チベットいってきたよ

2005年の9月に1ヶ月ほどネパール・チベットに行ってきました~。内容濃かったので旅行記にしてみました~

菩薩

2007-06-24 16:06:30 | Weblog
そうそう、体調悪い時(ってほとんど悪かったんだけど)みんな心配してくれてよく声をかけてくれたのだけど、なんて返していいかよく分からず・・簡単な言葉すら出てこず。。自分の語学力の無さを実感。。
多分『How are you?」とか「What's up?」とか聞かれてたんですけどさすがに「fine」ではないので言えず、ずっと「not good」って言ってた・・他の言い方もしたいのにずっとこれしか思い浮かばず・・。あとフランス人のおばちゃんからはよく「Ca va?(サバ)」(フランス語)って聞かれ、これまたどう答えていいかわからず。。フランス語に対しても「not good」で通してみた。てかフランス語分からんって!!
そして体調が落ち着いてきた頃、調子をきかれ、良くはないので「まあまあ」って言いたくて「So-so」なんて言ってたんだけど、前読んでた英語の本に、『How are you?」に対して「So-so」は使わないって出てた・・どうりでみんな首かしげてたんだ。本には「Surviving.(なんとか生きてるよ)」とかあるし。これつかいたかったな。ちなみにこの旅で一番使った単語は「stomach」。最初何を言ってるか分からなかった。・・英語必要だ。英語わかんなくてもなんとかなるにせよ、やっぱりちょっと分かるのと分からないとでは大違い。悔しいけど英語の必要性が身に染みました。

さて、話は戻りシガツェですシガツェ。
ここは街だ街!今までと明らかに違う。ちょっと好奇心に火がつく。気になる!見て回りたい!でもちょっとまだしんどい。
到着したのは早くて、多分14時くらい。いつもは夕方くらいなのに。

車から降りて宿へ。さすが街だけあって宿レベルもはるかにアップ。
なんと2人部屋!そしてニェラムやラツェよりもはるかにコギレイ。山小屋からビジネスホテルへって感じかな。実際ホテルだし。ロビーあるし。確か風呂もついてたな。いやいや、チベットもやればできるじゃん(笑)。
そして肝心な部屋仲間はというと、イギリス人の20代前半と思われる女子・ジョワン。残念ながら車メンバーとは離されてしまった(泣)。

さて荷物を部屋に置き寺院見学。
ガイドについて歩いてタシルンポ寺という寺までみんなで行くらしい。
がしかし、私はここでミスを犯してしまった。何かっていうと寺を見学するだけなのに荷物を余分に持ってきてしまったのだ。必要なものだけ持っていけばいいのに基礎化粧品を詰め込んでしまった。。集合時間までに保湿液と、日焼け止めを塗ることができず、わざわざカバンに入れて持って来てしまったのだ。(ちなみにチベットの日射しはかなり強い。)これが結構重い。多分体調が悪くなければ全然平気だったと思う。普段会社に持ってくもの程度な重さだと思う。でもこの時ばかりは状況が、体調が違う。とにかくとても重く感じるのだ。でも部屋に置きにひき返す時間もなく、1回ぬれば不必要な化粧品たちをわざわざ持って行ってしまった。

この時点で体調は「何も持たずゆっくり歩けば大丈夫」程度な回復。なので当然、この不必要な荷物とともに寺まで歩くのは私にとって結構キビしいことなのだが、自業自得なので最後尾ながら寺までなんとか歩いた。
そしてやっとの思いで寺に着いたのだけど、ここからなんとゆるやかな登りになっているではないか!!階段もあるし!!

