霜で真っ白です。
まずは、我が家のモミジ・・・
こちらは、散歩コースのモミジ
富士山がくっきり
ヒヨドリ
モズ
カワセミ
別のカワセミです。
これも別のカワセミ
結局、今日は三羽のカワセミに会いました。
ジョウビタキの男の子
そのすぐ近くに女の子
光り輝いている葦の穂が水面に写っているので、撮ったんですが・・・構想倒れでした。
シメ
野草の種いろいろ
アオサギ
着地(水)シーン
最後はノスリ
75年前の今日は日米開戦の日ですが、その4年後の1945年の今日から、
日本の新聞各紙にGHQ(連合軍総司令部)による「太平洋戦争史」が連載されました。
掲載された文章は、GHQの民間情報教育局(CI&E)のスタッフによってまとめられ、
日本語に翻訳された同一の文章が日本の主要な新聞に強制的に掲載されました。
この戦争史の歴史観はまさしく「アメリカから見た」戦争史で、
当初は「大東亜戦争」としていた言葉の使用を禁止して、途中から「太平洋戦争」という表現に変え、太平洋を主戦場とする「日米戦争」とし、
台湾や朝鮮半島の占領政策、中国の抗日戦争、東南アジア各地で展開された日本の軍制への抵抗運動など、その存在はことごとく無視されています。
今、知られている先の戦争に対する認識のほとんどは、この「太平洋戦争史」に沿っていると思って間違いないと思います。
これらはアメリカの占領政策の一環として、日本の敗戦を見越して終戦前からさまざまな計画が立案、実施されました。
その目的は「初期対日方針」に掲げられた2点にあります。
===
日本に関するアメリカの最終目的は次の2点にあり、アメリカの初期対日方針はこの最終目的に合致したものでなければならない。
a)アメリカあるいは世界の平和と安全に対して、日本は再び脅威とならないこと
b)他の諸国家の権利を尊重し、国際連合憲章の理念及び原則に反映されているアメリカの諸目的を支持する平和的かつ責任のある日本政府を樹立すること
====
この文中のアメリカに対する「支持」と「再び脅威とならない」がアメリカの占領政策の基本と言えます。
その方針にそって、1945年9月にGHQから「日本人再教育プラン」が公表されています。
以下の5項目からなっています。
1)軍閥主義と極端な国家主義の撲滅
2)日本の終戦を明らかにし、日本国民に戦争の責任、日本軍の犯した残虐な行為及び日本指導者の戦争犯罪を熟知せしめる。
3)健全なる経済を育成し、民主主義組織を促進する。
4)国民に対し責任をとる自由政府の建設を援助する。
5)政治および国民の自由を拡大し、集会、討論、教育、自由選挙の権利を増大させ、人権を尊重せしめる。
これらは、日本が以後アメリカにとって脅威とならず、むしろ国益になるように「再教育」するものでした。
現在の状況を見ると、多くの面でこの壮大なプランは大成功だったと言えますね。
ところで、誰かさんが盛んに唱えている「戦後レジュームからの脱却」は、これらのことを否定するということなのでしょうか?
各紙に掲載された、この「太平洋戦争史」、同じ資料が渡されたのにも関わらず、
紙面の構成や内容が異なっています。
そこには戦後のメディアの民主化運動との関連があります。
「太平洋戦争史」は各紙に12月8日から10日間にわたって掲載されましたが、後日、原本が書籍として出版され、都市部の中学校では教科書として使われています。
この書籍の内容と比べると、各紙の掲載量が異なっています。
書籍の文字数は66,516字に対して、
朝日新聞は55,998字(-11,518字)
毎日新聞は58,722字(-7,794字)
読売報知は53,912字(-12,604字)
となっています。
原本からの取捨選択に各紙の立場が透けて見えて興味深いです。
例えば、最後の章は日本の無条件降伏なのですが、
冊子の章題は「無条件降伏」ですが、
朝日新聞は「東京湾上に調印 原子爆弾、驚異の威力 絶望、遂に日本和を乞ふ」
毎日新聞は「無条件降伏 本土決戦 一朝の夢 ポツダム宣言全面受諾」
読売報知は「遂に無条件降伏 東京湾上に歴史的調印」
とあり、朝日だけ「無条件降伏」を使っていません。
その理由など、書き出すと長くなります、続きは明日にでも・・・
ちょっと堅い話で長くなりました。
では、今日の続きは、また明日(´ー`)/~~
