理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

マスコミで報道されないような
情報と日記です(^▽^)/
世界と日本の危機を伝える・・

続き・・お久しぶりです。与国です 

2010年07月13日 00時43分57秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  
―国民が選挙・政治・国家の意味を誤解しているので、きちんと教える必要がある―

 選挙に対して国民の意識が低いために、政治家たちの意識も、とても低くなっているのが現実です。本来、政治という仕事は、人々の上に立って、国民の幸せ不幸せを分けてしまう大きな仕事である以上、誰かが人生を投げ出して行う聖職です。しかし芸能人やスポーツ選手が、再就職の手段として政治家を目指したり、オリンピックの片手間で行ったりしています。選ぶ側の意識が低いために、選ばれる側の意識までも、いつしかとても低くなってしまっているわけです。その結果、バラマキ政策による不況の中の増税、これによって深刻化する大不況の危機、中国によって度重なる領海侵犯が起こっているにも関わらず米軍基地撤退を願う政治家、沖縄独立を考えて中国の意のまま間に動く政治家、社会主義者の首相など、はっきり言って今の日本の政治は、衆愚政治に陥っています。そのために、今、日本国民は集団自殺をしようとしているわけですが、その事実に国民は全く気づいておりません。
もし選挙というものが、「国民が最も素晴らしい政策と政党を選び出し、そして候補者の人物と人格を見極める行事」であったら、おそらく昨年の衆議院選挙において、幸福実現党の全ての候補者が落選することなど絶対になかったことでしょう。つまり正しい選挙が、この国には無いのです。しかし選挙は政治を作ります。政治は国家を作ります。そしてその国家こそ、人間にとって人生の土台です。日本国民にとっては、この『日本』という国こそ人生の土台なわけです。ですから「国が違えば人生が違う」という悲しき現実が、この地球にはまだあります。

 タイのパッポン通りというところで、売春を生業にしているある少女は言いました。「十代で大人の仲間入り、二十歳で年増、三十で人生はおしまい」と。国が違うと、十代前半の少女が、結婚や仕事に、自分の人生に、夢や理想を抱くことさえできないのです。

 もちろん日本が先進国であり、国際社会の一員であり、日本国民が赤き血の通った人間である以上は、日本と日本国民には、愛によって果たすべき使命と責任が当然ありますが、しかしやはり「国が違えば人生が違い、国が人生の土台となっている」というのは、現在の悲しき事実です。かつては日本国内でも、県(藩)ごとに国を名乗り、「県が違えば人生が違う」という時代がありましたが、しかし今の日本国民は、県の存在をあまり重要視せずに他の都道府県に移り住んでも、十分に生きてはいけます。それでもまだ国そのものを完全に否定して生きるところまで、人類は進歩を遂げてはおりません。

 中国の脅威から逃れるために、ダライラマのように外国に亡命して生きることもできますが、しかし全ての日本国民が外国に移り住むなど、仕事の面や経済的な面だけをとってみても、はっきり言って不可能なわけです。このように、やはり国は人生の土台であり、そしてその国というものは政治が造り、選挙が政治を作っているです。

 つまり「選挙とは人生の土台造りであり、本来、ワールドカップサッカーなどよりも、遥かに尊い聖なる行事である」ということを、若者を始めとする日本国民に教えることこそ、この日本を救っていく唯一の道であると私は思うのです。
―啓蒙のプロ集団である幸福実現党こそ啓蒙を行う使命がある―

 宗教家とは、心の医者であり、人間教育の教育者でもあり、そして啓蒙家でもあります。ですから啓蒙活動こそ、啓蒙戦こそ、啓蒙活動のプロ集団である私たち幸福実現党の、最も得意とする分野であると、私は思うのです。いや、むしろこうした啓蒙戦を行って、衆愚政治を衆賢政治に変えていくことができるのは、啓蒙のプロ集団である幸福実現党をおいて、他に存在していないはずです。
つまり幸福実現党には、アメリカの「3S作戦」や日本政府の政治締め出し方針によって、政治に対して無関心になってしまった若者を始めとする日本国民を、きちんと啓蒙して、そして日本国民を救い出し、幸せに導く責任と使命があると私は思うのであります。

