ランナウェイズ(映画)

2019年06月23日 | ロック
ランナウェイズ [DVD]
クリステン・スチュワート,ダコタ・ファニング,マイケル・シャノン,ステラ・メイヴ
アミューズソフトエンタテインメント
 2010アメリカ

なんだか痛い映画だった。当時「チェリー・ボム」の印象は強烈だった。腰を折って上目遣いのあの下着姿と不遜な面持ちの黒髪のジョーン・ジェット。だが、シェリー・カーリーに隠された淋しさがあったとは・・ また売り出したプロデューサーの力とかデビューの状況を知ることができたのはよかった。

TV放送で見たので「ランナウェイズ」?どんな内容かとヤフー映画を見たら、「1970年代の音楽シーンにすい星のように登場した実在のガールズバンド」 あのランナウェイズの映画なのか、しかし「実在の」とはねえ、40年も前とはいえそうなのか。70年代の洋楽好きなら知らない人はいないでしょう、という感じですが。

映画でシェリー・カーリーの自宅で日本人が写真を撮る場面があったがあれは篠山紀信の「激写」だったようだ。77年の来日時はファンも殺到してバンド絶頂期ではないかという気もしたが、映画ではその日本人ファンに対して好意的には描いていない。日本公演のライブアルバムも出たのに。

シェリー・カーリーの自伝を基に作ったのでシェリー目線のランナウェイズということになるか。
eon Angel: A Memoir of a Runaway」 Cherie Currie 、 Tony O'Neill 1989出版のが2011に再版されたようだ。
Neon Angel: A Memoir of a Runaway
Cherie Currie,Tony O'Neill
It Books


2019.2.23スターチャンネル1


激写 ランナウェイズ 篠山紀信緊急撮影 (別冊BIG GORO)
篠山紀信
集英社
 1977.7.1
カーリーはマネージャーに写真を撮るから、とだけ言われてあまりよくわからず被写体となったようだが、この写真集が出たことにメンバーは怒っていて不和の遠因になった描き方だった。

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ボヘミアン・ラプソディ(映画)

2018年11月18日 | ロック
ボヘミアン・ラプソディ【DVD化お知らせメール】 [Blu-ray]


クイーンはリアルタイムで聴いてきた。熱烈なファンというわけではなかったけれど、フレディの生き様が大音量で劇場に流れる音とともに迫ってきた。そして圧倒的な強さでクイーンにのみこまれてしまった感じだ。帰りの車の中では70年代ヒットCDに入っていたキラー・クイーンを繰り返し聴きながら帰ってきた。けっこうクイーンは自分の中に入っていたのかな、と驚いている。

映画はフレディが空港で働いていて、前身の「スマイルズ」に入るところから、「キラー・クイーン」や「ボヘミアン・ラプソディ」など順を追って4人で曲を作る様がスリリングに描かれ、そうか、こうやってこの曲たちは創られたんだととても興味深かった。

クイーンの記憶というと、エアチェック(死語?)したことと、「ボヘミアン・ラプソディ」の四人の顔がひし形に映るビデオクリップだ。記憶では74年秋頃NHKFMの午後4時頃からの番組で「輝ける七つの海」「谷間の百合」とか「ナウ・アイム・ヒア」「ブライトン・ロック」など5,6曲録音した。でも収録アルバムは調べると74年末日本発売だ。「キラー・クイーン」は大学入試が終わり下宿探しをしていた駅前の果物屋で流れだし嬉しくなったのを鮮明に覚えている。75年3月のことだ。「ボヘミアン・ラプソディ」は曲のよさがわかるようになったのはつい最近かもしれない。

しかし4人ともよく似ている。よくも集めたものだ。フレディー役は出っ歯すぎ、ロジャーは丸すぎか?とも思うが、曲づくりの場面など本当のクイーンがやっているような錯覚に陥る。なのでフレディーの彼女、彼、親、妹たちとの私生活もすんなり入ってきてフレディの生き様が強く入り込んでくる。小さく載った新聞の死亡記事がオーバーラップする。

rokin'onの記事を読んでいったので、冒頭20世紀FOXのテーマがブライアン・メイとロジャー・テイラーのクイーン版だ、というのを心して聴くことができた。
→rokin'onの記事

