皐月の部屋

日々思いのままに

同志社大学、蘆山寺その他見学

2008-09-29 13:46:17 | パソコンとお仲間

大きな地図で見る

  

先日「シニア生き活きネットフォーラム」のオフ会で京都へ行ってきました。まず同志社大学今出川キャンパスを見学、学生さんがキャンパスのあちこちを説明しながら案内してくださいました。京都の中心部にあって道路を挟んで南側は京都御苑、北側は薩摩藩邸の跡に今出川学舎ができたと説明を受けました。さすが歴史を感じさせる大学で、有終館(1887年)、礼拝堂(18年)、クラーク記念館(1894年)など重要文化財の建物が数多くあるのに驚かされました。
お昼を学生食堂で学生さんたちと一緒にいただき、若い皆さんの元気を少し分けてもらい、次の目的地に向かいました。

  

次は京都御苑を歩きましたがこれまた広大な敷地、延々と続く塀、歴史を感じる静かな佇まいに心癒やされる思いでした。

  

次に訪れたのは紫式部ゆかりの寺、蘆山寺(ここで夫藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆したと説明を聞きました)を見学、今年は源氏物語千年、源氏物語の昔に思いを馳せながらゆかりの品々や源氏の庭を拝見しました。源氏の庭は桔梗の花が美しいと聞きましたが残念ながら花は終をわった後でした。



   次の京都歴史資料館では「京の火災図」と題した
   江戸時代の瓦版が展示されていましが、京都の
   町がこれほど多くの大火に見舞われていたという
   ことを初めて知りました。






  

最後は新島襄旧邸の見学で、ここは中には入れませんでしたが、外観は和に洋を取り入れた建物で当時としては画期的な建築だったようです。
曇り空でしたが雨にも降られず楽しい古都散策の一日でしたが、いつも企画を立てて下さる会員のお一人、Nさんに感謝。






運動会

2008-09-27 22:00:09 | 暮らし


前日とはうって変わった青空の下、孫2人が通う小学校の運動会を見に行ってきました。幼稚園児の頃から毎年欠かさず楽しみにしてきましたが、上の孫息子が今年6年生になり、小学校では最後の運動会なので余計感慨深いものがありました。
6年生のリレー、騎馬戦、組立体操、3年生になる孫娘のリズム体操、リレー、綱引きなど涙腺が弱くなった私はうるうるになりながら精一杯の応援をしました。この幸せをかみしめつつ……

キルト 作品

2008-09-24 16:39:27 | 手芸
   1年半ほど前からパッチワークを習いはじめましたが、
  ←これは一番最初に作ったポーチです。
   とても下手ッピーで人さまに見せられたものではあ
   りませんが、下手は下手なりに一生懸命作ったので
   自分で愛用しています。
   次はどんなものを作ろうかとか、誰かのために何が
   いいだろうかとか、いろいろ楽しんでいます。

   

     ←これは孫娘のために作ったレッスンバッグです。
      2人のスーちゃんが可愛いととても喜んでくれました
      ので、作りがいがあったと嬉しくなり益々ハマって
      しまいました。
      最近は特に目がうとくなって根気が続きませんが、
      ボチボチとマイペースで楽しみたいと思っています。 

生みの母、育ての母

2008-09-21 14:42:04 | 暮らし
最近あるきっかけから胸にしまいこんでいた生母、養母のことについて改めて思うことがあったので少し書いてみようと思います。

私は母が育ての母であるということを知ったのは20歳を過ぎてからでした。勿論その時は少なからず動揺しましたが年齢的にもある程度大人の考え方ができるようになっていましたし、その年になるまで知らなかったということは言い換えれば育ての母がどれほど慈しんで育ててくれたかということだと思います。
ご近所さんたちの何げない一言で知ってしまったなどということがほとんどだと思うのですが、そのご近所さんたちの口も封じるほど可愛がってくれたということでしょう。

その時母は重い病の床にあり、もうこれまでと覚悟を決めて信頼できる知人に私に知らせてくれるように頼んだようです。その人も経緯など詳しい事情は知らず事実だけを知らされましたが、幸い母は死を覚悟した病も癒え、74歳の生涯を全うしました。

自分をこの世に送り出してくれた人はどんな人だろう、その人はどんな理由があって私を手放したのだろう、生存しているのなら一度でいいから会ってみたい、などといろいろ思うこともあり、聞きたいことは多くありましたが母の気持ちを察すると聞くことができませんでした。よくよく思案の末この人が本当の母なのだ、そう思うことにしました。

ついに父も母も何も言わず、私も聞かないまま旅立ってしまいました。

それからしばらくして自分の時間が持てるようになった私は戸籍謄本を頼りに生母の出身地を訪ねました。やっとの思いで子孫の方にお目にかかることができましたが、何分にも長い歳月が経ち過ぎていたため、その方にもどういう経緯があったのかは分からないということでしたが、とにかく生母が確かにその地で生まれ育ったことだけは確認でき、それで納得するしかありませんでした。

しばらくして、その方から家系図が届き大変感謝していますが子が親を慕う、親が子を思う、これはやはり血のつながり、それ以外の何ものでもないと思います。

今でも心残りに思うことはひと目でいいから生母に会いたかった、そしてどんな事情があったのかを聞いてみたかった、その思いをどうしても消すことができませんが、今は二人の母に感謝以外何もありません。




GOGOおばさんの講演会

2008-09-19 14:21:13 | パソコンとお仲間


所属するパソコンを通じたお仲間の集まり「シニア生き活きネットフォーラム」の会員のお一人、「GOGOおばさん」が10年という長い年月にわたって(脊髄小脳変性症)という難病のご主人を介護された経験にもとずいた体験談「ハッピーの介護の秘密」という講演を聞きました。この病気は脳幹と小脳が萎縮していくということでどんどん機能が失われてゆくのに意識は正常で、耳も聞こえているということで何よりも人の手を借りなければ排泄ができないというのが一番辛いと仰っていたそうです。排泄は人間の尊厳にかかわことと思うのでそのお気持ちはよくわかります。

この病気は進行を遅らせることはできても治療法はない、ということでいい治療法があると聞くと東北地方から中国武漢市近くの民間治療の達人を訪ねたり、あらゆる方法を試みたそうですが最後まで在宅介護が出来たことが私の慰めになっていると話されました。

今彼女は講演会に招かれたり、ヘルパー養成研修の講師を務めたりして、辛いはずの介護を少しでもハッピーな介護にするため、(介護する方がハッピーでなければされる方はもっとハッピーになれない)難病完治の道へ繋がればと活動を続けておられます。また「ハッピー介護の秘密」「GOGOおばさんとバックオーライ」(ちなみにバックオーライとはご主人のことです。)などの本も出版されています。

お話しの中で心に残ったのは安楽死、尊厳死を認めて欲しい、心無い言葉は刃になるが温かい言葉は癒しになる、難病などで困ったときはオープンにして一人で悩まない、必ず何とか道が開ける、という言葉です。

彼女はご自分でもおっしゃるように性格的なものもあるのでしょうが、湿っぽくなりがちなお話しをさらっとユーモアを交えながらのお喋りに感銘を受けました。