時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(八十八)

2007-01-12 22:52:20 | 蒲殿春秋
暗い小屋の中で辛うじて持ち出すことのできた干飯をかじりながら
範頼は佐々木の使者藤七に尋ねた。

何ゆえ兄は兵を挙げたのかと。

藤七は長い話を始めた。

長年知行国主を務めていた頼政がこの年の五月に
以仁王事件で謀反人として敗死したのち
伊豆の知行国主は平清盛の義弟平時忠に変わった。

そのことによって伊豆の諸豪族の勢力地図は大きく変わった。

それまで、伊豆国衙で大きな力を振るっていたのは狩野介工藤茂光。
頼政が知行国主であった期間が長かったため私的な主従関係も結んでいた。
旧来国衙勢力の中心にいて謀反人頼政との繋がりも深かった茂光は
国衙においての影響力を急速に弱めることになった。
茂光を中心に国衙を取り仕切っていた
宇佐美、北条、天野などの諸豪族も同様であった。
かれらも多かれ少なかれ頼政との関係は深かった。
頼政の関係の深かったものを遠ざけるように指示したのは新たなる知行国主平時忠。

代わって伊豆国衙で勢力を強め始めたのが茂光と同族の伊東祐親、
そして、流人から一転して目代にとりたてられた山木兼隆と
都から文官としてこれまた目代に赴任した史大夫知親。

祐親は今まで茂光らに国衙の実権を握られ
さまざまなことが自分の思い通りにならなかった鬱憤を晴らすかのごとくに
知行国主時忠の力と自己の所有する荘園領主小松一族(平重盛の家族)を背景に旧茂光一派に圧力を加え始めた。

所領の認知、税の徴収、犯罪人の取り締まりなど
国衙の管轄下にある事項は全て伊東の思い通りになっている。

一方頼朝自身にも圧迫が加えられるようになった。
流人である頼朝がその監視人北条時政の娘政子と結婚し
北条の婿になっている事実は頼政が知行国主であるうちは
黙認されていた。

だが、それも知行国主の交代により雲行きが怪しくなった。
一番騒ぎ立てたのは目代の山木兼隆であった。

自分も数年間流人としての辛酸をなめていたがゆえに
同じ流人でも北条の婿として厚遇されている頼朝に対して嫉妬していた。
北条に入るまで兼隆以上に厳しかった頼朝の流人生活を兼隆は知らなかった。

時政に圧力をかけて頼朝にかかっている北条の保護を解除しようと兼隆は画策した。
流人のくせに配所をはなれるのはけしからん、規定以上の給付をしてはならんからはじまった時政や頼朝に対する嫌がらせの要求は徐々に強まった。
挙句の果てに、政子を自分の嫁にくれとまで言ってきた。
これらの要求を時政は断っているがいつまで山木の圧力に耐え切れるか自信はなかった。

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