―衆愚政治による国難の今こそ、日本は衆賢政治、徳治政治の時代へー

 科学も発展しておらず、経済的にも貧しく、生活に追われている時代であれば、皆が政治について学ぶことは不可能であり、衆賢政治は夢のまた夢であり、やはりプラトンが言っていたように一部の哲学者たちが行う「哲人政治」も十分に理解できます。政治について学べない時代に、民主主義を築き上げて一人一人に一票を与えてしまうと、今の日本のように簡単に衆愚政治に堕落してしまうわけです。
 しかし今は科学と経済が発展したおかげで、政治の基本くらいならば、皆が学んでいくことができます。現実にこの僅か一年ほどで、政治に対して無知であった人が、幸福実現党で学ぶことによって、政治の基本は既に把握されております。

 ですから今こそ衆賢政治を目指して、一票を持っている国民一人一人が政治家となる、「万人政治家主義」を実現させていくべきです。「万人政治家主義」の先にこそ、「徳ある人物が選びだされて政を行い国を治める」という徳治政治の時代があると、私は思うのです。そして万人政治家主義によってもたらされる、衆賢政治、徳治政治の時代こそ、黄金の時代であると私は思うのです。

 この人気投票のような衆愚選挙を、「国民が最も素晴らしい政策と政党を選び出して、そして候補者の人物と人格を見極める神聖な行事」へと発展させることができるのは、啓蒙戦のプロである幸福実現党をおいて他に存在しません。

 つまり万人政治家主義によって、無関心な国民による衆愚政治を衆賢政治へと発展させ、政治屋による利権政治を徳治政治へと進歩させて、この小さな島国をユートピア島に変えていくことができるのは、真理を学び、日々、正しき心の探求を行っている私たち幸福実現党だけであると、私はそのように考えております。
―実現党こそ未来を切り開く選挙を実現する力がある―

 私たち幸福実現党に集う者たちは、「国」というものを通して、国民に奉仕活動を行おうとしています。それは「インドの聖女」と呼ばれたマザー・テレサが、飢えて死に逝く方々一人一人に愛を注いで、尊い菩薩業を行われたように、私たちの気概は彼女に負けるとも劣らないものがあり、今、私たち幸福実現党の党員は、国というものを通して尊い菩薩行を行っております。しかしその尊い菩薩行をさらに行わせて頂く前にまず、衆愚政治にまで落ちてしまった日本の政治を立て直すことを目的に、啓蒙を行う必要があるのだと、私はそのように感じております。
つまり「選挙を戦う前に、啓蒙戦によって国民の選挙に対する意識を向上させ、選挙そのものを改革し、変えてしまう」ということです。

 これは見方を変えれば、サッカーで言うならば、プレイヤーが試合中に足を使って不自由そうにボールを蹴っている際、野球のバットを持ち出してグランドに入り、ボールを場外にまで叩き出して、ホームランで一発逆転するようなものです。あるいはボクシングの試合中に、不自由そうに手だけで殴り合っている際に、いきなり柔道の背負い投げを決めて、一本勝ちするようなものです。

 私たち幸福実現党は、慣れない選挙を行っていくに際して、既に当たり前になっている空中戦や地上戦を行い続けているうちに、いつからかそれだけが幸福実現党の勝利と日本国民を救済できる作戦であると考えてしまい、自分たちが最も得意とする啓蒙戦を忘れているのかもしれません。ですからどうしても、地上戦、空中戦の他に、啓蒙戦を取り入れて頂き、衆愚政治による日本の危機から、日本と国民を救い出して頂きたいのです。