まずは、我が家のモミジ・・・
こちらは、散歩コースのモミジ
富士山がくっきり
ヒヨドリ
モズ
カワセミ
別のカワセミです。
これも別のカワセミ
結局、今日は三羽のカワセミに会いました。
ジョウビタキの男の子
そのすぐ近くに女の子
光り輝いている葦の穂が水面に写っているので、撮ったんですが・・・構想倒れでした。
シメ
野草の種いろいろ
アオサギ
着地(水)シーン
最後はノスリ
75年前の今日は日米開戦の日ですが、その4年後の1945年の今日から、
日本の新聞各紙にGHQ(連合軍総司令部)による「太平洋戦争史」が連載されました。
掲載された文章は、GHQの民間情報教育局(CI&E)のスタッフによってまとめられ、
日本語に翻訳された同一の文章が日本の主要な新聞に強制的に掲載されました。
この戦争史の歴史観はまさしく「アメリカから見た」戦争史で、
当初は「大東亜戦争」としていた言葉の使用を禁止して、途中から「太平洋戦争」という表現に変え、太平洋を主戦場とする「日米戦争」とし、
台湾や朝鮮半島の占領政策、中国の抗日戦争、東南アジア各地で展開された日本の軍制への抵抗運動など、その存在はことごとく無視されています。
今、知られている先の戦争に対する認識のほとんどは、この「太平洋戦争史」に沿っていると思って間違いないと思います。
これらはアメリカの占領政策の一環として、日本の敗戦を見越して終戦前からさまざまな計画が立案、実施されました。
その目的は「初期対日方針」に掲げられた2点にあります。
===
日本に関するアメリカの最終目的は次の2点にあり、アメリカの初期対日方針はこの最終目的に合致したものでなければならない。
a)アメリカあるいは世界の平和と安全に対して、日本は再び脅威とならないこと
b)他の諸国家の権利を尊重し、国際連合憲章の理念及び原則に反映されているアメリカの諸目的を支持する平和的かつ責任のある日本政府を樹立すること
====
この文中のアメリカに対する「支持」と「再び脅威とならない」がアメリカの占領政策の基本と言えます。
その方針にそって、1945年9月にGHQから「日本人再教育プラン」が公表されています。
以下の5項目からなっています。
1)軍閥主義と極端な国家主義の撲滅
2)日本の終戦を明らかにし、日本国民に戦争の責任、日本軍の犯した残虐な行為及び日本指導者の戦争犯罪を熟知せしめる。
3)健全なる経済を育成し、民主主義組織を促進する。
4)国民に対し責任をとる自由政府の建設を援助する。
5)政治および国民の自由を拡大し、集会、討論、教育、自由選挙の権利を増大させ、人権を尊重せしめる。
これらは、日本が以後アメリカにとって脅威とならず、むしろ国益になるように「再教育」するものでした。
現在の状況を見ると、多くの面でこの壮大なプランは大成功だったと言えますね。
ところで、誰かさんが盛んに唱えている「戦後レジュームからの脱却」は、これらのことを否定するということなのでしょうか?
各紙に掲載された、この「太平洋戦争史」、同じ資料が渡されたのにも関わらず、
紙面の構成や内容が異なっています。
そこには戦後のメディアの民主化運動との関連があります。
「太平洋戦争史」は各紙に12月8日から10日間にわたって掲載されましたが、後日、原本が書籍として出版され、都市部の中学校では教科書として使われています。
この書籍の内容と比べると、各紙の掲載量が異なっています。
書籍の文字数は66,516字に対して、
朝日新聞は55,998字(-11,518字)
毎日新聞は58,722字(-7,794字)
読売報知は53,912字(-12,604字)
となっています。
原本からの取捨選択に各紙の立場が透けて見えて興味深いです。
例えば、最後の章は日本の無条件降伏なのですが、
冊子の章題は「無条件降伏」ですが、
朝日新聞は「東京湾上に調印 原子爆弾、驚異の威力 絶望、遂に日本和を乞ふ」
毎日新聞は「無条件降伏 本土決戦 一朝の夢 ポツダム宣言全面受諾」
読売報知は「遂に無条件降伏 東京湾上に歴史的調印」
とあり、朝日だけ「無条件降伏」を使っていません。
その理由など、書き出すと長くなります、続きは明日にでも・・・
ちょっと堅い話で長くなりました。
では、今日の続きは、また明日(´ー`)/~~