映画館は平日10時の田舎なのに30人くらいいた。往年のファン年齢から20代位の若者もけっこういた。そしてエンドロール、文字の左にリアルの映像が映っていたせいもあるが、最後まで誰一人立たなかった。パンフを買おうとしたら4日目なのに売り切れだった。

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)
Universal Music =music=



2018.11.12劇場で

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ギミー・デンジャー STORY OF the stooges(映画)

2018年02月02日 | ロック
ストゥージズの記録映画を見てきた。
イギー・ポップからストゥージズファンでもある監督のジム・ジャームッシュに「俺たちの映画を撮ってほしい」とオファーがあったそう。メンバー、家族、録音スタッフなどへのインタビューや当時の映像を交え、時代を追って構成されている。

当時上半身裸の何か不穏なグループといった印象で情報はあまり持ってなかったが、「NO FUN」のインパクトは強かった。1969.1発売のファーストアルバムに入っているが、聴いたのは1979年頃。映画では「ボブ・ディランならah ah ahと長く言ったろうけど、俺は短く、少ない単語で、作ることにした」そうだ。そう、これがストゥージズの魅力だ。

ファーストアルバムに写っている4人のうち、実に3人までも鬼籍に入っている。撮影は8年かけて作られてるのでインタビュー画面にはアシュトン兄弟は何度も出てくる。イギーは最初はドラマーで、「小学生の頃工場見学に行って、鉄板をバシ、バシ打つ音が気に入って、それだ、と思ったそうだ。だが「ドラムをたたいて他人のケツを見てるのに飽きたんだ。いままで見た中で一番いいケツは〇と〇だった」と男女一人づつ名前を挙げていたが忘れてしまった。

みかけの過激さとは裏腹に、けっこうまじめな印象も感じた。
 →公式HP


Gimme Danger [DVD] [Import]
STORY OF the stooges 2016アメリカ 監督:ジム・ジャームッシュ
輸入盤ですが、もうDVD化されています。


Stooges
Elektra / Ada
 1969 「NO FUN」はこれに入っている。

Fun House
Elekt
 1970 
1970にベースのデイヴ・アレクサンダーがやめ、ジェームズ・ウィリアムスンがギターで参加。

Raw Power
Columbia
 1973 この3枚で一旦解散。

ラスト・フォー・ライフ
クリエーター情報なし
EMIミュージックジャパン
 1977 ソロアルバム。デヴィッド・ボウイのプロデュース。このタイトル曲を知ったのは「トレインスポッティング」公開時1996なのだ。77発売なのに何故知らなかったのか。ジャケットには見覚えある。

→イギー・ポップ、追悼インタビューでデビッド・ボウイから何を学んだか語る NMEJAPAN2016.2.1

→イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思いでを語る ロッキングオン2014.3.21

映画完成でイギー・ポップとジム・ジャームッシュお互い褒めちぎる VICE2016.12.08
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星影の小径(小畑実)

2018年01月16日 | Weblog
15日、BSで「名画の暗号 ゴッホと北斎のミステリー」という番組を見ていた。イッセー尾形の指人形とともにゲストがゴッホと北斎について語り合う番組だったが最後にアン・サリーという女性が「星影の小径」という曲を歌った。細くきれいな歌声で、ジャズっぽいその曲がとても素敵だった。

検索してみると、なんと小畑実が昭和25年に歌った曲というではないか。小畑実、聞いたことあるようなないような、とこれまた検索してみると、ヒット曲連発で「貫太郎月夜唄」「高原の駅よ、さようなら」「大利根月夜」とかどれも聞いたことのある歌がたくさん。これはNHKののど自慢や思い出のメロディーで聞いたものだ。さらにYouTubeではちあきなおみ、森昌子、サーカスなどけっこうな人の映像が出てきた。これは美空ひばりも歌っているかと思ったらはたして歌っていた。カバー曲がCMやドラマ主題歌に何回も使われていたようだ。名曲発掘。

