時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百六十三)

2010-03-10 21:44:06 | 蒲殿春秋
卯の刻(午前6時頃)に始まった戦は巳の刻(午前10時頃)には終わった。
鎌倉方の圧倒的勝利である。
その後各方面の将たちは勝利の忙しさに追われることになる。

まず勝利の一報を都と鎌倉に送らなくてはならない。

そして大切な任務が待っている。
将たちが最も心して行なわなくてはならないこと。
それは自軍の戦死負傷者、軍律違反の有無、そして各人の功績の確認である。

ここはしくじってはならないことである。
参軍したものは、出陣に関する全てを自分で負担し、自らの命まで賭けて戦に加わるのである。
それはひとえに「恩賞」が欲しい故である。
恩賞は、戦においてどのような功績を立てたかによって決する。
功績の正しい認証が行なわなくては公正な恩賞は与えられない。
ここをしくじると参軍したものの不信を買い、将ひいては彼等を将に認定した鎌倉殿への離反を招くことになる。

源範頼、源義経、安田義定この三人の将の元に兵達が集った。
その多くは兵が多数の首を抱えて表れた。
いずれも兵達が討ち取った敵の首である。

その敵の首の名の確認が行なわれ討ち取った時の状況の検分が行なわれる。
本人の申告する際はその現場の近くにいた味方、そして捕虜となって敵兵が呼ばれその事実が正しいものかの確認が行なわれる。
本人の申告は誇大となったり多少の虚偽が含まれている場合が多々あるからである。
中には一つの首の手柄を同時に主張するものもあり、その裁定に時間を取られるということもあった。

源範頼もその戦勝処理に追われていた。
範頼は鎌倉勢の主力を率いていた。そして敵の主力と戦った。
範頼が担当した生田口において最も規模の大きい交戦が行なわれた。
よって範頼が率いた勢が討ち取った首の数は、名のあるもの無いもの全てを含めると他の二将率いる兵よりもはるかに多い。

範頼とその軍目付梶原景時は夕刻になっても多忙を極めることになる。

日も暮れて、やや遅い夕餉を始めようとした頃、義経が範頼のもとに面会を求めて現れた。
義経は兄の前に現れると即座に口を開いた。
「兄上、私は明日都に向けて出立します。」
「そうか・・・」
「一日も早く都の人々に我が軍の勝利と平家が敗れたことを知らせなくてはなりません。」
「そうだな。」
範頼はその正論に頷く。
義経はそれを見て言葉を続ける。
「ついては、お願いしたいことがありまする。」
義経は声を潜めてさらに言葉を続けた。
「兄上、今宵のうちに平家の主な者達の首を兄上の前に集めてください。
明日私はその首を全て都にもって行きます。それから中将殿(重衡)の御身柄も・・・」

範頼は傍らにいる梶原景時の方をみやった。
景時は満足気にうなずいている。
範頼は義経に了承の意を伝えた。

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