時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百八十六)

2007-10-14 05:39:30 | 蒲殿春秋
元々、北陸にも国衙機構を通じて行なわれる平家の支配に積極的に関わり平家が支配する国衙の権力を背景に現地で威勢を振るおうとする勢力と
それに圧迫されて反発する勢力という内紛の芽はあった。
その内紛の芽は━横田河原の合戦━という事件を契機に一気に噴出した。

横田河原以降、越前・若狭といった北陸諸国で反乱が相次ぐようになり
北陸諸国の国衙は瞬く間に反乱軍に占拠された。

朝廷にとってこれは東海道東山道を反乱軍が占拠していることよりもの深刻な事態となった。

東海道、東山道諸国からから都へ国や荘園に入ってくる年貢の多くは、
糸や布、馬などで食糧年貢は少ない。
一方北陸からの主な年貢は米などの農産物である。
都に年貢として集められる食糧は畿内、西国、北陸から集まる。
北陸は都の人々の食糧庫といっていい場所なのである。


(上記は日本の白地図 を加工して作成)

前年の天候不順と畿内の内乱勃発で都の食糧は乏しかった。
養和元年も西国は天候不順で作物はあまり取れていない。
その年の北陸からの食糧年貢が都の人の命をつなぐ大切な物資であった。

その北陸が反乱軍に占拠され年貢が都に入らない。
それは、都に住まう多くの人々が飢えて死に至ることに通じる。

東海道、東山道が占領され、そこからくる筈の布や馬などが入らないという状況は確かに困る。
しかし、北陸道が反乱軍に抑えられて食料が入ってこないという状況は
都の人々の生命にすぐに関わる問題なので、東海道東山道以上に都の人々に与えた衝撃は大きい。
すでに飢えた人々が次々と死んでいる。

全国各地の反乱をなんとかしなければならない。
平家はあくまでも武力制圧を目指しているが、
治承四年の反乱勃発からすでの一年近く経つのに、
平家は有効な手立ては何一つうつことが出来ていない。
逆に反乱は拡大の一途を辿っている。

「反乱軍との和平」という選択肢もある。
このまま反乱軍と対決を続けていると人々は飢え国は荒廃する。
それを考えると「和平」も一つの政治手段である。
宮廷貴族たちの間にはそのような考え方も芽生えてきた。
そのような中、
廷臣たちの腹の中を見透かしているようなな密書が後白河法皇側近に届いた。
南坂東を占拠している源頼朝からの文である。

「私には謀叛という考えは全くございません。
私は院に対する敵を討とうと思っているだけでございます。
院が平家を滅ぼすというお考えでなければそれを討つつもりはございません。
もしよろしければ、昔のように源平両氏お使いくださいませ。
関東を源氏に治めさせて、西国を平家に任せて重要なことは朝廷がお命じになる。
東西で起こっている反乱を治めるためにはこのようなことをお試しになられては
いかがでしょうか。」

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