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現在の不確実性。なぜ、経済学は学問だと認められないのか?

2017-06-26 | 社会問題
 6月26日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


現在の経済理論であっては、必ずグローバル社会は失敗に終わる。

なぜなら、MBAとは欲望達成ゲームの攻略法に過ぎないからだ。

金持ちの正当性を見出しては自己満足を得る幼児性の延長線上にあるからだ。

その不確実なる現代の経済学を確固たる学問に変えられる法則性が明確に出来れば今より更に住みよい社会になると思われるのだ。

重要なのは欲望を刺激して労働意欲を得るやり方ではない。それは法則ではなく単なる人間のエゴの追及であるから、

重要なのは、お金とは自分のモノではなく、社会のモノだという認識が世界経済を一新させると考える。

経済学を立派な学問として認めさせる為にはこれしかない。

アダム・スミスの問う、「利己的な欲求が達成されたら、その後は社会に大きく還元されるのだから、まずは欲望を叶える。」

つまり、欲望が達成された現代においての第二段階、社会に大きく還元されるシステムを見出すことが重要だ。

なぜなら、お金が自らの持ち物(ゴール)だとする考え方では、奪い合いになること請け合いであり、

格差社会は必然の因果関係で、どこまで突き進んでもその欲望には終わりがないから、

したがって、金持ちを正義とする現在の考え方では、支配社会を正義だと主張するのと何ら違いがない。

実際、金持ちたちが競って行う欲望達成ゲームであっては、一人の勝者が99人の貧困を生み出すのが現状で、

一般消費者たちに対しては 「生かさず殺さず使え」 「飢えさせて与える」 醜く卑劣な成功哲学だ。

貧しい者たちを多く生み出す分、豊かさが増すという、格差社会の完成は間近だと断言できる。

マルクスも言う通り、「個人の幸福が社会の幸福になることを考えねば。」と。同感だ。

確かに、経済学者たちは頭がいいし、商売人たちが行動的なのは認めるにしても問題なのはその方向性である。

金持ちになることが人生のゴールでも夢でもなく、ましてお金とは社会のモノであって自分のモノではないという、

ここから考え始めなければアダム・スミスの第二段階、経済学が立派な学問だと残念ながら言えないのである。

経済が混乱し、その不確実性が高まるのは欲望の正当化が原因で、

その後、大きく社会に還元されていないことが問題だと考えるのである。

グローバル社会が悪いのではない。我々がグローバル社会に追いついていないだけなのだ。

未熟な人間性と不完全な社会システムとではいつまでたっても平和な社会が実現しない。その原因は我々にある。

お金は所有するのではなく、使用するのが正解である。

上手く使用したモノが人格者で、その手助けを応用するのが経済学者ということだ。

だから、安い労働力だの、リストラだの、タックスヘブンだの、だんだんと二流の経済人に見えてきたでしょう?

安売り合戦は聖戦ですか? 問題なのは稼ぎ出したその資本の活用なのではないのだろうか?


「~♬、21世紀の資本主義を守るため、格差社会をぶち壊せ! ゆけ、ゆけ、タイガー、タイガーマスク。♬~」。






  つづく。








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