時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百九十四)

2009-06-11 22:21:19 | 蒲殿春秋
鎌倉の頼朝が院の北面から自分にとって有利な言葉を引き出していたその頃、その異母弟範頼は尾張国熱田社にその身を置いていた。
その熱田には範頼の弟九郎義経と彼が連れてきた伊勢の国人たちも滞在していた。

法住寺合戦の後暫く伊勢国に滞在していた義経であったが、
そこを木曽義仲に攻め込まれ、持ちこたえられなくなって尾張へと撤収してきたのである。
義経は尾張に一定の勢力を有する熱田社に迎え入れられた。
熱田社は義経の異母兄である頼朝の母の実家の一族が大宮司を務めている。
その縁で義経は熱田に入ることになった。

また尾張には葦敷重隆がいる。
尾張源氏の重隆は義仲に呼応して都に上り平家を追い落としたのであるが、その後義仲とは不和になり後白河法皇に接近した。
法住寺合戦において重隆は傍観者の立場でいた。だが義仲は重隆を許さず、十二月に入ってから佐渡守であった重隆は義仲の意向によってその官職を奪われた。
重隆は義仲に対する意趣の念を深くした。

その葦敷重隆は義経とは一定の距離を保っている。
だが、反義仲という一点においては協調しうる可能性がある。

反義仲の機運が強まりつつあるこの尾張に範頼も来ていた。
伊勢の義経が義仲の攻撃にさらされた!
三河でその報を聞いた範頼は、弟義経を救うべく支配下にある三河の兵集めてその軍を東へと進めた。
この進軍は勢いに乗って義仲軍がさらに東海道を東を進撃するの食い止めんとする意図もある。
範頼は西三河の武士達を主力として引き連れていた。
範頼の意向を重要視する三河国人は西三河に住むものが多い。
その西三河は熱田大宮司家の影響力が強い。つまり三河の西半分は異母兄頼朝の外戚の協力の下範頼はその意向を通すことができる、
それが現実である。

そのようなわけで尾張に入った範頼はごく当たり前に熱田社に向かうことになる。

範頼が熱田社に入るのとほぼ時を同じくして異母弟義経が熱田に入ってきた。
期せずして二人の兄弟は熱田社にて再会することになる。

思わぬ場所の再会にお互い驚いたが、無事を確認しあって安堵の笑顔を向ける。

少数の兵士しか引き連れず、ほぼ敵地ともいってもよい畿内において入洛の交渉を粘り強く重ねた。度々義仲軍の攻撃を受けるという苦難にもあった。それにもかかわらず、今目の前にいる義経は何事も無かったかのように涼やかな笑顔を見せている。

━━ やはり、たいした男だ。
範頼はこの異母弟を改めて見直した。

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