 マスコミによる、利権屋や政治屋のための、未来の無い選挙ではなく、国民による、国民のための、未来を切り開く、そんな正しい選挙を実現させていかなければならない時代が、今、この国には訪れていると、私はそう思うのです。選挙そのものを改革できるのは実現党をおいて他になく、また選挙改革が行われなければ、日本に未来など無いのではないでしょうか。
―今の選挙参謀は新興宗教に対する世間の風当たりを把握し切れていない―

 また今、幸福実現党には、選挙の参謀となって下さっている方々が幾人かいらっしゃり、何とか幸福実現党を勝利に導こうと尽力されておられますが、しかし「彼らは、私たち信仰者が、これまで何年、何十年に渡って受け続けてきた、新興宗教に対する世間の風当たり、宗教アレルギーをあまり理解しておらず、我々選挙の素人が彼らに頼りすぎてしまうことで、いつしか逆に苦しみを与えてしまっている」という現実が、もしかしたらあるのかもしれません。

 たとえば、他の政党が同じ青いポロシャツを着て、爽やかな笑顔で政党チラシを配布すると、好印象を与えることができますが、しかし私たち幸福実現党が行うのとでは、受け取るイメージが全く異なっております。
映画の『20世紀少年』などには、おかしな新興宗教が登場しており、その信仰者が、過剰なまでの不気味な爽やかな笑顔を振りまいているシーンがあります。つまり世間一般の新興宗教に対するイメージは、「洗脳(カルト)と金」であり、そして「彼らはその目的の為に、手段として過剰なまでの不気味な爽やかな笑顔を使う」、というものです。

 青は爽やかな色です。しかし新興宗教の政党が、駅や街角などを青一色に染め上げると、「爽やか過ぎてキモイ(気持ち悪い)」というのが、世間の心理なわけです。そして笑顔を作って見知らぬ人に爽やかに挨拶すると、やはり「新興宗教政党は爽やか過ぎて気持ち悪い」などという感想を持たれてしまうことさえあるわけです。ならば私たち幸福実現党が、新興宗教政党である以上は、「爽やかさ」をイメージさせてしまう青い色を、あえて少し押さえるのも、一つの手段かもしれません。
―新興宗教アレルギーを啓蒙によってなぎ払ってこそ仏国土建設―

 今、仏教、キリスト教、神道などの伝統宗教と日本国民が関わるのは、冠婚葬祭か観光くらいなものです。ですから日本国民は今、「宗教とは毒にも薬にもならないもの」と考えており、「宗教が人間の心を養い育てるもの」とは到底、イメージしておりません。その結果、日本国内が腐敗しているわけですが、しかし新興宗教に対しては全く違うイメージを持っております。「新興宗教は洗脳と金であり、悪である」と考えているわけです。

 幸福実現党は宗教政党ではなく、正確には新興宗教政党であり、日本国民は新興宗教に対して、かなり強い新興宗教アレルギーを持っております。ですから、その宗教アレルギーを払拭する啓蒙戦を、幸福実現党が行わずして、この戦いに勝つことはできないし、この国を宗教立国にすることなど永遠に不可能と言えるはずです。

 これまでこの日本国内において、幾多の新興宗教が、社会的事件を引き起こすことで、今の日本国民は次の大切な真実を知りません。

 その大切な真実とは、「宗教とは真理を説くことによって人間の心を養い育てるものであり、教育と文明の原点には必ず宗教が存在する以上、日本国民も皆、実は仏教、神道、儒教から善悪を学んでおり、すでに全ての日本国民が宗教の恩恵を受けている。現実に道徳や倫理や法律は宗教から生まれている。国が人生の土台であるように、宗教とは教育と文明の原点である以上、すでに恩恵を受けている宗教に対して毛嫌いすることは、国に対して無関心になることより遥かに滑稽なことであり、そして新興宗教とは新しく興った宗教である以上、仏教やキリスト教もかつては新興宗教に他ならない。間違った新興宗教が世に跋扈しているからといって、全ての新興宗教にアレルギーを抱くことは、明らかに間違いであり、箱の中に100個のリンゴがあり、たとえ99個が腐っていようとも、残りの一個まで必ず腐っていると決め付けるのは大きな間違いであり、残された最後の一つが芳醇な智慧の実であることは十分にある」ということです。