小畑実 ザ・ベスト
ビクターエンタテインメント
 本家小畑実。澄んだ高音がゆったりと上品に心地よく流れる。甘い二人の夜、いつまでも終わらないで・・といった空気感まで感じる。

「星影の小径」ウィキペディア
 作詞:矢野亮 ほかに「リンゴ村から」(三橋美智也)「おーい仲村君」など
 作曲:利根一郎 ほかに「霧氷」など

あのころ
森 昌子
ポニーキャニオン
 カバー、イチ押しは森昌子。高音の伸びが素晴らしい。

美空ひばり生誕70年記念 ミソラヒバリ カバーソング コレクション
Columbia
 敬愛するひばり殿。さすがひばり節になっている。

ムーン・ダンス
アン・サリー
日本コロムビア
細い声なのだが途切れない。ジャズのテイスト。か細いうりざね顔の女性が月夜に佇む、といった情景が浮かぶ。

ちあきなおみ 全曲集 〜黄昏のビギン〜
テイチクエンタテインメント
CMに何度も使われたようだ。なおみワールド。







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阿久悠リスペクトコンサート(BSプレミアム)

2017年12月18日 | Weblog
BSプレミアムでやった「阿久悠リスペクトコンサート」という番組をみた。阿久悠が無くなって今年で10年だそうで、さる11月に行われたリスペクトコンサートの模様を中心に、歌手へのインタビュー、阿久悠の言葉なども紹介しながらの2時間。

コンサートはほとんどがオリジナルの歌手が出場。年月を重ね一回り太くなった人も多かったが、ほとんどの曲を知っていたのには我ながら驚き、昭和40年代、50年代はTvで歌番組を見れば自然に覚えてしまったのだなと思ったが、ポップス、歌謡曲はやはり若い年代の歌であり、まさに自分の青春時代の歌なのだ。

曲調はポップスありアニメ主題歌あり、演歌ありとなんでもありの世界。番組中で「僕の中にはハリウッドもディズニーもあって、そして日本人だから、それが詞に現れる。日本人が顔を出せば津軽海峡冬景色になるんだ」と言った。これが作曲家のメモリアルコンサートだったら、例えば「船村徹メモリアルコンサート」なんてことになると日本的演歌一色の世界になると思うが、歌詞にいろいろな人が曲をつける作詞家の世界、となると万華鏡のようなこんな世界になるのかと思った。

それにしても、詞と曲がほんとにうまくマッチしてるんだな、と感心する。「ピンポンパン体操」なんて子供番組の歌だが、半音下がった感じがジャズっぽく、ああこれを聴いて育った子供たちが後のJポップを作った世代になるのか、などと思った。

チャーが出ていた。当時は「気絶するほど悩ましい」は,ロックを広めるにはこういう歌も歌わないと、と言っていたが、のちにアコースティックで歌ったりもしているので自分の持ち歌として消化した?ということなのかな。


阿久悠メモリアル・ソングス~うまく行く恋なんて恋じゃない
ポニーキャニオン
 2017.11発売
レコード会社ごとに合計7枚発売。ジャケットは上村一夫。両氏は宣弘社という広告代理店での同僚。

気絶するほど悩ましい〜本物志向のCharが切り拓いた“歌謡ロック”という新ジャンル(TAP the POP)
  ※作曲:梅垣達志

阿久悠リスペクトコンサート 主催はニッポン放送だった
 →コンサートレポート(OKMUSIC)

阿久悠と上村一夫展 が開かれる。明治大学阿久悠記念館で。2017.12.1~12.25、2019.1.8~2.25
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ロッキング・オンの時代(橘川幸夫著)

