時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百六十一)

2010-02-13 05:15:51 | 蒲殿春秋
生田、一の谷、山手この全ての口が破られ、平家の敗北が決した。
この後繰り広げられるのは、鎌倉勢の功名争いである。鎌倉勢の多くが名の在る将の首を得ることに血道を上げる。
平家の将や名在る者達ははこの武者達から逃れるのに必死にならざるを得なかった。

まず、餌食となったのが一の谷口から逃れて生きた一の谷口の将平忠度。
芦屋の浦を目指して東を目指していたのであるが、途中鎌倉勢に追いすがられた。
追っ手に対して「味方である。」と言って偽って逃げようとしたが、
殿上人の証である鉄染(かね=お歯黒のこと)が染められてあることでこの嘘が見破られ直ぐに討ち取られた。

ついで、山手口の将平通盛。
彼も東の浜に出て船に乗ることを目指そうとした。
だが、生田口から突入してきた鎌倉勢に囲まれて命を落とす。

福原の洋上には船が浮かんでいる。
だがその船が陸からの攻撃をかわすため浜から遠い場所に浮かんでいる。
その船は逃げる平家の将たちからは遠い存在となってしまった。

生田口を守っていた将たちも逃げなければならなくなっていた。
この口の副将は平重衡だった。
一目みてわかる立派な装束は自軍の間にある間は副将としての威厳を醸しだしていた。
だがその美麗は装束は今度敗軍の将となると、功名を目指す敵を誘いだす目印となってしまう。
この装束に惹かれるのように多くの鎌倉勢の武者たちが重衡目指して追いすがってくる。

この日重衡は童子鹿毛という名馬に乗っていた。
この馬は多くの敵の追撃を振り切りながら、主を乗せて必死に駆ける。
数多くの鎌倉勢はこの走りに振り切られる。
けれどもこの童子鹿毛の力走に必死についてくる敵がいた。
生田口軍目付梶原景時の嫡子梶原景季である。

浜地に出た重衡は馬を泳がせて船にたどり着こうと海に入る。
童子鹿毛の動きが遅くなる。

その時を景季は見逃さなかった。

景季は矢を番えて放つ。

矢はうなりを上げて童子鹿毛を目指す。

その矢が童子鹿毛の頭に命中した。
童子鹿毛は見る見るうちに弱っていく。

重衡は自分の傍で馬を泳がす乳母子の後藤盛長を見た。
主の目をみた後藤盛長は何を思ったか自らの乗る馬の馬首を変えて遠くへと去っていく。
後藤盛長の乗っていた馬は主の乗り換えの馬だった。その乗り換え馬を主に捧げるのを拒否して逃げた。
乳母子に去られた重衡は仕方なしに弱っていく童子鹿毛に乗って海を進む。
しかし、童子鹿毛は中々先には進まない。
背後から敵は迫って来る。

もはやこれまでと重衡は自害の用意を始めた。

短刀を握り自らの首筋に手をかけようとした瞬間、重衡の手は何者かに掴まれた。短刀が叩き落とされる。
複数の手が重衡の体にまとわり付く。童子鹿毛から引きずり下ろされ。武具は全て奪われた。

「鎌倉殿御家人庄四郎高家と申します。平家のおん大将のうちのどなたかと推察いたします。只今より我等が将のもとにお越し願います。」
追ってを率いていた庄四郎高家はそう言うと、自分の馬に重衡を乗せた。
その高家と重衡の周囲に梶原の郎党が現れ重衡の周りとひしと固める。
体の自由と自ら命を絶つ術を奪われた重衡は、生田口の鎌倉方の陣へと連行された。

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