時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百十七)

2008-02-19 05:49:01 | 蒲殿春秋
熊野別当湛増が鎌倉の源頼朝を尋ねた最大の理由、
それは熊野別当の座を確実に手中にせんが為、
自分の対抗者を葬るために頼朝の勢力と人脈の力を借りることであった。

熊野と一言でいってもその内部では争いがあった。
熊野三山のうち、本宮を中心とする田辺別当家と新宮を中心とする新宮別当家で
真の別当の座を巡って主導権争いをしていた。
さらに湛増がいる田辺別当家では平家に接近していた湛増の弟が田辺別当の座を虎視眈々と狙っていた。
新宮別当家は縁戚に当たる源行家を支援している。
湛増は自分もいずれかの勢力と提携する必要性を感じていた。

湛増が目をつけたのが南坂東に勢力を張る源頼朝であった。

頼朝の母の実家は熱田神宮大宮司家。そこは尾張、西三河の交通の要所を抑えている。
海を伝うと近隣と言っても良い熱田との提携は是非に欲しい。その為にも熱田に連なる頼朝との提携は必要である。
加えて湛増と対抗関係にある新宮と縁の深い源行家と頼朝の関係があまり良いものではないというのも喜ばしい。
また、伊勢に攻め込に伊勢の宮や領地を侵して破壊した熊野新宮と
その縁戚で三河国衙にいる行家のことを伊勢神宮は敵視している。
長年伊勢湾の制海権を握って熊野と伊勢は敵対関係にあったが
一年近くにも及ぶ武力を伴うにらみ合いに双方疲弊を感じ始めている。
そろそろ伊勢とは和解したい。
頼朝は伊勢神宮、及び伊勢の御厨を重んじる態度を見せており、行家に比べると
伊勢神宮が頼朝をみる目は穏やかなものである。
伊勢から敵視されている新宮一派を追放することで熊野と伊勢の敵対関係を解消したい。欲を言えば頼朝がその調停に乗ってくれるのならばさらにありがたい。

また、熊野水軍は西は九州、四国、東は東海道、坂東、奥州まで幅広い交易を担っている。
坂東は富栄えている奥州へ行くための大切な寄港地である。
その水軍の寄港地を確保するためにも海に面した南坂東の頼朝との提携は是非にも必要であった。

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