2017年11月29日 | 音楽本
ロッキング・オンの時代
橘川幸夫
晶文社
 2016.11.25刊 


雑誌「ロッキング・オン」と渋谷陽一の若いこだま、ヤングジョッキーは、自分の10代後半から20代前半、頭の中のほとんどがロックに占められていた時代を大きく彩る事柄だ。こんな本が出たんだというのは日経の書評欄に「あとがきのあと」と題して橘川氏の写真入りで載ったので知った。

さっそく読んでみると、創刊当時のエピソードが満載で、店頭に並んだ裏側ではこんなことがあったのかととてもおもしろく、渋谷氏、橘川氏、岩谷宏、松村雄策とそれぞれの個性が集まるべくして集まったのだなあと感じる。渋谷氏からみればまた別の見方もあるはずだが、主に印刷を担当した橘川氏の視点もおもしろい。


雑誌は72年8月号が創刊。初めて「ロッキング・オン」を買ったのは77年12月号・通巻32号。79年、80年、81年あたりは毎月買っていて全部今もとってある。79年あたりからは背表紙を順に並べるとアーティストの顔になった(と思う。納戸に行くのが大変なので推定)


「ロッキング・オン」の存在を初めて知ったのはいつか?たぶん75年か76年あたりだったと思う。77年12月号には毎月1日発行とあるが、その前は隔月刊だった。当時「ロッキンf」というやはり洋楽系の雑誌もあり、”f”の方は「ミュージックライフ」みたいな写真とかたくさん載ってる雑誌だった記憶だが、そちらはたぶん毎月で、隔月だと当然店頭に無い月もあるわけで”オン”の方は潰れてしまったのか?などと思ったりした。

「ロッキング・オンの時代」では10号まで表紙と目次が紹介され、その時点での発刊にまつわるエピソードが書かれている。4号から全国で販売されるようになったとあり、7号で1年続いた、とある。手元にある77年12月号の巻末には、バンドメンバー募集や文通相手募集があり実際同学年の女子と数年間文通した。またバックナンバーから全部持ってる人が10人位載っていて、「見たい人は往復ハガキで連絡を」などとありこちらも創刊号を見せてもらったことがある。なにより渋谷氏、橘川氏ら編集者の自宅の住所が載っていて、「執筆者に対する連絡はそれぞれの自宅に手紙でして下さい」などとある。渋谷氏の住所を見ると下宿と近いではないか! その新宿区下落合は同じ落合出身の泉麻人とともに氏も語るところであるが、なるほど遠回りをして行ってみるとちゃんと「渋谷」の表札があった。

77年12月号の編集後記では、六本木に新編集室が移ったこと、また就職やアルバイト募集者には「現在手は足りている」、事務所はヤケに立派な所になりましたが、あれは編集長のミエで、会社としての実質が整うのはもう少し先になりそうです。などとあり、こう手作り感、ミニコミ誌感が漂う。

また渋谷氏が「若いこだま」に出るいきさつも書いてあった。NHKが若者向け番組を作ることになり、DJを関係者からの推薦で募集し、淡々としたDJが採用になったということだ。採用される時は編集メンバーみんなに相談があって、皆の「NHKは全国放送だし、ロッキング・オンの宣伝だと思って受けてみたら?」ということだったとある。ロッキング・オンが全国配布になってからとあるので73年頃のことだろう。高校の頃から聴いていた気がするので始まってすぐ聴き始めたのではないかと思う。2,3年すると「今度FMでやることになった」と言って「ヤングジョッキー」が始まり、「若いこだま」は大貫憲章氏が後を継いだのだった。

渋谷陽一の社長はつらいよ2017.2.19  朝日と日経に同時に書評が載ったこと、ロッキング・オンは常に変なものであり、とても位置づけしにくいものとして扱われてきた、とあった。先に開いたロッキングオン同窓会でもこの本の話題になったら何人かが「勝手なことかいてるよな」と声を揃えて言ったのが笑えた、とある。