・・・ダメだ。最後尾だったのが、みんなと間をおいての最後尾になってしまった。つまり追いつけなくなったのだ。私はまたも息苦しくなりハァハァ言いながらゆっくり、ゆっくり後を追ってゆく。どうせ英語分からないし、説明なんて聞かなくてもいいのさと開き直りつつ、マイペースに1人で緩やかな坂を登っていた。
そんなペースで登ってたら、前方に見覚えある人たちが!
ライヤとスペイン人のおばちゃんだ。
なぜなぜ?と思うも、きっと彼女たちはゆっくり寺院を見ながら歩いてたんだと勝手に納得。私は彼女たちとともに寺院を見学。ゆるやかな坂道を登って登って、、階段を上がって上がって、、といっても1段上がって両足をつき、また1段上がって両足をつきって感じ。1段飛ばしなんて夢のまた夢。(ちなみに高山病でなければ普通に登れるはず)
そんな感じで私なりに必死で登ってたら、ななんとライヤやおばちゃんが私の荷物を持ってくれたのだ。「いいいい、自分で持つよ」と断ったのだけど。彼女たちは私の手から勝手に荷物を取っていってしまった。。はっきり言って、ライヤやおばちゃんの荷物の方が私の荷物よりはるかに大きい。実際彼女たちの荷物を持たせてもらっても私のよりはるかに重たかったし。なのに彼女たちは私から私の荷物をもぎ取ってってしまった。。「ライヤ、ほんといいよいいよ、自分で持てるって」と言っても「sakky、ハァハァ言ってるじゃん。私はタフだから大丈夫ー」(※会話はもちろん英語です)なんて笑ってて。ちょっと泣きそうになってしまった。
寺にはたくさん仏や菩薩があったけど、私にはライヤやおばちゃんが菩薩だった。


タシルンポ寺


和む・・

シガツェへ!

2007-06-24 16:04:03 | Weblog
ラツェでは吐くこともなく眠ることができた!昨日のことがあってから寝る時はちょっとした恐怖だったりする。
きっと同部屋のフランス人のおばちゃんからもらった下痢止めがよく効いてたんだと思われる。
ちなみに私自身、薬は風邪薬と鎮痛剤イブしか持っておらず・・自分の準備不足を実感・・薬もらえてよかった(泣)。
この日は胃は相変わらず痛いながらもなんとか朝食は食べれたし、呼吸も落ち着いてきてゆっくり歩く分には大丈夫なまでに回復。(といっても全然しんどいっちゃしんどいんだけど)そういうわけで、ちょっと体調が戻ったってことで、車は残念ながら最初に乗ってたボロいやつに戻ってしまった。そしてメンバーも最初のメンバーに。私、ライヤ、フランス人のおばちゃん2人、スペイン人のおばちゃん1人の5人。良かった・・私にとってはこのメンバーがベストメンバー。一日をほぼ共有する車メンバーはかなり重要なのだ。

さて、この5人でいよいよシガツェという街に向けて出発。体調やや回復ってことで後部座席に。助手席にはフランス人のおばちゃんアンナ。彼女はちょっと調子悪いみたいで頭が痛いらしい。私は痛くならなかった。。人によって高山病の症状も違ってくるみたい。
この日私は幸い景色を見る余裕も出てきて、車内でライヤやスペイン人のおばちゃんにスペイン語を教えてもらったり、私は日本語を教えたりとちょっと余裕。アットホームで体調も少しよくってなんだかいい感じ、、と思ってたら車は急停車。どうした?!と思ったら助手席のアンナが吐いたのだ。口数少ないし大丈夫かなー?とは思ってたのだけど、アンナ自体元々そうしゃべるほうじゃなかったから、そこまで気にしてなかった・・まさか吐くほど気持ち悪かったとは・・。
アンナも本格的に高山病になったようだ。にしてもアンナはツアー3日目にして発症・・私は初日で発症・・いつ誰がなるか分からないのだなあ。。
その後アンナは30分ほどしてから再びまた吐いた。やはり自分の時と同様2回はくるみたい。
でもアンナ、すごく気分悪いはずなのに弱気にならない、弱音はかない。吐いた後とかケロっとしてるし。タフだ。私も少し見習わなくちゃな。。

そうこうしてるうちに車はシガツェに到着。街だ!!
ニェラムやラツェとは明らかに違う。都市に来たって感じ。


シガツェ


なぜかビリヤードしてる・・

早く宿に!

