時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

旧暦の換算にご用心

2009-11-09 22:05:29 | 源平時代に関するたわごと
皆さんもよくご存知のことと思いますが、日記類や軍記物に記されている日付は旧暦の日付なので現在の日付とは異なります。

現在の日付より一ヶ月くらい遅れている場合が多いようです。
しかし、それには当てはまらない年もあります。
前年に閏月があった場合です。

閏月とは、旧暦において数年に一度ある一年に13月ある年の13月目のことをです。
(十三月とは言わず、どこか適当なところに閏〇月というのを作ります。例 閏二月)
この月があった後の数ヶ月の季節の換算は少し気をつけなければならないようです。

さて、鎌倉勢と木曽勢が激突したのは旧暦の寿永三年(1184年)1月20日です。
その日付をwikipediaで調べました。
寿永三年1月1日は現在の暦に換算すると1184年2月14日です。
とするならば、1月20日は1184年3月5日になります。
前年の寿永二年(1183年)に閏10月があったため、寿永三年の暦の前半は現在の暦から一ヶ月半程ずれていることになります。

現在の3月5日ならば、寒さは少し残っているものの、季節はどんどん春に向かう頃といえるでしょう。
「平家物語」諸本の中には、この戦いの日比叡山の雪解け水が琵琶湖に流れ込んでいた為、そこから発する宇治川の水量が多かったと記載している本があります。
確かに、春の到来が早い年であるならばそのような状況も起こりうるでしょう。

また、木曽殿最期の場面で、義仲が深田とは気が付かないで入り込み、そこに張っていた薄氷が割れて馬がぬかるみに足を取られたというように書かれています。
深い田ー水量の多い田んぼの氷が実はかなり薄くなっていて人馬が乗った瞬間簡単に割れる
これも春先によく起りうる現象だと思います。

旧暦とは知りつつも1月と聞くとついつい真冬を想像してしまうのですが、
太陽暦に直すと実は春先。

これはこの戦いだけではなく、色々な事件について考察する上でも気をつけなければならないことであると思わせていただきました。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