渋谷陽一の社長はつらいよ 2017.2.7 ロッキングオン同窓会を開いた記事。1号の表紙が載っている。


→橘川幸夫ポータル
→橘川幸夫ブログ ロッキング・オンの時代1970-74、として「渋谷陽一との出会い」「リボリューション」が載っている。

パソコンを鍛える (講談社現代新書)
岩谷 宏
講談社
1998.9刊 仕事でパソコンの事があまりよく分からなかった時に図書館でこの背表紙を見つけた。え?岩谷宏?と思ったら正しくロッキングオンの岩谷氏の本だった。パソコンの動く仕組みとか少し分かった気になる本だった。
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小沼ようすけ

2017年11月26日 | ジャズ
かっこいい小沼ようすけさんに再びはまる

11/19 ジャズオルガンのKANKAWA氏のコンサートで小沼ようすけ氏がゲストで出演。初めて小沼ようすけ氏を生で観ました。那須野が原ハーモニーホールで一部は、ホール備え付けのパイプオルガンで枯葉を、読響のバイオリン奏者小森谷巧氏とのデュオ。

そして2部がハモンドオルガンでのクインテット編成の演奏。ホーン2名にオルガン、ドラム、そしてギターの小沼ようすけ氏。左手から入ってきましたが、「か、かっこいいー!」顔を傾げ髪が半分かかってしまうのですが、これがまたよいのですね。足細ー、地模様のある少し光沢のある上下揃いの黒。・・外見ばっかり書いてますが、音は、実はここ10年ばかり聴いてませんでした。サーフィンにはまっているというのを何かで読んだきり。でも検索してみると続けてCDは出していたのですね。「最近髪を40cm切ったサーファーです」とKANKAWA氏の紹介でしたが、ちょっと体を曲げて演奏する姿にくらくらしてしまいました。コンサートの後、持っていたCD「The Three Primary Colors 」を聴いてみると、演奏スタイルは変わってないんですね、その和音が流れるというのか、小沼節が確立してるのですかね。

リーダーがオルガンなので正面にハモンドオルガンがでんと構え、ドラムは向かって右奥に、ギターはその前に、ホーンは左にといういでたち。なかでも「キャラバン」が緊張感溢れる演奏でした。またKANKAWA氏のピアニカと小沼氏のアコースティックギターのデュオの「ひまわり」はピアニカってこんなにも豊かな音が出るんだとピアニカ再発見でした。
寒川敏彦オルガン、浜崎航テナーサックス近藤和彦アルトサックス(なんと米米クラブに)、吉川昭仁ドラム


そもそも小沼ようすけ氏を聴くきっかけが、このジャケ写真からだった。。。
Jazz 'n' Pop
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
→2006年2月のmusic diary

 →小沼ようすけオフィシャルHP
 →KANKAWA氏HP
   小沼氏はツイッターで、KANKAWAさんはブログでコンサートの事が書いてありました。
 →鎌倉の喫茶 TSUU は小沼氏の家族がやっているお店。喫茶のほかライブも行い、もちろん小沼氏も出ることがあるようだ。
 →小沼ようすけインタビュー(ヤマハ) 2016.2.1
 →小沼ようすけインタビュー(JPMA) 2014.
 →小沼ようすけが語るグオッカの魅力(ブルーノート東京) 2017.4.6
 →秋田経済新聞インタビュー 2008.2
 →アコースティックギターワールドインタビュー 中学からギターをするきっかけ、コンテスト出場など初期の経緯から 2014?
 →情報誌「響」インタビュー(秋田市)2005.8 ここにKANKAWA氏と2005.6共演の写真が。随分古い付き合いだったんだ。


Naja
キングレコード
 2017.7発売のこれを聴いてみようと思う。

小沼ようすけ ニュー・スタイル・オブ・ジャズ・ギター [DVD]
アトス・インターナショナル
 2014.10発売 教則本DVDもある 






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音楽談義(保坂和志)

2016年07月09日 | 音楽本
音楽談義 Music Conversations (ele-king books)
保坂和志,湯浅学
Pヴァイン
 2014.12 

