インドネシアが親日である理由
2014/09/11 に公開
動画サイトから
インドネシアは独立し、大日本帝国軍がそのきっかけを作ったのは事実。
そして、現在のインドネシアは超親日国であることも事実。
インドネシアが親日である理由 英語版ができました!
https://www.youtube.com/watch?v=epumBf5NOBg
感動した(´。`;)旧日本軍が・・・
知らなかった・・拡散希望します。
追記
日本兵の魂は現地人に守られている byタイ
http://yamatokamikaze.blog129.fc2.com/blog-entry-15.html

■ククリット・プラモード タイ国元首相のサイヤム・ラット紙の記事より■
日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体を損なったが
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話しが出来るのは、
いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、
一身を賭して重大な決心をされた日である。
我々はこの日を、忘れてはならない。
タイのクンユアムに、第二次世界大戦のビルマ戦線に参加した日本軍将兵の遺品が
集められた博物館があるそうです。
しかもこの博物館は日本人の意思ではなく、地元クンユアム警察署のチェーチャイ署長が
しかもこの博物館は日本人の意思ではなく、地元クンユアム警察署のチェーチャイ署長が
発起人となって尽力されたとか。
またこの博物館は、日本軍の残虐さに主眼をおくカンチャナブリの博物館とは違って、
またこの博物館は、日本軍の残虐さに主眼をおくカンチャナブリの博物館とは違って、
この戦争の真実の姿を明らかにする事がテーマであると言う。


クンユアム旧日本軍博物館
第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。
でも、私たちタイ人は違います。
この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を同時にもたらしたのです。
私たちは、決して忘れることはないでしょう・・・
The second world war was a brutal memory to many,
Yet, for Thais like myself,the war brought love and bond together
between the Thais and Japanese soldiers.That I will never forget...
「クンユアム旧日本軍博物館」の記事
チャーチャイ・チョムタワット氏へのインタビュー記事から抜粋
日本の人に言いたいことはありますか?
―私は、クンユアムに日本軍が来ていたという事実を証明したくてこの調査
を始めました。
しかし、名前が記された品物を見たり、遺骨が掘り出されたりするのを見
たりしているうちに、日本の遺族の代理としてこの作業をしているという
気持ちになってきました。
ぜひ多くの日本人にこの博物館を見ていただきたい。
日本軍は、アシアの国々で残虐な行為をしてきたことが強調されています。
それはおそらく事実でしょうが、少なくともここではそんなことはなかった。
クンユアムの人たちは日本の兵隊さんが好きでした。
そのことを今の日本の人たちに知ってほしいと思っています。
ここクンユアムはタイの北西部に位置し、ミャンマーと国境を接している。
ビルマ作戦に於ける重要な兵站基地の一つでもあった。
サルウィン河の渡河地点ケマピューに道は続いており、さらにトングーにつながっている。
この道はインパール作戦後、日本兵が敗走してきた所謂白骨街道といわれている。
更にこの地では、7,000名に上る日本軍将兵が命を落としたといわれる。
チェンマイへ通じる道は北、中、南、三本のルートがあるが、
第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。
でも、私たちタイ人は違います。
この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を同時にもたらしたのです。
私たちは、決して忘れることはないでしょう・・・
The second world war was a brutal memory to many,
Yet, for Thais like myself,the war brought love and bond together
between the Thais and Japanese soldiers.That I will never forget...
「クンユアム旧日本軍博物館」の記事
チャーチャイ・チョムタワット氏へのインタビュー記事から抜粋
日本の人に言いたいことはありますか?
―私は、クンユアムに日本軍が来ていたという事実を証明したくてこの調査
を始めました。
しかし、名前が記された品物を見たり、遺骨が掘り出されたりするのを見
たりしているうちに、日本の遺族の代理としてこの作業をしているという
気持ちになってきました。
ぜひ多くの日本人にこの博物館を見ていただきたい。
日本軍は、アシアの国々で残虐な行為をしてきたことが強調されています。
それはおそらく事実でしょうが、少なくともここではそんなことはなかった。
クンユアムの人たちは日本の兵隊さんが好きでした。
そのことを今の日本の人たちに知ってほしいと思っています。
ここクンユアムはタイの北西部に位置し、ミャンマーと国境を接している。
ビルマ作戦に於ける重要な兵站基地の一つでもあった。
サルウィン河の渡河地点ケマピューに道は続いており、さらにトングーにつながっている。
この道はインパール作戦後、日本兵が敗走してきた所謂白骨街道といわれている。
更にこの地では、7,000名に上る日本軍将兵が命を落としたといわれる。
チェンマイへ通じる道は北、中、南、三本のルートがあるが、
この北回りの道も日本陸軍第15師団の自動車道建設のため多くのタイ人労働者が命を落とし、
違った意味での白骨街道でもあった。
しかし、当地メーホンソン県においては大東亜戦争中、日本軍と現地住民との関係は
しかし、当地メーホンソン県においては大東亜戦争中、日本軍と現地住民との関係は
良好に保たれており、多くの深い人間性のある交流が生まれた。
今日に至るも、当時よりの友好と友情の交流は続けられている
タイ北部のバーイ川には昭和17年(1942年)に架設された鉄橋が残されています。
日本軍の建設によるもので、プミポン国王が保存を命じたのではないかと言われています。
泰緬鉄道も保存され、日本の機関車も保存されています。
日本製の海防艦「トンブリ」軍艦「メコン」もスクラップにせず保存されているそうです。
今日に至るも、当時よりの友好と友情の交流は続けられている
タイ北部のバーイ川には昭和17年(1942年)に架設された鉄橋が残されています。
日本軍の建設によるもので、プミポン国王が保存を命じたのではないかと言われています。
泰緬鉄道も保存され、日本の機関車も保存されています。
日本製の海防艦「トンブリ」軍艦「メコン」もスクラップにせず保存されているそうです。





クンユアム旧日本軍博物館には、当時日本軍と共に生きた方々が大切に残し、
その記憶や絆をいまでも守っていただいてます
当時タイで日本軍がイギリス軍とたたかい、多くの日本兵が傷つき、飢えに苦しみ命を落としておられます。
我々、後世の日本人のために戦い命を落とされました。
悲しみ、苦しみ亡くなられた方々のご冥福をお祈りします…
当時タイで日本軍がイギリス軍とたたかい、多くの日本兵が傷つき、飢えに苦しみ命を落としておられます。
我々、後世の日本人のために戦い命を落とされました。
悲しみ、苦しみ亡くなられた方々のご冥福をお祈りします…
。
余談ですが世界一の親日国は、台湾かな~と思っています。
それはさておき、8月にインドネシア日本人残留兵の「小野盛さん」がご逝去されました。
日本敗戦後もインドネシアの独立を助けるという天皇陛下のお言葉を貫くために戦い続けることを選び。
この小野盛さんの訃報の記事は日本では全く報道されませんが、インドネシアでは様々なメディアで報道されたそうです。
もし機会があれば、是非ブログで取り上げてくださいませ。
日本に家族もいたでしょうに・・、
でも、今の日本との良好な関係は、彼らが作っておいてくれた。。
やはり未来の祖国のために戦っていた勇者たちでしたね。