的には、公務員への女性職員の採用・登用に国が率先して取り組むこと、そのため全省庁の次官級による「女性活躍・仕事と家庭の調和推進協議会」を設置する。企業に対しても有価証券報告書に女性役員の比率の記載を義務付ける一方、女性登用に積極的な企業に対しては公共事業などの受注機会を増やすという。育児休暇中の代替要員の確保や復職の環境整備を行う企業への支援も充実する。さらに「小1の壁」(※幼児を保育園に預けていた就業していた母親が、子供が小学校に入学すると共稼ぎができなくなる状態のこと)とされる共
稼ぎ家庭の小学生を放課後に預かる「放課後子ども総合プラン」も策定、自治
体に制度化を求める。保育園に子供を預けることができずに働けない母親のため、育児経験のある主婦らを対象に保育士をサポートする出来る資格を創設する。――安倍内閣は、2020年にはあらゆる分野で指導的地位の3割以上を女性が占める社会を目指すとしている。
 そうした計画には私も大賛成だが、そうした社会の要請に女性が応えてもらわなければならない。責任ある地位に就くということは、自分の頭で考え、判断し、決断し、行動するという能力を女性自身が身に付けてもらうしかない。ただ肩書だけ与えても、上司の判断は無批判的に受け入れるといった姿勢を変える覚悟がないと、責任ある仕事はできない。それは社会の責任でもあるのだが、そうした自立精神の育成を学校教育や家庭教育で育てようとしてこなかったせいでもある。私が知っている限り、女性の多くは残念ながら論理的思考力に乏しいと言わざるを得ない。
 ある全国紙の読者窓口のスタッフのことだが、最近女性の登用が目立つ。ある時、電話して対応が何となく気になったので「貴女、どういう分野の記者だったの?」と聞いたら「私は記者出身ではありません」と言う。これは女性の登用というより、読者をバカにした配置としか思えない。また、あるとき「男性のスタッフとは話もできるのだが、女性は聞くだけだね」と皮肉を言ったら「配属されたとき、そう言われましたので」と率直な返事が返ってきた。人間録音機に高い給与を払える大新聞社の優雅な経営もうらやましいが、そういう仕事を押し付けられて「バカにするな」と反発しない女性社員にも問題がある。またそういう仕事のさせ方をしてきた企業で、女性社員が自立心を育てることは難しい。そういうことも含めて、「女性を活用する社会」より「女性の能力を育てられる社会」に変革していく仕組みづくりが大切なのではないかと思う。
 
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