 幸福実現党が新興宗教政党であり、そして日本国民が根強い新興宗教アレルギーを抱いている以上は、党をあげて新興宗教アレルギーを取り除く啓蒙戦の先にこそ、実現党の勝利と宗教立国による仏国土ユートピアの建設があるのだと、私はそのように感じている次第です。
―日本国内にある新興宗教アレルギーはルシファーとの戦―

 日本国民は今、「新興宗教」という言葉を聞くだけで、鳥肌を立たせるようなイメージを持っているわけですが、しかしそれは『エクソシスト入門』において、ルシファーが堂々と「自分は宗教を狙う」と言っていたように、今、この国はルシファーによる「新興宗教は悪である」という大洗脳がかなり進んでいる、という見方もできます。

 様々な間違った新興宗教が、洗脳された信者を使って、人々からお金を巻き上げたり、あるいは社会的大事件を起こしてきましたが、ルシファーの本当の目的は、お金を巻き上げることでも、毒ガスをばら撒いて人々を不幸せにすることでもなく、「新興宗教は悪であり、新興宗教が政治に出るなど言語道断である」というイメージを国民に植え付けることであったと、私はそのように思うのです。

 すなわち奴らもなかなか狡猾で、自分たちの居場所を確保するために、すでに心理戦において様々な先手を打っているわけです。ならばこちらも、奴らの手を封じる手を打つしかありません。ルシファーごときの洗脳によって、日本国民が「新興宗教は悪」などというイメージを持っているのならば、やはりきちんと啓蒙戦を行って、国民に「宗教の意味」を語り、「新興宗教とは新しく興った宗教であり、仏教もキリスト教も2500年前、2000年前は紛れも無く新興宗教であった」と教えてあげるべきだと思うのです。

 これからの選挙や伝道は、紛れもなく日本国民に根付いた、新興宗教に対する根強いアレルギーとの戦であり、そしてその根強いアレルギーを作ったのが、ルシファーである以上は、選挙や伝道は、見方を変えればルシファーとの戦に他なりません。
つまり「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」という孫子の兵法の言葉にもあるように、この戦が、日本国民を真ん中に挟んだ、私たち幸福実現党とルシファーの天使と悪魔の戦である以上、どの政党も既にやっている既存の選挙の戦い方だけでは、この戦に勝つことなど到底できないし、この国に大革命を起こして、新しい国造りを行うことなど絶対にできないものと、私は思うのです。

―国民主権の民主主義の世では、啓蒙による国民の意識改革の先に革命がある―

 高杉晋作の霊言にもあったように、日本は政治的にも、宗教的にも革命を起こさなければなりません。そしてこの日本は民主主義の国であり、この国の主権者は国民です。つまりどこかの権力者が、力でもって国家と国民を治めているのではなく、「国民一人一人が国家と自分たち国民を治めている」というのが、ここまで発展を遂げることのできた、今の日本の姿なわけです。ならば日本国民の政治や宗教に対する意識改革こそ、日本の政治革命であり、宗教革命です。国民こそが、国家と自分たちを治めているのならば、「意識改革即大革命」という図式が確かにあります。

 そして意識改革を起こす為には、やはり政治と宗教の意味を国民に教える啓蒙戦こそが、この日本を救い、そしてこの日が昇る国に、太陽の時代を到来させる道であると、私はそのように思うのです。ですから「政治とは何か、宗教とは何か、新興宗教とは何か」といった、そうした本質的な事柄を国民に教えて啓蒙することこそ、啓蒙のプロ集団である私たちが取るべき作戦であると、私はそのように思う者です。
―啓蒙戦の他に情報戦で沖縄県民を始めとする日本国民を平和ボケから覚ます―

