今月の「文學界」(十一月号)の「新人小説月評」は中々考えさせられるものでした。
このコーナーをさらっと説明すると、毎月「文學界」、「新潮」、「すばる」、「群像」などに掲載された作品のうちの幾つかを二人(佐々木敦、菅聡子)の人が簡単に批評するというものです。
私は「文學界」と「新潮」を毎月買っているので、読んだ作品の批評が翌月に直ぐ読めるというのがなんとも楽しみであったりしています。
で、今回気になったのは、「すばる」に掲載された中島たい子「そろそろくる」(すばる)についてのものです。
ちなみに、二人ともに酷評気味です。
佐々木氏の方は文章を挙げて
―*―*―*―*―*―
たとえば「三十を過ぎている女が呼吸困難におちいりながら泣きじゃくって何が悪い」というような、ほとんど自動書記的ともいえる無自覚に無神経な文章があまりにも多くて、正直なところ閉口した。
―*―*―*―*―*―
とし、その後
―*―*―*―*―*―
とはいえ中島さんが特別酷いわけではおそらくなくて、新人賞の応募作の大半はこの種の「わたし小説」(not 私小説)なんだろうな。
―*―*―*―*―*―
とアマチュア扱いとも取れる記述(きびしー!)。
次に菅氏は、同作品に対し「最後まで飽きさせない」としながらも最後に
―*―*―*―*―*―
共感性への依存度には禁欲的であって欲しい。
―*―*―*―*―*―
と、締め括っています。ちなみに、今月は副題も「蔓延する共感依存症」となっています。
で、まあ、私はこの作品読んでないのですが
そして、ブログなんだから、本来だらだらと私の所見を述べていくべきなのでしょうが、途中まで書いて「別にいらなくないか?」と思ったのでやめました
今回は紹介までということにします。
ちなみに、私が一番注目したのは、最後の「共感性」に関するもので、またそれについて触れたのが(つまり少なからず共感したのが)作者と同じ女性である菅聡子氏であることも興味深いですね。
以上です。ではでは
このコーナーをさらっと説明すると、毎月「文學界」、「新潮」、「すばる」、「群像」などに掲載された作品のうちの幾つかを二人(佐々木敦、菅聡子)の人が簡単に批評するというものです。
私は「文學界」と「新潮」を毎月買っているので、読んだ作品の批評が翌月に直ぐ読めるというのがなんとも楽しみであったりしています。
で、今回気になったのは、「すばる」に掲載された中島たい子「そろそろくる」(すばる)についてのものです。
ちなみに、二人ともに酷評気味です。
佐々木氏の方は文章を挙げて
―*―*―*―*―*―
たとえば「三十を過ぎている女が呼吸困難におちいりながら泣きじゃくって何が悪い」というような、ほとんど自動書記的ともいえる無自覚に無神経な文章があまりにも多くて、正直なところ閉口した。
―*―*―*―*―*―
とし、その後
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とはいえ中島さんが特別酷いわけではおそらくなくて、新人賞の応募作の大半はこの種の「わたし小説」(not 私小説)なんだろうな。
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とアマチュア扱いとも取れる記述(きびしー!)。
次に菅氏は、同作品に対し「最後まで飽きさせない」としながらも最後に
―*―*―*―*―*―
共感性への依存度には禁欲的であって欲しい。
―*―*―*―*―*―
と、締め括っています。ちなみに、今月は副題も「蔓延する共感依存症」となっています。
で、まあ、私はこの作品読んでないのですが
そして、ブログなんだから、本来だらだらと私の所見を述べていくべきなのでしょうが、途中まで書いて「別にいらなくないか?」と思ったのでやめました
今回は紹介までということにします。
ちなみに、私が一番注目したのは、最後の「共感性」に関するもので、またそれについて触れたのが(つまり少なからず共感したのが)作者と同じ女性である菅聡子氏であることも興味深いですね。
以上です。ではでは