何か言ってる

さらに適当好き放題

6月はじめのポメッター

2017-06-10 00:16:37 | 何か言ってる
うーん正直しんどい。
SNSでの炎上騒ぎが映画でちょくちょく発生している事が。
個人的な感覚なので、たまたま私のTLにそういう意見がRTでたくさん流れてくるということなのかもしれない。特に洋画。
それにしたって、そもそもどうしてわざわざRTするんだろうか?とも思ってしまう部分もある。
「邦題が気に入らない」と個人の意見を投稿するところまでは分かるけど、「見て!気に入らない人がこんなにいるの!」は余計なお世話に感じる。まあ、本題はそこではないんだけど。
本題、といっても立ち入った話がしたいわけでもなくて。

まず、この作品がとても楽しみだ。
日本での配給が決まって良かった。
そこまでは誰も不幸にならない話。


──ここから、どうにも面倒くさい事象が発生するらしいんだよね。
例えば。邦題。
もう、もめるんなら邦題とか無くてよくね?みたいな気持ちになる。
ただ、邦題が付くのは「それを付けた方が良い」と、しかるべきデータに基づいて手続きがなされているっぽいということ。そのデータが「正しい」かどうかは知りませんけど。
どのみち「この邦題はふさわしくないのでは無いか?」という立場からの意見は、この「手続き」の中で比準されるべきところに満たなかったと言う事じゃないのかな。
その作品が大事だから作品を尊重して欲しい、その気持ちは素晴らしいことだし業界にとってもありがたい事なんだよね。
でもその邦題が「正しい」かどうかっていう所は、トンデモだったとしてもグレーゾーンの範疇じゃないのかな。
「この邦題が気に入らない」、までは全然OKですよ。その上で、なるべく「気に入らない」という感情をもたれない形の邦題を付けてくれた方が助かるんですけどね。
とまれ邦題なんて、個人的には傘の持ち手のビニールみたいなもんですよ。気に入らなかったら立派な原題があるんだからそっちで呼ぶか勝手に考えればいいじゃない。邦題が好かれなくて困るのは配給側だけだし。つまり決まった邦題を強引に変更させるというのはうまくなかったんじゃないかな、と思います。まあ逆に言えばさすがにその邦題は失敗だったということになるのかもしれないですけど。でもセガールの「Under Siege」シリーズじゃない主演作についても「沈黙」一辺倒の邦題を「またか」で済ましてるじゃねーか、なんて思ったりもするので私はどうも今回モヤモヤしたりして、ついこんな長い文章を書いてしまっています。
セガール作品についていえば、タイトルは「沈黙の~」でいいって思っちゃってるところもあって。そういう「作品」と「邦題」の関係もあるわけで、それに対して「好き・嫌い」以上は言えないと思ってます。ポスターとかもね。


もちろん、作品に対して誠実ではないバイアスがかかる事には不満があります。
本編内容がカットされる。
字幕が適当で無い・吹き替え配役が適当で無い。
不必要な曲の差し替え。
同じ流れで言ってしまうのは良くないかも知れませんが、そもそも作品自体の不自然なキャスティングだとか。どうしてこんな脚本になったんだとか。
そりゃ、感想としてはありますよ。
そこで。
どうしてそうなったかと言えばやはり「しかるべき手続き」がなされているわけで。なにがしかのデータに基づいてる奴。
そういう部分から国内での状況を想像するわけですけど、
映画はその業界にとって「主」というより「従」のコンテンツとして認識されてしまっているのかもしれないというか。
映画の制作や配給という商売を成立させるために、「それ以外の要素」に頼らざるを得ない(と判断されている)。
「それ以外の要素」部分の方が「しかるべき手続き」において重要である(と判断されている)。
関係者側にしてみれば、「従」のコンテンツとして映画を扱う客のほうが、映画本体を「主」のコンテンツとて楽しむ客より重要っていう状況なのだろう、ということです。
その流れの中で作品に対して不誠実な状況が生じる。それはとても残念な事です。
でも客側は「業界にこっちを向いて貰う」しか方法は無いわけで。へりくだるわけじゃ無いですけどお金の話ですからね。
もちろん業界の中の「個人」にもそういう人はいるはずで、そういう方達にもとにかく頑張ってもらうしか無いし、
「炎上」させる前に「連携」という方向での模索はなされているのか?ということです。
不快な思いをしたくないのなら、今の状況を変えたいなら、双方向でなければ状況を変える事は難しいと思いますし。
おそらく、制作・配給・スポンサー・観客どの立場においても、作品への誠実さを求める層というのは数としてそこまで重要視されていないんじゃないかな。その中でなんとか良い形を作って行けたら、とか。そこから始めるしか無いのではないのかな、と。
映画を「従」のコンテンツだと認識している層に「主」のコンテンツと認識してもらわないことには、何も変わっていかないんだと思います。お金だけの話というわけでもなく。
そして。

ともあれ、こんな現状の中でも誠実に取り扱われた作品がそこそこ上映されていてそれを楽しむ事ができる、ということを当たり前だと思わないで、それはそれで評価てほしいというか。難しい事考えずに作品そのものを楽しむ事から始めようよって言いたいしそれで済ませたいのが本題というか。

まず、この作品がとても楽しみだ。
日本での配給が決まって良かった。
…から、ダイレクトに作品そのものの話をしたいよねっていう話です。

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