 またこうした啓蒙戦の他に、幸福実現党の別働隊として、情報戦を行って中国共産党の脅威を国民に伝えて、日本国民を平和ボケから目覚めさせなければならないはずです。

 現実に沖縄出身の元参議院議員、喜納昌吉さんは、「全ての武器を楽器にしようと」と訴え、そして沖縄からの米軍基地反対だけではなく、「沖縄を日本から独立させ、沖縄を日本と中国の架け橋にして、東アジア共同体の礎にしようと」と本気で考えております。しかも菅首相は、「沖縄の基地問題はどうにもならないから、沖縄は独立した方が良い」と彼に言ったそうです。さらに鳩山前首相が普天間基地移設を混乱させたことで、今、沖縄の世論は「基地反対派」が増えつつあります。このまま日本国民が平和ボケを続けていれば、この日本という国は、すでに「国民が国家と国民を治めている国」でありますから、中国による国難を回避できるわけもありません。

 ですから幸福実現党が間接的に情報戦を行って、中国共産党の日本侵略の手段を、きちんと国民に教えてあげて、平和をボケから目覚めさせてあげるべきだと思うのです。中国共産党の情報を集めて、そしてその情報をきちんとまとめて、さらにはその情報を広げる、こうした情報戦こそ日本国民を平和ボケから目覚めさせ、そして日本を護ることができると私は思うのです。

 ちなみに9月の12日には、沖縄の名護市などで市議選がありますし、11月には県知事選挙もあります。もしもこの11月の県知事選挙において、この度の参議院選挙で落選した喜納昌吉さんや、あるいは彼と同じような考えを持った人が当選するようなことになったら、日本はますます窮地に立たされてしまうので、この情報戦は一刻を争うものです。

 ですから9月の市議選に幸福実現党から候補者を擁立し、基地の重要性を説く必要がありますし、11月の県知事選挙までには、情報戦を行って沖縄県内に、「基地賛成派」の世論を作り上げていく必要があります。つまり情報戦を行って、沖縄から日本国民の平和ボケを目覚めさせていかなければならないのです。

―国民に反省を迫らない幸福実現党にも反省すべき余地があるのでは?―

 どうか「選挙、政治、国家の重要性を国民に伝える啓蒙戦」、「宗教の意味と、そして新興宗教とは新しく興った宗教であることを国民に伝える啓蒙戦」、「中国の日本侵略の手段を国民に伝える情報戦」、そして「沖縄県内に一刻も早く基地賛成派の世論を作り上げる情報戦」、この四つを行って頂きたい所存であります。

 幾たびの選挙結果を見れば分かるように、私たち幸福実現党は、リングやフィールドに立たせてもらってもおりません。ならば選挙という名のリングやフィールドを作り変えて、進歩させるという作戦が必要不可欠であり、政治家には「国民の声を国政に届ける」という仕事の他に、「啓蒙を行うことで国民の声そのものを変える」という仕事も欠かせないと私は思う者であります。

 これこそ、今の日本と日本国民を救うばかりか、幸福を実現させていくうえで必要不可欠な愛だと、私は思います。つまり今の日本国民に適した愛を与え、必要な知を彼らに注ぐことによって、彼らの反省を促すからこそ、日本のさらなる発展があるのだと、私はそのように理解しております。

 反省すべきは日本国民であります。しかし「啓蒙戦や情報戦を行って、日本国民にきちんと反省を迫らず、それどころか衆愚選挙に実現党が迎合している」という意味では、私たち幸福実現党にも、まだまだ反省と、そして発展の余地がかなり残されているのではないでしょうか。「国民を啓蒙して、幸せに導く」という、尊い愛の使命があるにも関わらず、その愛の使命を十分に果たしきれていない実現党にも、やはり反省すべきところがあるのではないでしょうか。
―今こそ三千世界の大洗濯を行い、世界に中道の正義による新秩序を―
2800年ある日本の歴史の中で、今ほど日本が情けなく、そしてふがいない時代はありませんでした。アメリカという大国の顔色を常に伺い、そして時には北朝鮮という小国にミサイルで脅され、時には人々が拉致されている。そして「その北朝鮮が怖いから、アメリカに守ってもらいたいから」という理由で、イラク戦争において、時には全く関係の無い国の人々に対して行われた殺戮や破壊や外道の仕業の支援を、人材やお金を差し出すことで行う。中国には捏造された虐殺の歴史問題を突きつけられることで、人類史上最大規模の恐喝に会い、そしてその中国に核兵器を向けられて、国土を失おうとしている。日本国内では36万もの人間が自殺し、イジメやリストカットが多発している。そして世界の本質を見抜けない政党が政権を取ることで、今、日本は滅びの危機にある。それでも同胞の関心は、芸能やスポーツやスキャンダルやゴシップばかり・・・。

