時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

頼朝の全国制覇までの道のり

2006-06-02 21:23:30 | 源平時代に関するたわごと
昔家庭用ゲーム機の主力が「ファミリーコンピューター」や「スーパーファミコン」だった頃
「信長の野望」というゲームのシリーズが話題になっていました。
一度はやってみたいとおもいながら、ついに手を触れることはありませんでしたが。
国内の政治を整え経済政策を行いながら侵略を防いだり、他国を手に入れて戦国武将として全国制覇するというゲームでした。


そのとき「ゲーム雑誌」の「信長の野望特集」の中で
「織田信長」や「徳川家康」について解説がありました。
「この武将を選んだひとはいかに信長や家康が偉大だったかがわかるだろう」と。

信長は経済面軍事面など全て他の有力大名より遥かに劣る存在だったようなのです。
初心者は「今川」や「朝倉」などを選んだほうがはるかにやり易いそうです。

後年の信長の偉業を知っている我々はつい彼の初期の頃の状態を過大評価しがちですが
(さすがに人質スタートの家康の評価は過大ではない人が多いようですが)
若年の頃の信長は同族争いに追われ、家中の取りまとめに苦労し、名古屋市の半分にも満たない領地を基盤にがんばっていたのですよね。
そして、ようやく織田家中を纏め上げても、隣国の今川や斉藤の方が遥かに強大です。

同じことが頼朝にも言えるのではないでしょうか。
頼朝が東国に流され、そこで挙兵したことによって
彼の優位さが強調されているようですが
実際には東国と源氏のつながりはさほど強靭なものではなく
挙兵当時には平家に臣従する豪族が多く、
さらに、武田氏、新田氏などは頼朝とは同格で、彼らは最初から頼朝を棟梁として認めていたわけではない。
石橋山に負けて房総に渡った後は雪崩現象のように東国武士団が膨れ上がったように言われていますが、
実際には安房上陸直後に襲撃されかかったり、日和見の豪族も多かったりして
北上するのにに四苦八苦していたはずです。
(この辺りに関しては野口実氏の「中世東国武士団の研究」にかなり染まって書いています)

鎌倉に入ってからも利害の異なる豪族達を纏め上げるには並々ならぬ苦労と気遣いがあったに違いありません。
「血統に乗っ取ったお坊ちゃま」で楽々まとめていけるほど幕府の草々は簡単なものではなかったのではないでしょうか?

後年の業績によって初期値が過大評価されるというのも考え物かなと思うのです。

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2 コメント

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頼朝のやりかた (麁鹿火)
2006-06-03 05:29:09
「信長の野望」、大好きです。

私は九州の大名が好みなので、いつも辺境の地を選ぶのですが、ゲームを始めるとたいがい序盤で尾張の織田が周囲の強大勢力に飲み込まれてしまう事が多いので、それを見ながら「本物の信長ってすごかったんだなぁ~」と同じ事を思う事が多かったです。ただ、ゲームでは信長は配下武将が優秀で数多いので、それを使いこなして乗り越える事は容易ですね。現実だとそうもいきません。



頼朝についても、

>「血統に乗っ取ったお坊ちゃま」で楽々まとめていけるほど幕府の草々は簡単なものではなかったのではないでしょうか?



本当にその通りだと思います。とくに頼朝が上総広常に示した態度など、一歩間違ったらとんでもないことになっていたと思うのですが、頼朝は一歩も間違えず、強大で堅い勢力を作り上げた。いったい頼朝がどんな方法でそんな貫禄を身につけて(お経ばっかり読んでいたのに)、それを武器として発動する作戦を得たのかをさがみさんがどう語って下さるか、楽しみにしています。

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信長の野望 (さがみ)
2006-06-03 17:50:32
信長の野望の経験があるのですね。

羨ましいです。

ゲームならぬ実在の信長は生身の人間や

おそいかかる現実と戦いながら天下制覇に向かって驀進していたんですよね。

我々は結果を知っていますが信長は将来が見えない。

一歩間違えると、死が待ち構えている厳しい時代。

生死の狭間を駆け抜けて名を残した人もそうでない人も本当に大変だったのだと思います。
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