さっくん@勉強中

作家でごはん! において僕のつけた感想など

思い込み症候群

2005-12-03 19:50:41 | Weblog
 まだ色々途中のままになっていますが、ちょっと言っておきたいことがあります。
言おう言おうと思っていたのですが、ちゃんとした形で述べるのは、これまた骨が折れるので、お座成りになっていたことです。

 それは、ずばり「思い込み」についてです。

・テーマっていらなくね?

 本来小説は何をどのように書いてもいい形式なはずです。
「面白ければOK」なわけです。OKじゃないかもしれませんが、少なくとも面白ければ、そう思った人には一瞬であっても受け入れられるわけです(なーんて、細かく議論してるとまためんどくさいことになるのでやめますが)そこに「テーマ」なんて煮ても焼いても大して美味くならんものは必要ではないわけです。同様に起承転結も心理描写もストーリーも整合性も……

 ちなみに、絵画のタイトルが「無題」となっているのを見て途惑うのは日本人に特によく見られる傾向らしいです。何かしら、作者の意図するものを見抜こうとする「お受験的」な発想ですね。馬鹿馬鹿しい。

 テーマが設定されているというのは、そもそも「そうされていると分かりやすい」というだけの理由に過ぎません。少なくとも「読む」という行為においては。
 (テーマの話とは少しずれますが)そりゃあ、作者は何か言いたいのかもしれませんが、そもそも小説という直感的な表現を多用する書物において、「貴方は何か言われたくて読むんですか?」と、問い詰めたい。そして、「小説なんかに」何か言われたところで貴方は納得するんですか? とも問い詰めたい。論文とか読めばいいじゃないですか? 何か言われたいならば。

 テーマを設定するとなぜ分かりやすくなるのかと言えば、極端なことを言えば「二項対立」を作れば、自分がどっちの味方になればいいのかわかるからです。
 例えば2ちゃんねるの書き込みなんかでも、その書き手が「右よりor左より」かが分かれば非常に「何を言おうとしているのか」わかりやすいですよね。
 小説なんかでも「誰々が可哀相で誰々が意地悪」など「いいもの」「わるもの」あるいは、「同情」「共感」「反発」「抵抗」図式を作ってやれば直ちに分かりやすさは確保されます。

 んでもって、そういう「何を言おうとしているのか」ばかりに注目した結果いわゆる「穿った見方」が生まれるわけです。「何を言っているのか」という文面以上でも以下でもない「表面的事実」を捨象して、文章の背後にいる書き手が目指すものばかりに注目してしまう。上の例で言えば書き手本人はただ単に事実を述べているつもりにも関わらず、それを分かりやすく解釈しようとするあまりに、読者の側で勝手に、「この人はライトサイダーだ」というような先入見を取り入れてみてしまう。
 この点で掲示板は本当に顕著ですね。いわゆる「本人乙」「自作自演」なんてのもその一つでしょう。

 例えばどうですか? 今、この記事が「やや毒舌調」であると感じただけでも、淡々と論理を紡いでいくよりも、たとえ不正確でも分かりやすいでしょう。

・実力のある人は謙虚

 これも馬鹿馬鹿しい思い込みですね。実力があって謙虚でない人も沢山います。だって、実力があるんだから謙虚である必要はないですもん(笑) ←どっかでそんなコントを見た気が……

 例えば教授が生徒の誤りを指摘するときに「私も人のこと言えないんですが……」なんていちいち前置きいれてたらうざったいだけでしょう。

 他にもニュートンは自分のことを「神の子」のように思い込んでいた節があったようですが、それと同時に「巨人の肩」で有名なように「謙虚とも取れる」言葉も残しています。
「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」これ、もう一度読んでみてください。ニュートンが謙虚だったのは、「過去の偉大な業績や宇宙」に対してであって、決して「巨人の肩」に立つことが許されないような「凡人ども」に対してまで謙虚であったわけではないのです。

 ダリなんかも「技術的に私と並ぶのはミケランジェロくらいだ」みたいなこと言ってたと思います。

 もっと近い例で言えば、二十世紀の「巨人」アンドレ・ヴェイユ(シモーヌ・ヴェイユの兄といえば分かりやすいかな)も、書棚に並んでいる数学書を指して、「ここに並んでいる著者のうちで私の論文を理解出来る者は(殆ど?)いない」なんて言ってます。っていうか、すげー兄妹ですね。

 実力のある人だからといって別に聖人君子である必要はないわけです。我々が実力をつけようとしているのはあくまで「人の業」の範囲におけるもので、何も超越的な悟りを開こうとかそういうものではないはずですよね?
 謙虚さが必要なのは、そういう態度が「時として」勤勉さをもたらすからに過ぎません。あるいは、単なる処世術(笑)
 ちなみに、掲示板なんかだとこの謙虚さを巧みに(!)利用して、人格非難の方向に論点をずらしたり、妙な理想論以外を拒絶する雰囲気を作れたりします。お試しあれ☆

 さて、どうでしょう? こういうとまた「さっくんは謙虚じゃない」なんて頭にインプットされていきませんか? あるいは「さっくんは過去の偉人と自分を同化させているキチガイ」とか。それ、「分かりやすい病」です(笑) まあ、治したところで得するかどうかは分かりませんが。だって、世の中そういう風に分かりやすく「物語化」させることによって進んでいっている側面がありますから……ってなんだか大塚英志っぽくなってきましたが(笑)