2007-02-03 11:27:03 | Weblog
ライヤのサポートを受けながら車はどんどん走って行く。砂ボコリもすごく、道ももちろん舗装されてなく車は揺れまくりながら進んでゆく。私の体調は良くなることもなく、この日は景色や食べ物の記憶は全くといってない。すごくいい景色と思われるところでみんなは外に出ても私は車の中にいたし、とにかく早く宿についてくれとそればかり思っていた。息苦しさは相変わらずで、立つのも動くのもしんどい状態。なのでいっそ眠ってしまいたかったのだけど、高山病は寝ると余計悪化する病気とのこと。私が気持ち悪くなったのも寝てる時だし。どうやら寝てしまうと体は起きてる時に比べ酸素を取り込まなくなるらしい。高山病とはそもそも酸素不足によっておこる症状なだけに、酸素をとりこみにくい状態=睡眠状態は病気にとってよろしくない状態らしいのだ。そして症状を改善する為に、体に酸素を取り込むには適度に動くことがいいらしい・・ってそんなムリなんですけど。
息苦しく1歩動くのも辛いのに寝ることが良くないとされ、しかも適度に動くことがいいだなんて、、ありえない!!

車はひたすら荒野を走り走り着いたのはラツェという街。高度は約4350m。ちなみに日程表を見ると、この日は知らない間に5050mのところを通過していた・・ありえない高度です。部屋はというと1日目ニェラムとそんな大差なく、フロなし、トイレ外。でも唯一の救いは同部屋のメンバー。1日目車が一緒だったフランス人のおばちゃん2人と一緒。おばさんたちはとてもやさしい。休憩で顔をあわせるたび気遣ってくれ、薬もたくさんもらった。彼女らの薬がなかったら私はどうなっていたことか。。一日一日がやっとです・・


おばちゃんきまってます

ライヤ

2006-11-26 14:29:56 | Weblog
旅を続けることにしてみた。
「カトマンズに帰りたい」なんて言うのをやめてみた。
全然不安なのだけど。でも行くことにした。

ガイドが気遣ってくれて、私はそれまで乗っていた車よりも座り心地の良い新しめの車に変わることに。ちなみにこの新しめの車は日本人の男の子2人が乗っていた車。彼らは別ツアーのはずなのに、この時点でそんなことは関係なくなってきている。というか私が巻き込んだんだよね。申し訳ないと思いつつもガイドに言われるがままに。男の子たちも決して体調良いわけじゃなかったのにね。。彼らのうち1人は私がそれまで乗ってた車に乗ることになるのである。

ちょっと休んだせいか、少しは動けるようにはなってきた。私は車を移動するため前の車に荷物を取りに行くことに。前の車に行って、荷物をとって出て行こうとしたら、そこにいたスペイン人の女の子が「sakkyは友達だから私も一緒に車変わるわ。」って水と酸素ボトル持って一緒に車を降りてくれた。嬉しかった。

ちなみにこの子はライヤという。私は車の助手席に、ライヤはその真後ろの後部座席に乗りこみ車は出発することに。

車が変わるだけでこんなに揺れが違うんだってくらい前の車とは衝撃が違う。やっぱり私たちの車はハズレだったんだと実感。(でもあまりの道のひどさゆえいい車であろうと結構揺れるのだが)席も助手席なので前に比べれば、結構快適なはず。。なのだけど、やっぱりダメだ。少しは落ち着いたものの、息苦しさは変わらない。まるで走ってるかのような呼吸。ライヤや一緒に乗っている日本人の男の子が呼吸法を教えてくれ、その通りに呼吸してるつもりなのだけど全然楽にならず。呼吸法は鼻から吸って口ではく。はくときを長く、全部の息が出きるまではく。スーー(吸う)フゥーーーーー(はく)って感じ。頭で分かっていても酸素をすぐ取り込みたいのか息をはききる前にすぐ吸ってしまう。
あとは水。水は5分おきくらいに飲むのがいいらしいのだが、別にのどが乾いてるわけではないので、1回飲んだら次飲むのを忘れてしまう。というか息苦しくて「飲もう」という気になれない。(ちなみに水を飲むのは体内の酸素や血液のめぐりを良くする為に飲むとのこと。循環を良くして酸素をたくさん体内に取り込むために飲むらしい。よく飲んで良く出すのがいいとのこと。)

