つづりかた教室

自分の生きている足跡を残してみようかなあ!

恩師との時間

2013-03-28 | Weblog
私の恩師は小柄で穏やかな方ですが、80歳を過ぎても、知識欲、行動力が旺盛で、いつも尊敬しています。
昨年は海外も含めてご家族で4回の旅行をされ、それをまとめたいとのご希望で、お手伝いに伺いました。


先生は京王線の稲城駅からバスに乗り、自然豊かな景色の中にある大きなマンションにお住まいです。
道路からマンションの入口を入ると、4つのマンションが広場を囲んで建っています。
突き当り正面の4番街が先生のお住まいで、1つおいたお隣に次女のご家族が住んでいられます。
私は6年ほど前から月に1度くらい、先生のお宅にお邪魔して先生との時間を楽しましていただいています。


14階建ての1階なので、お庭付きです。小さな可愛いお花を楽しまれていて、ご仏前やテーブルの上、トイレにもお庭に咲いた小花が飾られています。
先生と過ごす時間はいつも昼食をご一緒するところから始まります。
マンションのレストランだったり、たまには私が市販のお弁当を持参したりしています。
この日は先生がお食事を用意してくださっていました。
海老フライに添えられていた生野菜の緑はほうれん草でした。
食後のお茶とおしゃべりを楽しんでから、パソコンに向かいます。


年末は年賀状のお手伝い。今年に入ってからは旅行記の作成です。横書きだった文章を2段の縦書にし、寫眞を挿入して4つの旅行記をまとめました。
4月に来日されるボストンに住む長女さんに見せたいのと、5月の旅行の前には完成させたいのです。
両面印刷用の紙を用意し、前回で印刷終了と思っていたのですが、インクが無くなり今回は完成を目指して取り組みました。ページの挿入が怪しかったのですが、夕方には7部の旅行記の製本が完了しました。
先生は奈良、壱岐に続いて日本のいにしえを尋ねて5月には百済にいらっしゃるそうです。

孫と愛犬

2013-03-19 | Weblog
確定申告や、主人の13回忌など、忙しく、疲れた3月上旬でしたが、後半に入って孫と愛犬と過ごした時間で心が癒されました。

17日の土曜日、娘夫婦の外出中、5歳と2歳の孫と過ごすことになり、2人をデパートに連れて行くことを思いつきました。お子様ランチ、屋上の乗り物、子ども休憩室、おもちゃ売り場などが孫たちのお気に入りの場所です。
1週間後に3歳になる孫のプレゼントも買うことも出来ました。
屋上でまず最初に新幹線に乗った2人。運転席に座れなかったお姉ちゃんの膨れた顔を見て下さい。




次の機関車トーマスの運転士はお姉ちゃん。
<順番>の意味が分かってきた弟のほっぺは膨らんでいません。大好きなトーマスに乗ってご機嫌です。
彼の頭の中にはトーマスを始め、機関車の仲間がいっぱい入っています。<ジェームス><ゴートン><スペンサー><ヘンリー>などなど…私も名前を覚えさせられてお相手が大変です。



12年前に主人は愛犬プリティを残してこの世を去りました。
3年後にプリティの血を残したく赤ちゃんを産ませました。右側の小さい方が9歳になったピンキーです。左側はピンキーの娘のペロです。
私はプリティの娘と孫娘の2匹のパグたちに囲まれて暮らしています。2ヶ月に1度くらい、動物病院でシャンプーと健康管理をしていただいています。
シャンプーが終わると紐にご褒美のリボンを付けてくれます。このリボンを見たり、シャンプーの匂いが私の気持ちを幸せにしてくれます。
出産で寿命を縮めたプリティが可哀想で、この子たちの血は残さないことにしました。



ひなまつり

2013-03-04 | Weblog
娘夫婦は3月2日、3日に那須で過ごす計画を立てていました。自分達家族4人の他に小5、小2の姪と私を連れ、那須高原で雪遊びをし、ホテルに飾ってあるお雛様でひなまつりを楽しむ予定でした。
ところが、数日前から栃木県の地震情報が流れ、万一を思ってキャンセルすることにしました。


