美ら海にもやんばるにも基地はいらない市民の会

沖縄県は日本全体の0.6%の面積。そこに在日米軍基地の74%がある。負担軽減の名の下に更に今新基地建設が進められている。

8月8日に亡くなった翁長雄志知事の「思い」の一端がわかるインタビュー

2018-08-16 08:43:05 | 全般
TBSラジオ 荒川強啓デイキャッチ(2018.08.13.)ボイスのコーナーで、
ジャーナリスト青木理さんが3年前(2015)の翁長知事インタビューを振り返って翁長さんの人となりなどお話しをしていました。
保守本流といわれる翁長さんが、なぜ安倍政権と対峙し、辺野古基地建設反対を訴え続けたか、その思いを知ることができます。
以下ざっくりとした書き起こしで、青木さんの感想と翁長さんの言葉が混ざって少々読みづらいですが、読んでみてください。

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・一番思い出深く、重くて考えさせられる、且つ励まされるインタビューだった。

・翁長さんは変わったんじゃないかと言われた。沖縄の名門政治一家で那覇市長もされて、一時期は自民党沖縄県連の会長も務められた。つまり筋金入りの保守派の政治家だったじゃないかと。にもかかわらず、いまはいわゆる野党と米軍基地反対をしている。
しかし翁長さんは、「私は変わっていない、変わったのは本土の政治家の方だ。」「私は最近の本土の政治を見ていて2回切れたことがある。それが辺野古移設反対を掲げて知事選で闘おうと思ったきっかけだった。1つは沖縄戦での集団自決について、旧日本軍の命令があったというのを歴史教科書から消そうとする動きが2006-2007年にあった、あれは祖父などから聞いてもどう考えても本当のことなのに、なぜそれを教科書から削るのか、許せなかった。」 その時沖縄では大反対の声が起こり、10万人の大集会があった。それに出ながら、翁長さんは、「一体今の本土の政治は何なんだ、という思いをものすごく強くした。」と言う。もう一つは、2013年翁長さんが知事になったあと、サンフランシスコ講和条約が結ばれた日(4/28)を今の政権が、天皇皇后を招いて「主権回復の日」として祝典を開いた。その日は沖縄にとっては、アメリカ軍の支配下に入った「屈辱の日」なのに、その日を選んで、わざわざ記念日にして祝典を開くなど、沖縄のことを知っている人なら絶対に考えられないような振る舞いだった、この2つで翁長さんは切れちゃったというんです。つまり、翁長さんが変わったんじゃなくて、本土の政治が変わった。

・沖縄は先の大戦で本土の捨て石にされ、4人に1人が亡くなるような犠牲を強いられた。その後も切り捨てられて27年も米軍統治を受け、その後も今現在70%の米軍基地を抱えている。それについて、「考えてみてください。沖縄が本土に甘えてるんですか?本土が沖縄に甘えているんですか」とおっしゃっている。

・「日本は戦後、民主主義の国になった、それから高度経済成長もした、というけれど、日本ではある種マッカーサーから与えられた民主主義を謳歌していたけれど、その間沖縄では県民が、自分たちの人権を守る、こどもたちの将来を守る、自治権獲得のために、本当に血を流すような努力をしてきたんだと。だから私達の心の中にはこんな思いが湧いちゃうんです。日本国にあれだけつくして、そしてあの27年間、米軍統治の27年間は何だったのか。日本は戦後、これは自民党政権がほとんど担ったんですけど、私達は戦死者を一人も出していません、平和の日本を造り上げてきました、高度経済成長もやってきました、とおっしゃるけれども、沖縄の側から見ると、それが出来てきたのは、27年間も沖縄に米軍を預けて、ベトナム戦争ではB52がそこから毎日飛び立って行って、枯葉剤から何からまだ残っている状況の沖縄をベースにしながら、それをやってたんじゃないかという思いが消えないんだ。」

・かつての自民党政権ていうのも沖縄に基地を押し付けていたというのでは変わらないんですよ。それは歴代政権がずっと70%の米軍基地と言うのを押し付けてきたんだけれども、しかしある種の情と言うかある種の沖縄に対する理解と言うか、沖縄の歴史に対する知識とか、沖縄の苦しみに対する思いやりとかがあったと。たとえば、野中広務さんもそうだし山中貞則さん、小渕敬三さんもそうだし、梶山静六さんなどの名前を上げられて、野中先生などは基地問題の話をされるときには、「翁長君、済まん、申し訳ない、と言って一介の県議にすぎない私に頭も下げる。」あるいは彼(翁長さん)が一番びっくりしたのは後藤田正晴だったという。
後藤田さんが引退した89歳ころの話だったんだけども、15分くらいの予定でお話しをする機会があったんだけど、ところが1時間を超える対応をしてくれた。この中で後藤田さんがふと「おらはな、沖縄にはいかんことにしてるんだ」と言う。翁長さんは、これは沖縄が後藤田さんに失礼なことでもしたかと問いただしたら「沖縄県民に申し訳なくて、顔を見きれんのだよ」と言った。後藤田氏は戦前は内務省に入って、戦後は警察庁でずっと警察官僚としてずっとのして行った人ですけれども、戦争のことを知ってるんですよね、沖縄を切り捨てて地上戦をやったということを知っている。
だからかつての自民党の政治家の人たちって言うのは、大枠でいうと沖縄に基地を押し付けているという構図は変わらなかったし、沖縄にとってはそういう意味では同じなんだけれども、しかし少なくとも沖縄の苦しみというものを知っていると。それからたとえば基地にせよ、経済振興策にせよ、何にせよ、やってやってるって言うのじゃなくてむしろ申し訳ないという思いを胸に抱きながらやっていたと。
ところが、翁長さんは、今の政権に対する憤りなんですよ。つまり教科書から沖縄戦の集団自決の軍の関与を削るというのも第1次安倍政権ですし、それから主権回復の日と言うのも第2次安倍政権なんですよ。翁長さんは「沖縄一県にこれだけ負担を押し付けておいて、押えこんでおいて、『日本を取り戻す』とか『美しい国』とかそういう所に僕は政権の一番の根本的な矛盾があるのじゃないかと思っている。」と。
こう話してくるとなんとなくわかるでしょう、つまり翁長さんが変わったんじゃなくて、やっぱり本土の政権の方が変わっちゃった。

・励まされたというのは、沖縄に基地を押し付けている負担感とか罪悪感がある、そういうのは政権も僕らも変わらないと思う、そういう話を翁長さんにした。そうしたら、この言葉に甘えちゃいけないんだけれども、翁長さんは、「日本という国のあり方をどうやって変えるかというときに、沖縄側から変えるというようなものがないと日本という国はもう変わらないんじゃないかと思っている。その象徴的なものとして、辺野古に新基地を作らせないという政治のおおきな変革の原点を作れば、沖縄のためにもなるし、そして日本国のためにもなるんじゃないかと思っているんだ。」
辺野古に基地を作らせないというのは、彼の沖縄県民としての、沖縄の指導者としての思いなんだけれども、
ここからは日本の政治、日本の政権の問題点というものを変えるきっかけを生み出したいんだというのが、翁長さんの思いだったんだとするのならば、僕らは遠慮なく、この問題にもっとコミットして行くべき、もちろんの沖縄のことも考えなくちゃいけないって言う意味で言うと、いろいろ複雑だが、沖縄のことをもっと積極的に考える契機にするというのが、大切なことだと思わされた。
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