時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(十五)

2006-05-04 22:23:06 | 蒲殿春秋
平治の乱以降、後白河上皇と二条天皇の対立は激化していった。
そんな中、平清盛の妻時子の妹滋子が後白河上皇の皇子を出産した。
二条天皇にはその時点では皇子が生まれていない。
都に奇妙な噂が流れた。
ある男が滋子の産んだ皇子を皇位につけようとして二条天皇を呪詛していると・・・
ある男とは時子の弟で滋子の兄の平時忠。
その呪詛騒動で時忠は全ての官職を解任され、翌年出雲へ流された。
何人かの人物が時忠の同調者にされた。
その中に「常陸介平教盛」がいた。平清盛の実弟である。
教盛も常陸介の官職を没収された。
そして、その後任として常陸介に就任したのが範頼の養父藤原範季である。

常陸の在庁官人たちは新任の介範季を怖れた。
今までの自分達の既得権が侵害されないか、
自分達と対立する勢力を持ち上げたりすることはないか、と。
しかし、賢明な範季は前任者教盛が行っていた人材登用の法則を堅持した。
在地に無用の波風を立たせるのを嫌ってのことである。
在庁官人たちは安堵した。
範季もつつがなく常陸介の任期を満了した。

さて、その範季の常陸介の任期満了の頃再び都の政界に新たな変化が起こった。
二条天皇と後白河法皇との間の対立に突如終止符が打たれたのである。
二条天皇は突然病に倒れられ、自身の幼い皇子(六条天皇)に譲位され
翌月の永万元年(1165年)七月二十八日、二十三歳の若さで黄泉の国に旅立たれた。

遺された六条天皇の傍らには摂政基実を中心に天皇親政派ががんばっているが
勢力の後退の感は否めない。
変わって後白河上皇派の力が強まってくる。
天皇親政派に睨まれていた時忠は九月になると流刑地から帰還する。

そして、上皇の寵妃滋子の義兄であり、摂政基実の舅でもある*
(つまり、天皇派、院派両方に繋がっている)
清盛の存在感はますます高まっていく。

そのような、中央政界の激変の中迎えた任期満了による常陸国の介の交替。
新任の常陸介は前々任の平教盛の息子通盛。
今まで平家との親交のあった人々、とりわけ在庁官人は胸をなでおろした。
そして、政界で清盛の実力が増していくことをほくそえんだ。


*長寛二年(1164年)清盛の娘盛子が基実に嫁いでいた

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