日記

日々のあれこれ

「庶民の発見」 宮本常一

2011年12月25日 | 読書

宮本常一は山口県の周防大島出身の民族学者で、その学風は徹底したフィールドワークで資料にあたり、当事者が当たり前のこと、取るに足らないこと、遅れた慣習で恥ずかしいこととして語りたがらないことにも光を当てた人だと思う。

戦前戦後の旅行の不便な時代、日本各地の奥地に分け入り、土地の伝承、風俗習慣などを調べることは純粋に学問的な好奇心から出たことだけれども、この中での昔の人の言葉、生活態度には教えられることが多かった。無理をしない、人と分かち合う、など今の日本人が忘れた美徳ではないだろうか。

それにしても僅か数十年前から一世紀前、この国の地方の人たちがどんなに貧しかったかということに胸をふさがれる思いだった。

貧しい東北の村々を回って子供を買い集める業者の話、逃げないように手を縛って列を作って歩かせる。都会へ売られた子供たちは、男ならば底辺の労働者に、女ならば芸を仕込んで遊郭へ転売されたのだろうか。

貧困と病気の多い時代には、迷信が多く、祈祷も広く行われている。そういうことを専門に行う特殊な階層からやがて芸能も生まれるのだろう。日常生活の中で感じる不安を慰撫する装置が、やがて楽しみとなり、一方では神仏として系統化されていく。

もとより文字を持たない庶民には伝承があるだけで、各地の似たようなものを比べながらその成り立ちを考えていくところは説得性があると思う。

この中で特におもしろかったのは、広島県北部地方のフィールドワーク。曲屋などは東北のものが日本海を経て伝わったものと言う。旧戸河内町の樽床ダムの傍に移築したものがあったけれど、今もあるのかどうか。寒冷な気候が似ているので建物も似たのでしょう。

昔はとても貧しく、寺の床下などで寝泊まりしながら広島方面へもの乞いに出る人もいたんだとか。このなかにある八幡湿原は植物観察などでよく出かけたが、農業には不向きで乾田にするまでに大変な苦労があったことだろう。

米の余る今は、湿原を回復して自然の状態に戻すことをしているらしいが、どちらも人間の都合。自然とは癒されるものではなく、人に厳しい生活を強いる恐るべきものでもあった。そのことを改めて認識した。

この本には英雄や成功者は出てこない。そんなものとは別なところで、連綿と続いてきた生活。放っておいたら消えてしまう庶民のその生活、それを記録として残した功績は大きいと思う。

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