なかなか思うようにできない私に、ライヤは限りなく優しかった。ライヤがいなかったら私はここを乗り切れてなかったくらい。彼女はまるで私の専属ナースかのごとく、私の呼吸が乱れてくると定期的に酸素ボトルにチューブを指して、私に酸素投入してくれた。私が水を飲んでないのに気づくと「sakky、water! water! 」って声をかけてくれた。私があまりにグッタリして呼吸が荒かったりすると、ドライバーに言って車を止めてくれたり。トイレ休憩の時もほとんど歩けない私に肩を貸してくれ、なんとか車の外に出ることができた。ライヤは常に私を気にしててくれたのだ。普通ここまでできないと思う。休憩の時なんてみんなこの広大な景色を自分のカメラにおさめようと必死なのにライヤは景色より私を気にしててくれた。もし逆の立場だったら私は間違いなく写真を撮ってただろう。かわいそうだとは思ってもまず言葉が分からないということで消極的になってしまうし、酸素ボトルの使い方すらわからずオロオロしてただろうな。こんな英語すらロクにわからない私に、日本人に、よくここまでしてくれたなと思う。


広大すぎる景色


こども

帰りたい

2006-10-29 14:54:53 | Weblog
部屋に戻りビニール袋を横に置いて、夜が明けるのを待つ。
空が明るくなるのをじっと待つ。

そして夜が明けとうとう朝に。
気持ち悪いのはなんとか治まったものの体調は最悪。
フラフラながらなんとか起きて朝食場所へ向かう。
でも朝食は全く喉を通らない。
私のそんな姿を見てか同部屋だった西欧女子がまわりの人に
「この子夜吐いてたよー、調子悪そうだったよー」(英語)のようなことを言っていた。みんなの視線を感じた。
まわりをみまわすと斜め後方に昨日話した日本人男子2人がいた。
国境で寝てた私を起こしてくれた日本人の男の子だ。
違うツアーながら行程がほとんど一緒なので彼らとはよく会うのである。

昨日彼らと話した時、彼らは調子悪そうだった。確か夕飯のお店が偶然同じだった気がする。彼らはほとんど夕飯に手をつけてなかった。私はその時まだ元気だったから、なぜ彼らが調子悪いのかなんてことも全然ピンときていなく・・。それが一夜明けたら・・私は今彼らと全く同じ状態である。

話を聞くと彼らも夜中に吐いたらしい。
どうやら日本人は弱いようだ。
まわりの欧米人たちはピンピンしている。

私は同立場の2人に会って勇気づけられ・・・
・・ることなんてなく、むしろ突き放された。

彼らはこの状態にとてもポジティブなのだ。
私を起こしてくれた方の彼は、チベットに並々ならぬ憧れを抱いて来ているだけあって、こんなことは想定内らしく「ちょっとたてば良くなるっしょ」っていうかる~い感じ。「チベットの洗礼を受けましたね」なんて言っちゃってるし。
話してると、彼らの中ではこんなことはたいしたことないっていうのが伝わってくる・・。だから逆に私は「これくらいで何言ってるの?(なんて決して言われてはないけど)」と自分に言われてるようでとても突き放された感じがしてしまった。

私は彼らのようにそんな軽く受け止められない。
だって、こんなキツく辛いことは初めてなのだ。体力的にも精神的にも。
バンコクで風邪ひいたり、石垣島で歯が痛くなったりと(これもかなり辛かったけど)、チョコチョコしんどい目にはあってるけど、でもここまでしんどいのは初めてなのだ。それに私は彼みたいにチベットへの長年の憧れも何もなく、なんとなく来ちゃったわけで、、チベットに対してそこまでの執着心もないのである。
それだけにこの先こんなにしんどい思いをしてまでも行かなくてはならぬところなのか?!って思ってしまう。この先のことを考えるとほんと不安で、その不安が体力的にも拍車をかけているのだろうけど、、でも考えずにはいられない。

朝食も終わり出発までの準備時間、私はいつガイドに言おうかとそわそわしていた。「これ以上行ける自信は無い。カトマンズに帰してもらいたい。」と。カトマンズに帰るのも一苦労だと分かっている。だって1日かけてこの場所に来ているのだもの。帰るのも1日かかるしすぐには体調もよくならないだろう・・でもこのまま進むよりマシだ。というか進めない。