 戦後七十年の日本の歴史の中で、確かに素晴らしい政治家もいらしゃったでしょう。経済界にも、芸術方面でも、素晴らしい方々はたくさんいらしゃったでしょう。またこの七十年の中で、多くの素晴らしい方が生きておられたことでしょう。しかし「2800年の歴史を持つ日本」として見た時、やはりこの戦後の七十年間は、「日本にとって失われた七十年であった」と、そう言えてしまうはずです。

 かつて坂本竜馬は姉への手紙の中で、「日本を今一度洗濯いたし申し候、事にいたすべく神願にて候」と書きました。ここで注目して頂きたいのは、あえて竜馬が「今一度」と付けているということです。それはまるでこの日本が、これまで何度も、何度も洗濯され、そして改革されてはきたけれども、今再び洗濯が必要である、ということを示しているようです。

 また出口王仁三郎氏は、ご自身の著書『霊界物語』において、「三千世界の大洗濯が行われ、肉主霊従の世から霊主肉従の世へと移り変わり、やがて弥勒の世が来る」ということを予言しておりました。それを私たち幸福実現党的に訳せば、「日本国内を遥かに越えた大改革が行われて、仏神の世の中が到来する」という意味になるでしょう。
そしてその時代について出口氏は、「ボタンを打てば、ハガキなどが無くとも手紙が届く時代」とか、「電線が地上を張り巡らせている時代はダメな世の中で、弥勒の世ではそんなものはなくなる」と予言しております。まさしくメールのことであり、今、日本は都会から徐々に電線が無くなっております。

 つまり出口王仁三郎氏の予言によれば、確かに今こそ、この日本に絡み付いている暗雲を大洗濯して、この日の本にいよいよ太陽の時代を築き上げるべき時なわけですです。予言によれば確かに今こそ、この日本を宗教国家とし、そして今一度、中国に対して、「日、出る処の天子、日没する処の天子へ」という対等な外交を行うべき時なわけです。

 そして真理に基づいて築かれた日本が、世界のリーダーになることで、時には傲慢不遜にも感じる、善悪二元論的なアメリカの正義による世界秩序を終わらし、中道に則った正義の新世界秩序を作り上げていくことができます。なぜなら日本中の人々が、今の日本に不安と疑問を感じ、そして世界中の人々が、今の世界秩序に疑問を感じている以上、中道に則った日本、そしてその日本の正義による世界の新秩序を待ち望んでいる人々がいるからです。

 つまり、彼ら自身が気づいておりませんが、幸福実現党の智慧を含んだ愛を待ち望んでいる人が、日本国内のみならず、世界中に確かにいるわけです。言葉を変えれば、主の慈悲を待ち望んでいる方々が確かにいる以上、私たち弟子たちは、魔ごときの狡猾な作戦を、さらに狡猾に打ち破って、主の慈悲と光を広げていくべきであると、私はそのように考えている次第です。

 日々の御聖務、お疲れのこととは思いますが、地上戦、空中戦のほかに、こうした啓蒙戦、情報戦を行ってくださいますよう、どうかよろしくお願いいたします。まったく不躾であり、礼儀礼節を欠いていること、私も十分に理解しております。しかしながら、私のような若輩者には、党に対してどこにも意見を言う場が無いゆえに、こうした手法でもって請願書を書いたこと、どうかお許し下さい。


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