”同級生”保坂和志とそのまた同級生湯浅学の音楽対談。2013年5月から2014年9月にわたり7回。

洋楽が主なのだが、保坂さんが「どうして我々の学年にアイドルが少ないのか」と嘆く場面がまったく同感。1年上に郷ひろみとか御三家がいて、アン・ルイスが同学年でいるものの、すーっと2学年下の百恵ちゃんまでいってしまった、と。

発売元がPヴァインだ。
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ア ハード・デイズ・ナイト(ビートルズ)

2016年06月18日 | ロック
A HARD DAY'S NIGHT(初回限定版) [Blu-ray]
バップ
 


BSで。初めてみたのは1974年夏。地方の小さな映画館でヘルプと2本立てだった。夏休みの映画館は観客もまばらだった。前年に出た赤盤・青盤で遅ればせながらビートルズの虜になってしまっていた。観るのは40年ぶりである。

この映画で一番印象に残っていたのが、ポールのおじいちゃん。列車の座席で「ボクにはおじいちゃんが2人いるんだ」というセリフと、老人が「わしらはあんなやつらのために戦ったのかい」というセリフで、60年代初頭は戦争がすぐ近くにあったんだなあ、と思ったのだが、その場面がなんか覚えていたのとちょっと違っていた。「わしらは~」のセリフは、騒いでいた4人が去ったあと、老人2人が顔を見合わせて言った、と思っていたのだが、昨日のは4人の中に座った中年の紳士が4人に向かって言っていた。

TVに映る4人はとても若々しく初々しくて、なによりとても仲がよさそう。わずか数年で溝ができるんだよなあ、ジョンとジョージはもういないんだ、などと若い顔を見ながら思う。そしてなんと、この映画のあとの番組がロン・ウッドがミュージシャンと対談をするもので、相手がポールだった。最近の収録らしく、長生きしたポールがいた。
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秋吉敏子&ルー・タバキンコンサート

2016年05月06日 | ジャズ
近場だから行こうか、と軽い気持ちで行きましたが、御年86歳の偉大なピアニストに感服しました。また、直後にBSでタイミングよく番組を見てより興味がわいてきました。水俣を題材にしたものがあり、ナベサダとも交流がある、という情報はジャズを聴き始めた昭和50年頃、自然に耳に入ってくる状況ではありましたが、曲はあまり聴いてませんでした。

会場は9割の入り。60代後半の方が多かったように思います。始まる前、配られたブロフィールをみて、86歳! 夫のルー氏は10歳下なのか、などと思っていると、登場、黒に全身にスパンコールが星のように入った衣装がまたよく似あっている。 おおー、若い、背筋がぴんとしている。軽やかな音。デュオなので左手のリズムとベースラインがこれまた力強い。うーん、自分の母は90歳でわずか4歳しか違わないのに、このジャズ感覚はなんだ。ちょっと右手は音を省いたかと感じる箇所もあったが、この生命力はなんだ。

満州からの引き上げ、別府でのダンスホールでのジャズピアニストとしての採用、アメリカ留学、そして独自の音楽の創造と随所に言葉をはさんでの進行でした。また、ルーさんのフルートも尺八を思わせるものもあり、息もぴったりでした。5.1那須野が原ハーモニーホール

そして、なんと3日にNHKBSで、秋吉氏の半生を自身の曲のスタジオ演奏と、娘さんのマンデイ満ちるさんのナレーションで綴るものがありました。この番組でより一層理解が深まりました。水俣や小野田さんを題材にした「孤軍」など、ジャーナリストだったら文を書いたを思うが、自身はジャズピアニストなので、ジャズ語で書いた、と語ってました。鼓の入った孤軍、これがよかった。番組を見るとこれが74年発表で、きっとここら辺が当時耳に入っていたのだろうが、当時は受け入れる素地ができてなかったのかも。

「ジャズと生きる」という著書もあるようで、ぜひ聴いて読んでみたい。
孤軍
秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド
SMJ


ジャズと生きる (岩波新書)
穐吉 敏子
岩波書店
 

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