時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百九十)

2011-12-05 22:56:26 | 蒲殿春秋
畿内が平家郎党達の蜂起に翻弄されているころ、鎌倉の源頼朝は別の問題を抱えその後始末に追われていた。

話は少し遡る。

元暦元年四月、頼朝の娘大姫の婿として迎えていた木曽義高が突如鎌倉から姿を消すという事件が発生した。

木曽義高は木曽義仲の嫡子である。
その義仲はこの年の初めに頼朝が派遣した軍勢らによって討ち滅ぼされていた。

それから約四ヵ月後鎌倉にいた木曽義高は突如姿をくらました。
頼朝は義高の捜索を命じた。
それからすぐ、義高が命を落としたという知らせが頼朝の元に入った。
「入間川のほとりで義高を発見。しかし、追っ手に対する抵抗が激しくまわりに木曽の残党も数多くいたのでやむを得ず殺害に至った。」
というのがその内容であった。

頼朝はその報告を当初は信じていた。

だがその報告内容は疑わしいものとなってきた。

義高の死後間もなく、頼朝は坂東にいる殆ど全員といっていい御家人達に召集をかけた。
集められた御家人達は頼朝から甲斐信濃侵攻を命じられた。
これに先立って頼朝は甲斐源氏一条忠頼を殺害している。

頼朝はこれまで同盟者ではあって頼朝の指揮下には入っていない甲斐源氏の武田信義らを屈服させようと目論んだ。
坂東の安定の為に東国の地にあって頼朝と並び立つものがあってはならない
という頼朝の信念に基づいてこの出兵は計画された。

とにかく頼朝の意を受けた御家人達は甲斐国信濃国に出兵し、武田信義をはじめその両国の住人達を服従させることに成功した。

ここに頼朝の坂東における覇権はほぼ確立した。

信濃の豪族達が逐次頼朝の御家人となり頼朝に近づいていく。
頼朝の意を受けた頼朝の雑色たちも頻繁に信濃に行くようになった。

ある日頼朝は雑色からある報告を受けた。
義高の脱走にはある人物の暗躍があった、と。

頼朝はその人物の名を心に深く刻んだ。

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