つづりかた教室

自分の生きている足跡を残してみようかなあ!

川田正子さん逝く

2006-01-29 | Weblog
川田正子さんの逝去が、テレビや新聞等で報道されました。
戦中、戦後の荒んだ日本を洗い清めるかのように澄んだ歌声で童謡を歌っていた川田正子さんが1月22日午後8時31分、虚血性心不全でお亡くなりになりました。

学校の方針で歌手活動を中断した時期もありましたが、6、7歳からお亡くなりになった前日まで舞台に立たれ、歌にささげた一生でした。
71歳で現役の歌手。それだけでもご立派なのに、子ども達に歌唱指導をされ、「森の木児童合唱団」を育てられた業績はこの方以外に知りません。

私の子ども時代は戦争と、敗戦の混沌とした時期で、川田正子さんの歌が唯一の光明で、彼女の歌に魅せられ、憧れの方でした。
40数年前に結婚されて代田6丁目に住まわれ、幼稚園の「歌のお教室」で長男、次男がご指導していただき、次男は声変わりのする5年生まで個人レッスンを受けました。
先生にも2人の男の子がいらして、ご次男さんが私の次男と育成幼稚園、東大原小学校が一緒で、PTA仲間にもなりました。

大ファンの1人として、毎年のリサイタルには欠かさず、友人と誘い合って聴きに行っていました。
今年は歌手生活65年の記念リサイタルを9月10日にNHKホールでする予定になっていて、私もできるだけのお手伝いをさせていただくつもりでした。
澄んだお声の持ち主は心も美しく、周囲の人達を優しい気持ちにさせ、彼女を守りたい気持ちが湧いてきました。
今年の年賀状に「いつもお心にかけていただき、とても嬉しく思っております。その後のこと電話をさせていただきます」と手書きで添え書きがしてありましのに、電話をいただくことなく、神様に召されて天国に逝ってしまいました。

23日、夜のNHKテレビで彼女の逝去のニュースが流れ、それを友人から電話で知らされ半信半疑でご自宅に駆けつけました。
そこには白雪姫かと思うばかりに美しい川田正子さんが、永遠の眠りについていられ、現実を悟りました。
2月5日に芝の増上寺で本葬があるのですが、26日お通夜、27日告別式の密葬に参列し、永久のお別れをさせていただきました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ピアノリサイタル

2006-01-21 | Weblog
昨夜はサントリー小ホールでのピアノリサイタルへ行ってきました。
松原教室の生徒さんでもある私の友人ロミさんのお子さんの中学時代の同級生、竹内英仁さんがオーストリア、チェコなどで音楽を学び、ピアニストとして活躍され、現在プラハに住んでいて、海外でのコンサートや日本での演奏をしていらっしゃいます。
昨夜はロミさんのお仲間、20名と一緒にベートーヴェン、ショパン、モーツアルトの音楽を彼の華麗な演奏で聴かしていただきました。
彼とピアノを結びつけた幼稚園の園長先生や担任の先生もいらしてくださり、今にも雪が降り出すような寒さの中、お人柄が伝わる感動の夜を過ごすことができました。
写真は不出来ですが客席から写したステージに飾られていたお花です。
もう1つ反対側のお花もお仲間と一緒にバラシていただいてきました。


雪のマシュマロ

2006-01-16 | Weblog
青森に住む友人から珍しい写真を添付したメールを届けてくれました。写真の上でクリックしてください
庭の木の上に積もった雪を『雪のマシュマロ』と名づけて、
日々大きくなってくるのを写真に撮って、楽しみに眺めているそうです。
東京では見られない雪景色のお裾分けです。


夜も更けて

2006-01-09 | Weblog
新年も10日が過ぎ、お正月気分も抜け、平常の生活が戻ってきました。
愛犬たちは暮もお正月もなく、いつもの生活です。
相変わらずのことで、特別のことではないのですが、
今夜は彼女達のうたたね姿にカメラを向けてみました。
この写真は1歳になった娘のペロちゃん(右)と2歳のママピンキーです。
母娘と言うより仲良し姉妹のようです。
9歳半の祖母プリティは母娘の相手をせずに1人を楽しんでいます。


写真の上でクリックしてください

謹賀新年

2006-01-01 | Weblog
明けましておめでとうございます。
暮からお正月にかけて忙しい日々でしたが、
なんとか私にも2006年がやってきました。
今年もよろしくお願いします。
暮に綾小路きみまろさんのディナーショーで、
例の中高年の人たちを揶揄して笑わせる話の合間に
彼が幸せは『はひふへほ』と言っていました。
『は』⇒半分よければ幸せ。
『ひ』⇒人並みなら幸せ。
『ふ』⇒普通なら幸せ。
『へ』⇒平凡が幸せ。
『ほ』⇒程々が幸せ。
今年は私も『はひふへほ』で幸せな1年にしたいと思います。