時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百一)

2008-08-30 05:59:48 | 蒲殿春秋
甲斐源氏はこの頃すでには一枚岩ではなくなっていた。

当主武田信義の後継者の地位を巡ってその子たちの暗闘が繰り広げられるようになっていた。
今のところ反平家の挙兵を強く推した一条次郎忠頼がその後継者の地位に一番近い。
しかし、他の子たちはそれを快しとはしていなかった。

石和信光も信義の後継者の地位を狙っている。
彼は他の武家棟梁との提携を目指しその後押しで甲斐源氏棟梁の地位を得ようとした。
信光が最初に提携した相手は妻の父の新田義重であった。
しかし、義重は北坂東に進出してきた義仲に圧され、
南坂東にも影響力を伸ばそうとしたところそれを頼朝に阻まれるなどどうにも当てにはならない。

次に信光が接近したのは上昇著しい木曽義仲だった。
義仲は当初は快く信光を受け入れた。
だが、ある提案が二人の間に亀裂を入れた。
それは信光が義仲に持ち込んだ縁談であった。

信光の娘を義仲の嫡子清水義高に嫁がせようという縁談であった。

義仲の返事は
「側室としてなら迎えるつもりである。」
であった。
その返答の仕方は信光とその娘を軽んじた物言いでもあった。

この時義仲の心の中には野望とわだかまりがあった。

北陸を制圧した後は、以仁王の遺児北陸宮を奉じて都に攻め上るつもりである。
そして、都でしかるべき地位につく。
彼は先祖がそうであったように、都における軍事貴族としての立身出世を目指していた。
軍事貴族の先例としては平清盛がある。
清盛は、膨大な軍事力と経済力を背景にのし上がった。
彼をのし上げたもう一つの要因は祖父正盛の代から築き上げた人脈の存在もあった。
義仲とその子たちは都における人脈を広げなければならない。

特に嫡子清水義高は義仲の後継者であるゆえ、しかるべき家から正室をむかえなければならない。
そのしかるべき家とは、少なくとも四位五位以上の諸大夫の家の娘でなければならない。
公卿の娘であればもっと良い。

今回縁談を持ち込んだ甲斐源氏石和信光は無位無官である。
しかも、甲斐源氏武田信義の後継者としての望みは薄いように見える。
そのようなものの娘は義仲の嫡子の正室にはふさわしくない。
ただ、信光との提携も必要であるから側室として縁を結ぶのは悪くはないとは思っている。

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