そうこう考えつつ荷物をまとめたりしていたのだが、そうこう考える余裕もないくらい体がしんどくなってきた。ちょっと歩くのも必死になってきている。リハビリのような速度。そして息苦しい。呼吸がしにくい。肩で大きく息をしないと呼吸できない。「彼らもこんなんだろうし、たいしたことないたいしたことない」って自分に言い聞かせる。でも息苦しいものは息苦しく、しんどいものはしんどい。
とにかくちょっと座って休みたいと思い、食堂の方へ歩く。(この時外にいた)
実際にはそんなにないのに食堂までの距離がやけに長い。やっとの思いで食堂に着くと私の顔色が相当悪かったのかしんどそうだったのか、そこにいたガイドか誰かが横になれと言った。私は長椅子に横になった。
ああ、ダメだこの先こんなんじゃ絶対ムリだって肩で息をしつつ朦朧と思っていると・・んん?
気づくと私の長椅子を囲むかのごとく人がたくさんいる!!なにやらもしやオオゴトになってきている?!
私はなんだか恥ずかしくて「いやいや、みんなゴメンゴメン、そんなたいしたことないんだよ、大丈夫大丈夫」なんて言いたかったんだけど、息苦しくて言えない!見ると車メンバーも私を取り囲むかのごとく近くにいる。車メンバーのスペイン人の女の子が水を買ってきてくれたり、ガイドが酸素ボトルを持ってきてチューブを私の鼻に入れたりと、なんか私本格的な病人になってきてるようだ・・。「水を飲むんだ!」「気を強くもって!」「大きく息をして!!」ガイドの声が聞こえる・・。

・・なんだか泣けてきた。しんどいせいなのか、こんな自分が情けなくてなのかよく分かんないけどなんか涙が出てきた。近くにいた車メンバーのおばさん、そしてスペイン人の女の子が「大丈夫よ、大丈夫よ、私たちがついてるから。ずっと一緒にいるから。sakkyは私たちがラサまで連れてくから。大丈夫、大丈夫・・」 と、ずっと手や足をさすってくれている。私はさらに泣けてきた。
・・なんだか行けそうな気がした。彼女たちと一緒なら。






チベット風景

高山病

2006-10-16 18:15:24 | Weblog
町に到着。ニェラムという町。高度は3750m、富士山並みだ。
さすがに小寒い。空気が澄んでる。

多分着いてみんなで町散策してご飯とか食べたんだろうけど、ここの記憶はきれいに飛んでしまっている。その後の出来事が強烈すぎて記憶がとんでしまったんだと思う。

私たちが泊まった宿はドミトリー。つまり相部屋。
私のルームメイトは車のメンバーとは異なり、知的な感じの西欧女子2名。あとちょっとイタい感じの西欧男子1名。計4名。
宿はというとホテルとは言い難く山小屋と言った方が近い。
部屋は真ん中に机があってそれを取り囲むかのように4つベッドがある。
もちろん暖房もなく、風呂もない。多分ここで風呂に入ったら間違いなく風邪をひくのでむしろ無くていいと思われる。トイレは別で宿とちょっと離れたところにある。

ご飯も食べて部屋にいるのだけどうーん・・落ち着かない。
車のメンバーの方がまだ落ち着いたかな。「おばさん」の方がまだ楽。
ルームメイト女子はなんだか知的オーラを発していてちょっと話しにくい。あとルームメイト男子はとくに話したいとも思わず。というかむしろ話したくなく・・。知的女子もこの男子に対して若干引いてた気がする。言葉の壁もあってあんまり話せず。まあ仕方ない。

そんな感じで2時間くらい経つと、外もようやく暗くなり(8時頃まで外は明るい)消灯時間に。9時か10時には部屋の電気は消され真っ暗になった。

初日だし疲れてこの日は爆睡・・・のはずだったのだが。


消灯してから約4時間・・
・・・
・・・
・・・
・・・気持ち悪い。

気持ち悪いなんて気のせい気のせい、寝れば治ると自分に暗示をかけてなんとか寝ようとしてたのだが、どうやら本当に気持ち悪いみたいだ。
だんだん気持ち悪い度が増す。
冷や汗が出る。
寝返りを打ち、寝かたを変えてみるも一向に治まる気配なく。
ダメだ、耐えられない。
私はベッドから起き上がる、と同時にさらにこみ上げてくるものが!!