 他にも色々な「思い込み」があります。探してみると面白いかもしれません。例えば「本質って大事」っていう思い込みとか。大事かもしれませんが多くの人は盲目的に有り難がっているだけです。同様に上で用いた「実力」っていうものの存在とか(笑) ドラゴンボールのようにスカウターとかあればいいのですが。
 「何にでも意味がある」なんてのもそうですね。「おいおい、まず今の議論における共通の観点を設定してから話そうよ」なんて思っちゃいます。「うんこ」だって、調味料としては日常生活においては意味がないですよね。でも砂漠における固形燃料としてだったら意味がある。極端な例ですが、そいういう観点ずらしまくりの議論ってのは、腐るほどあります。

 以上、こんな感じです。

26 コメント

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でも (基督)
2005-12-04 01:55:07
でも「分かりやすい」って楽ですよね。

そこに読み取りやすい意味を付けて放り投げる……動物にエサをあげるみたいに。そういうのにも技術は必要だし。

喩えは悪いけど、動物であることは楽だと思うし、何より動物は可愛いので、僕自身はしばらく動物になって動物を相手にしてみようかと思うわけですよ。(←おや、これもどこかで見る意見と同じだなぁ)

きっとすぐに飽きるだろうなぁ、と思いながら、しばらく遊んでみます。



その後で人間に戻れるかどうかは分からないけれど^^;
うにゅ。 (基督)
2005-12-04 04:11:42
 なんと! IDからメールが送れるのか!?



 おもしろそうなので僕もラブレターを送ってみましたー。届くかな?
基督さん…… (さっくん)
2005-12-05 01:31:37
 届いてませんw

 きっと今ごろ、我々の計り知れぬところで、その怪文書を読まれて卒倒している方がいることでしょう。



 分かりやすさ、というよりも単純さは諸刃の剣ですよね。時として「作者ごとき」の独断になってしまう可能性がある。特に善悪っぽい図式を取り入れたりすると。

 作家というのは、確かに普通の忙しい人たちよりも、色々なことを考える機会を得ているでしょう。だからと言って、物事を裁定してしまえるほど偉くもない。せいぜいが訴えることが出来るのみでしょう。
テーマ (潮@会社)
2005-12-05 17:51:37
実はオイラもテーマを考えて話作ってない。話が出来てから「こりゃあテーマを聞かれたら○○だな、って答えよう」って後づけしております^^;

だかや某やっほー文学賞のようにテーマを決められちゃうと書けません。
訂正 (潮@会社)
2005-12-05 17:52:31
だかや→だから
潮さんから一分遅れて書き始め (森羅)
2005-12-05 18:30:18
 私見ですけれども、テーマっていうのは大きく分けると二つになると思うんです。



 一つは、さっくんさんの言うような「読者に言いたい」みたいなやつです。そしてもう一つは「物語の題材」です。

 一つ例を挙げると、真保裕一著『連鎖』においては、前者は「食物汚染」後者は「食品Gメン」ということになります。



 私もさっくんさんと同意見で、前者のテーマは小説には必要ないと考えています。上記著者も、作品執筆後に「私は、食品汚染のことを世間に訴えたくて今度の小説を書いたわけではない」と話しています。



 ただ、後者のテーマは絶対に必要だと思うんですね。それが、作品の物語につながっていくわけですから。再び上記著者の話で「このテーマで、何か好きなミステリが面白く書けないか」と話しています。



 何が言いたいかというと、世間一般に広まる思い込みに、「テーマ=訴えたいこと」という考えがあるのではないかということです。

 たとえば私が投稿した「うつろわざるモノ」においてテーマを訊かれれば、私は「男の復讐心」と答えます。ただ、別に「復讐は人として正しい選択なのか」といったようなことを問いたいわけではなく、ただ単に「男の復讐心を利用して面白い話を書きたい」というだけのことなんですね。



 以上、こんな落とし方でどうでしょうか。
こんばんは (さっくん)
2005-12-07 01:07:59
潮さんへ



>後づけ



 作者自身が一旦は自作品の読者として振舞わねばならないのが創作というものだと思います。だから、そういう時に、一読者として、自作品に自分なりのテーマを見出すということが起こるのでしょうね、なんて考えています。

 作者の手によって作られたものが、今度は逆に作者に働きかける、そしてそれがまた作品に反映される。創作のダイナミズムを感じます



森羅さんへ



 私は、主に前者をテーマ、後者をモチーフということにして区別しています。文学が社会や歴史から一旦切り離されて捉えられる場合、脱テーマ性というのがクローズアップされたりもしたので、そういう意味で、限定的に用いることによって、その現象に言葉を与えようとしたためかもしれません。

 ですが、勿論森羅さんの意味でもテーマという言葉は使いますよね。若干比喩的ですが、その場合後者はレーマに比重をおいているということになるのかな? なんて思います。
あ、ちなみに (さっくん)
2005-12-07 01:09:25
必要ではないだけであって、あってはならない、というわけではないですよ、勿論>テーマ
ちなみに (さっくん)
2005-12-07 01:56:12
小説をその外部を切り離せないと

http://sakka.org/training/?mode=view&novno=1246&pageno=0

↑ここの感想欄みたいになります(笑)

分かりやすい病の方が何名かいますです。

あと、久々に一行レスみました(笑)



レベルひっく~
わっ!! (山葵)
2005-12-07 12:03:04
さっくん、毒吐いた(爆)