時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百十八)

2008-11-19 05:35:54 | 蒲殿春秋
倶利伽羅峠の戦いにおいて大勝利を収めた義仲の元へ
奥州の王者藤原秀衡から駿馬が届けられた。
この馬は義仲が戦勝祈願した八幡宮へ奉納された。

奥州からの戦勝祝いが届いた。
つまり奥州は義仲の勝利に祝意を示し、義仲と良好な関係でありたいという意思を示したことになる。
ということは義仲の背後の脅威は減少したということになる。
義仲の周囲には、彼が越後から排斥した城氏の残存勢力そして奥州藤原氏、さらには南坂東を押さえている源頼朝、信濃に接する甲斐源氏の諸勢力が存在する。
そのうち最も恐ろしい相手は奥州藤原氏。
奥州藤原氏が支配下に収めている地域と越後は直に接している。

この奥州藤原氏との提携なくして義仲は越後を離れることはできない。
奥州藤原氏は横田河原の戦いの後、城氏が支配下においていた会津や出羽を攻め城氏没落に手を貸した。
藤原秀衡もしくは彼と緩やかな主従関係を結んでいる奥州の豪族たちに近隣への支配拡大の欲望が全くないわけではない。
従って義仲の不在中に越後が奥州藤原氏の侵攻を受けない可能性は皆無ではないのである。
けれども、現在秀衡は義仲に和平の意を示している。これで義仲の留守中に越後が侵される心配は無くなった。

奥州藤原氏が義仲と同盟を結ぶとなれば義仲の留守の間に、城氏の残党や
坂東の頼朝が越後を脅かすことはできない。
彼らが下手に動けば、両者に対して敵対的な奥州藤原氏が必ず動く。

奥州藤原氏の実力に一目おいている義仲は
越後を勢力下に置くころから奥州との接触を図ってきた。
その成果はこの倶利伽羅峠の直後に現れたのである。

義仲は西へ進む支度を整え始める。
平家を北陸から追い落とし、更には都を目指すのである。

その一方で義仲は南の脅威甲斐源氏にも調略の手を伸ばす。
甲斐源氏の中の有力者の一人に協力を呼びかけるのである。
その協力者の名は安田義定。
甲斐源氏の中で最も西の遠江を支配下に収めている人物である。

義仲の書状は密かに義定の手に渡された。
そのことを義定の盟友源範頼は未だに知らない。

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