ヤバい!吐く!!

真っ暗の部屋の中をルームメイトに気付かれまいと、必死でドアに向かう。
手探りでドアのカギ部分を探すがなかなか触れない。
もうダメ、吐く!!と思った瞬間手がカギの部分に。
ドアを開けたと同時にブワッと吐いてしまった。
・・間に合った。
ドアの外は幸い既に外で、地面には溝があってそこに吐けたから、吐いたものは溝に落ちていって見えなくなったから良かった。
って良かったなんて言っている余裕は全然なく、なんとこれだけでは終わらない。吐いている最中にものすごい勢いで下痢がやってきたのだ。吐き終わって速攻私は暗闇の中、トイレを探し駆け込む。間一髪間に合った。
今まで体験したことのない下痢。やってくるスピードが違う。1分も我慢していられないスピードなのだ。

上からも下からも大放出し、私はヨレヨレになっていた。
そして代理店のMさんの言葉を思い出していた。

Mさん「sakkyさん、吐いたり下痢になったこととかある?」
私「いやあー、ないですよ、、吐いたこともないですー、よく話は聞いたりするんですけど結構私大丈夫みたいで」
Mさん「そっかー、でもあれはねぇ、ほんとひどかったなー、あれは経験しないとわからないかもねぇ、同時にくるんだよねぇ、、、しかも普通の下痢じゃないんだよね、、」
私「へぇー、そうなんですかぁ。」(←人ごと)

これか、、Mさんの言ってたやつは。。

この症状。私はピンときた。というかきっと誰でも分かるであろう。
そう、高山病。
おもいっきり高山病なのである。

薬も飲んだのに。(初日ネパールで会ったおじさんたちにもらった高山病に効くと言われる薬。事前に飲んでおくのだ)
どうやら効かなかったみたい。

放出し終わってすっきりはしたもののほぼ脱水症状。
ヨレヨレになりながら部屋へ戻る。
ルームメイトもきっと気付いてるだろうけど真っ暗だし顔も見えないしそんなに親しくもないし。
ベッドに戻って布団にもぐる。
もう寝るしかない。

なんて思うも眠れない。眠れないどころかまた奴はやってきた。
布団に入って1時間ほどした頃か。
またきたのだ吐き気が。
そして下痢が。

再び手探りでカギを外し外へ。トイレも紙がないから自分のリュックの中から手探りでティッシュを探す。これがまたしんどい。気をつかう。1人部屋ならもっと思いっきり探せるのに。真っ暗の中なんとか探し出し外へ。
そして放出。
もう、吐くものすらなくほぼ液体。
そしてまたトイレへ駆け込む。

辛い。辛すぎる。

それからしばらくの間また吐き気がやってくるのではと怖くてベッドに戻れなかった。高山病は高度が高いことによっておこる症状。治すには高度の低いところに行くしかない。つまり下山しかないのである。これからこの旅はどんどん上へ、高度が高いところへ向かう予定。まだここはほんの入り口なのだ。
・・ムリだ。行けない。これ以上行けない。
満点の夜空を見ながら私は1人、不安でいっぱいだった。


ニェラム

走る走る

2006-10-01 23:14:10 | Weblog
なんとか中国に入国。
ここからの移動は車らしい。車種はトヨタのランドクルーザー。
私たち15名のツアーは5人ずつにふりわけられ、私はスペイン人のおばさん、フランス人のおばさん2人、そしてドレッドヘアで口ピアスのスペイン人の女子と相乗りすることに。
車内は前に2人、後部座席に4人。私は後部座席。
後ろに4人って!狭い。狭すぎる。キチキチだ。
しかもこの車古く、乗り心地悪し。
他のメンバーの車を見ると新しめの車もある。
・・どうやら私はハズレくじをひいたみたい。

