道はだれのもの?札幌21

道路環境をそれぞれの視点から見て歩き、危険や問題点を感じたら、 生活者の立場から声を出して行きませんか。

「道はだれのもの?札幌21」試走会(4)北1条自転車指導帯

2012年12月13日 | 記事


北1条の社会実験は都心の自転車の道にとって画期的試みであった。私たち「道はだれのもの?札幌21」の長年の活動の観点から二三の象徴的な検証を記しておきたい。 
  

自転車の車道通行は弱者(優先)の思想で


(1)地下駐車場出入り口の車との交差について

北1条地下駐車場出入口は社会実験を代表する正に車と自転車が必ず交差する特殊なゾーンである。そこでの危険回避処理は実験の成否の大きな分岐であった。ところが標示・標識には意識させる特別なものはなく存在感も思想性も感じられなかったといえる。道路管理者は少なくとも自転車を強く走行誘導し、車に対して自転車優先の注意喚起をする工夫が必要であった。

     

※民間をふくめて駐車場出入口には特段の対策が必要。


(2)バス停での自転車

バスの車線から停留所へのアプローチ、車線への復帰のための離発について、自転車レーン(自転者走行)優先である事が意識されなければならない。自転車側のレーン上での停止、待機などバスの動きを注意する事は当然であるが、思想としては、弱者の走行優先権が強く理解されていなければならない。とくにバス側に対して標示・標識の工夫、ドライバー教育などが必要である。



(3)ピクトラインとは?

交差点などにとつぜん破線(ピクトライン)が出現するがブルーレーンの利用者にはその意味が分からない。道路管理者の思い込みで「交差点は車と自転車の共存場所だから」という事で相互注意の意味を込めているようであるが、かえって走行空間の希薄化、複雑化になり利用者には意識の分散化になるだけであった。ピクトラインは自転車と車を同等に見る誤った考えを基にした標示であったように思う。車道における自転車レーンは物理的な弱者、社会的な弱者の走行する場所であり弱者(自転車)の優先走行空間と位置づけたい。
ピクトラインを強くブルーレーンに一本化すれば、その意味が車と自転車両方に、そして歩行者にも、より分かりやすかったと思われる。