小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

人工知能はどこまで進化したのか!?

2017-06-26 07:40:26 | Weblog
 衝撃だった。
 昨夜(25日)のNHKスペシャルを見た人は、おそらく私と同じく大きな衝撃を受けたと思う。番組のタイトルは『人工知能は天使か悪魔か』である。
 何が衝撃だったか。
 人工知能が、人間の領域にどんどん進出していることは私も知っていた。
二人が対戦するゲームでメジャーなのはチェス・囲碁・将棋の三つである(テレビゲームは除く。オセロもまだメジャーにはなっていないと思う)。チェス・囲碁はとっくに人工知能がその世界のチャンピオンに勝ってきた。が、将棋は難しいといわれていた。
その理由は、チェスや囲碁は対戦相手の駒をとれば、その駒は二度と使えないが、将棋はとった対戦相手の駒を自分の駒として使えるからだ。
が、すでに人工知能は二度にわたって佐藤名人を破った。そのことはすでにテレビや新聞などで報道されていたので、私も知っていた。佐藤名人はかつて7冠に輝いた羽生名人を破って名人の座に就いた棋士だ。年齢も29歳で、棋士としては最も脂がのっている世代だ。
ただいかに天才的な棋士と言えど、人間だから記憶力には限界があるし、またミスを犯すことも絶対にないとは言えない。とくに将棋という長時間の戦いでは肉体的にも精神的にも疲労度はかなりあると思う。棋士に比べ人工知能のコンピュータは、何時間対戦を続けても疲労することはない。人工知能が佐藤名人を二度にわたって破ったのは、疲労による佐藤名人のちょっとしたミスの一手に付け込んだ結果だと思っていた。人間同士の対戦だったら、相手も同じく疲れているから対戦相手のミスを見逃してしまうこともあるが、人工知能にはそういうことはない。それが、人工知能が佐藤名人に連勝できた理由だと、私は思っていた。おそらく多くの人たちもそう思っていたと思う。
が、そういう私の思い込みは完全に間違いだった。そのことを分からせてくれたのが昨夜の『Nスぺ』だった。先手の人工知能が私のような素人でもやらないような差し手を打っていたのだ。
第1戦では、人工知能の初手は金を飛車の隣に動かしたのだ。佐藤名人はその一手で頭を抱えてしまった。
第2戦では人工知能はいきなり王を動かした。
この人工知能を開発した天才プログラマーは70万に及ぶ棋譜をコンピュータに記憶させたという。しかし、人工知能が記憶している棋譜の中に、初手で金を飛車の隣に張り付けたり、王をいきなり動かしたりした棋譜はあり得ない。つまり佐藤名人と対戦した人工知能は、人間の経験則の中から最善と思われる差し手を採用したのではなく、プロの棋士だったら絶対に打たない差し手を自ら「そうぞう」したようなのだ。私が「そうぞう」と書いたのはイマジネーション(想像)とクリエイティビティ(創造)の両方の意味を含ませたかったからだ。
そこで当然生じる疑問がある。ひょっとしたらこの人工知能を開発したプログラマーが、遊び心でそういう差し手を打つようにプログラムしたのではないかということだ。
『Nスぺ』のスタッフもそういう疑問は持ったようだ。で、人工知能を開発したプログラマーにその疑問をぶつけている。が、プログラマー自身が「自分にも分からない」と答えている。プログラマーが意図的にそういう差し手をプログラミングしたのでなければ、人工知能が自らプロ中のプロと対戦する場合の差し手を考案したとしか考えられない。
人工知能は本当にそこまで進化したのか。そうだとすればいったい人間のアイデンティティはどうなるのか。イマジネーション力とクリエイティブ力は人間のアイデンティティの最後の砦だ。が、その分野まで人工知能が踏み込んでくるとなると、人間はどこに自らのアイデンティティを求めたらいいのか。
私が深い衝撃を受けた一点はそこにある。

ただ今でも、私は本当に人工知能がそこまで進化したのかという疑問は持っている。