みんな全員振り分けられたようで、いよいよ出発。

車は動き出す。走る走る走る。
そして揺れる揺れる揺れる。
ほんとに揺れるのだ。
日本じゃありえない揺れ。
縦揺れ。舗装されてないからとはいえ、こんなに揺れるとは。
ちなみにドライバーはチベット人。スピードもすごい。
最初はこの揺れに戸惑ってたけど慣れてきたのか10分後くらいにはあんまり気にならなくなってきた。きっと(ツアー)初日で元気だったからと、すべてのことが新鮮でテンション高かったからだと思われる。
窓の外の景色はというと明らかに今までと違い、建物もチベットっぽいし(ってチベットなのだけど)人々もあっさりアジア顔。本当に私チベット来たんだなーと景色を見て実感していた。
車は走れば走るほど自分が思い描いていたチベットの景色に近くなってきた。
牧草と山。それだけ。
期待してたから最初はすごく興奮したのだけど走っても走ってもそればっかりなので1時間もたてば飽きていた。

車内はスペイン語とフランス語と英語が飛び交っている。
私はもちろん会話には入れず。
景色が友達。
でもそれが逆に楽でもあったりする。

車は走って走って走って走って・・・
ひたすら走る。走り続ける。

景色は変わらず。
相変わらず山と牧草地。
そんな景色の中に、たまに人がポツンといたりする。

あの人はここまで歩いてきたのだろうか?
この何もないところに。なぜ?どうして?何の為に?
そんな疑問を抱かずにはいられない。

車はどんどん走る。そして登ってゆく。時には砂ぼこりで前が見えなくても、ドライバーはまるで前が見えてるかのごとく進んでゆく。
タルチョと呼ばれる旗もよく見かけるようになってきた。
ますますここはチベットだと実感する。

車はひたすら走りつづけ・・

そして時は夕刻。車はとまった。
町に到着らしい。




こんな景色


タルチョ

国境

2006-09-18 13:35:33 | Weblog
30分ほど歩いて国境到着。
橋だ。橋の上に私たちツアー客を含めたくさんの人が並んでる。
ここからが長かった。
私たちも列に並んで順番を待つのだがなかなか動かない。
本当に入国できるのか?ってくらい全然動かないのだ。
立ってても疲れるのでみんな座って列が動くのを待つ。
現地の人は別なのかネパール人は前へ進んでたりする。
することもないのでボーッと廻りを見ていると
ものすごい大きい荷物、ほんと自分より、人1人より大きい荷物をひもで
頭にくくりつけてゆっくりゆっくり前へ進んでゆくネパールの人が。
ほんとありえない大きさなのだ。
おじさん、自分の荷物に潰されそうなくらい。
ゆっくりゆっくり進んでゆく。
ずっとあんなペースで歩いてゆくのかな。。

・・そうこうして1時間くらいはたっただろうか・・。

・・・。
・・・。
・・・。

んん?誰かが私の肩を叩く。
「日本人の方ですよね?」

ハ!?

私は起きる。

ってそう、私寝てたみたい。
あまりに待ち時間が長く、今日朝早かったしずっと気も張ってたし、疲れたんだよう。

!!

廻りに誰もいない。

そんな!!

起こしてくれた人が前を指さす。
あれだ!
遥か前に人だかりが。

「ありがとうございます!!」

とお礼を言ってあわてて荷物を持って前へ。

走って行くと見覚えある自分のツアーの欧米人たちが。
おーーーい!
前のフランス人、起こしてくれたっていいじゃん!!

焦った・・。
こんなとこで1人にされたらもうダメだ。
いっかんの終わりなのだ。

なんとか列に合流。
いよいよこの検問(?)の向こうは中国だ。

ちなみにさっき起こしてくれた日本人の男の子はその後話したところによると
私とは別ツアーで来ているらしい。でも聞けば行き先はほとんど一緒。
というか全部。
なんだそりゃー。
彼の他にもう1人たまたま日本人が参加してるらしく2人で行動してるみたい。

・・いいなあ。
私なんて1人さ。
必死さ。
言葉通じないさ。

そして順番を待って再び並んでると中国人がなにやら消火器的な機械をもってこっちへきた。荷物を置けと言う。そして何をしたかと言うとその機械からほんと消火器のような白い煙(?)を荷物にブワっとかけられた。みんなも。
どうやら消毒してるみたい。

なんだよこえーよ。

そしてさらに前に進むとなんだか赤外線ランブらしきものをおでこに向けられる。
ハァ??
なんだこれー。

その後ついに中国入国。

それにしてもおかしい。変だ。
こんな入国あるのか?
欧米人もみんな「crazyだ!」と言っていた。

中国怖い!