娘宅では、我が家でのひなまつりを予定していなかったので、ひなまつりパーティはありませんでした。
食後のケーキに招待され、一緒に楽しみました。
5歳になった孫は幼稚園で作ったお雛様を飾り、先生に教えていただいた<嬉しいひなまつり>の歌を大きな声で歌ってくれました。






その3月3日に隣り町に住む叔母から<梅の花>青山店に誘われました。
父の弟と結婚した叔母は、叔父が亡くなってから1人暮らしをしています。
10年くらい前から、やはり夫を亡くした姪たちを月に1度、あちこちのお料理屋さんで美味しいお料理をご馳走して慰めてくださっています。そのうち、叔母様を慕うお仲間の集いになって、行くお店も<梅の花>青山店に限定され、月ごとに変わるメニューを楽しんでいます。この日のお店は桃の節句にちなんだ飾りで私たちを迎えてくれました。



選んだメニューは<なごみ>です。お豆腐中心のお料理ですが、湯豆腐と、とうふしゅうまいがとても美味しかったです。この日は叔母様と姪3人でした。体の調子とか近況のおしゃべりをしながら、次々に運ばれるお料理に目と口を満足させていただきました。



なんと叔母様は私たちにお土産を予約してくださっていたのでした。
この日限定の<ちらし寿司>のお弁当です。ピンクの薄布に包まれた上等のお弁当は1つを息子の孫たちに、1つを娘の孫たちに届けました。
華やかな集いはなかったけれど、心のあたたまる嬉しいお雛祭りを過ごすことができました。





携帯電話の話

2013-03-01 | Weblog
私が最初に携帯電話を持ったのは、今から何年前だったでしょうか… 携帯電話が出始めた頃で、まだあまり普及されていない時期でした。
子ども達の子育ても一段落し、現在同様気ままに自分の自由な時間を満喫していた私に、長男から私の存在を確認するために携帯電話を持っていて欲しいとの要望がありました。
幼少から持病を抱えていた長男にとって、母が何処にいるのか分からないのは不安のようで、何処で買ったかどんな形だったか覚えていませんが、私は長男との連絡のためだけに携帯電話を持参して外出するようになりました。
何年かの間に3回ほど、使ったでしょうか、その間に息子は結婚し、3階で暮らしていました。
ある日、息子のお嫁さんが「Sさんから電話があり、◯◯まで迎えに行ってきます」と言って出かけました。私の役目の終わったことを悟り、第1号の携帯電話の契約を解消しました。


7~8年ほど前、周囲の方々が携帯を駆使され、私も欲しいと思っていた矢先に、娘婿さんからクリスマスプレゼント。エンジ色のシニア用でした。程なくして、義息子が会社を設立して会社の備品として携帯を購入。私のもおニューになりました。第3号のそれは万歩計の機能もついていて快適な使い心地でしたが、息子の勧めで家族全員が通話料無料のソフトバンクに切り替え、若々しい機種を選んでくれました。機能は使いこなせず、小5の孫を頼っていたのですが、3週間ほど前に紛失してしまいました。
ソフトバンクで通話を不通にしたり、交番に届けたり、手続きをしましたが出て来ませんでした。1週間ほどして義息子は保険とポイントで安く購入できるからと新しのを買ってくれ、落とさないようにと鎖をつけてくれ、充電器も新しくしてくれました。
第5号が少し使い慣れた頃、ソフトバンクから持ち主の義息子に拾得通知が届き、飯田橋の遺失物センターに取りに行って来ました。


思いかけず、私は同じような機種の携帯を2台持つ身になりました。義息子は1台は予備で持っていたら良いと言ってくれています。新しいのを使うなら落とした方に入っているデーターを移します。落としたのを使うなら、停止を解除して通話ができるように届けなければなりません。機能のお世話をしてくれる小5の孫に相談して、結論を出したいと思っています。<たかが携帯 されど携帯>の日々を過ごしたのです。