コダリのこどもたち


国境!

登る登る

2006-09-16 16:35:01 | Weblog
バスは動き出す。とうとう今からチベットへ向かうのだ。
窓から景色を見て過ごす。英語やいろんな言語が車内では飛び交ってる。

街はあっという間に遠のき田舎道。
道はコンクリートじゃなかったりするので揺れる揺れる。
結構揺れる。
でも寝れる。
気付いたら寝てた。
バスは坂道を登る登る。
そう、チベットは高いところにあるのです。
要は山へ行くようなもんなのです。
これからひたすら登り続けてゆくのだな。

2時間ほど走りバスはとまる。
どうやら朝食タイムらしい。

ここはドゥリケルというところ。
まだネパール。そういや誰かが「ドゥリケル良かったよー」って言ってたな。

バスを降りてみんなについてくと
休憩所的な場所が。椅子とテーブルが並んでる。
テーブルには朝食が用意されてる。

パンとコーヒー、目玉焼き、フルーツ。

いいね、普通に美味しい。
コーヒー飲みたかったし。
やっぱり定番は裏切らない。

ここから景色が見渡せる。結構高いとこにいるんだな。
気持ちいいね。


ドゥリケルからの眺め


朝食食べてトイレ休憩して再び出発。
バスは登る登る。さらに登る。
ちょっと、ほんとにすごい山道。
揺れるたび座席から落ちるのではないかと思うほどの揺れ。
必死につかまる。
マジっすかー?!
と1人突っ込みつつバスは急な山道を走り続け
時は12時半。朝食から4時間。

どうやらここで降りるみたい。
バスはとまった。
なんだかバスの回りに村の人々が集まってる。ここは村のようだ。
バスの上に積んであるものを村の人たちに渡している。
配給的なものだと思われる。

そうだよな、こんな山奥の高いとこに住んでたらなかなか物も買いに行けないよ。
私たちみたいなチベットに向かう客のバスに食料やら衣服やら積んでこうしてここに住む人たちに、渡してるんだ・・。

ここはコダリという村らしい。ここから国境まで歩くそうだ。
えー歩くのー??と思いながらも仕方ないので歩く。
同じツアーの人たちを見失わないようについてゆく。
こんなとこではぐれたら最悪だ。
必死なのです。

歩いて歩いて、来た!国境。
ここから中国なのかー・・。



ここから歩きます

いよいよ

2006-08-13 19:42:15 | Weblog
代理店で軽いショックを受けたのち、タメルのマッサージ屋に行って癒されその後「桃太郎」という日本食屋で夕ご飯を食べる。これが、おいしいんだよ!ネパールの日本食、いいよ。バカにできんよ。普通に日本食。普通にうまい。そして安い。

翌朝・・

つ・い・に
つつついに今日から1週間ほど行ってきますよ、チベットですわよ。5時起きですわよ。早ーい!
でも緊張からかバッチリ起きれるのである。
宿の子が集合場所まで案内してくれる。
君たちには世話になりました。初日から多大な迷惑をおかけしました。
宿の女の子(17.8歳?)と手をつないで集合場所まで行った。
この子はとっても恥ずかしがりやでなかなか近寄ってきてくれなかったんだけど、なんだか心開いてくれたようで嬉しい。
自然に手をつないでた。

でももうお別れ。
2日間ほんとありがとう。また1週間後ね。

Mさんからもらったチケットやら書類片手にバスに乗り込む。
中には2.3人、西欧人の方々が乗っている。これからどんどん乗り込んで来るのであろう。窓から宿の子たちに手を振る。
ああ、なんだか心細い。

窓の外をみたりガイドブックを読んだりして時間を潰す。
そして30分は経った頃か、バスを見るとたくさん人が乗り込んでいた。
もちろん、明らかに西欧の方々。
そしてバスは動き出した。


バス