時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

1183年4月から7月年表(北陸戦線~平家都落ち)

2009-01-05 06:28:37 | 年表
史料名 (玉)ー玉葉、(吉)ー吉記、(延)ー延慶本平家物語、(百)ー百錬抄 (新古平)ー「新古典大系 平家物語」(岩波書店)に所収の平家物語

 
日付 義仲 行家 他源氏、寺社 朝廷 平家
4月17日         平維盛ら追討使として北陸下向(百)(延)
4月25日       源頼朝、同信義追討宣旨(玉)  
4月26日         火打城の戦い 
5月2日                  平家加賀に攻め入る(玉5/12条) 
5月9日              般若野の戦い
5月11日 砺波山(倶利伽羅峠)の戦い         砺波山(倶利伽羅峠)の戦い
5月12日 藤原秀衡義仲に俊馬を送る(新古平)          
6月1日 篠原の戦い        篠原の戦い 
6月3日        追討祈願(吉)   
6月4日        北陸の官軍敗北の報が都に伝わる(玉)  
6月6日              敗れた官軍入京(吉)
6月12日       北面のものを東海道に派遣の話(吉) 貞能数万の兵を連れて都の近くにいる噂(吉)
6月13日 源氏近江に入る(吉)        
6月18日           平貞能帰洛の噂しかし兵は数千で人々失望(吉)
6月22日          
7月1日 賊徒今日入洛する由の風聞(玉)        
7月8日         平家比叡山を氏寺にする願文を送る(百)
7月9日     金峯山、多武山の衆徒蜂起(吉)    
7月11日 源氏勢近江勢多に到着(吉)          
不明       尾張源氏、美濃源氏、安田義定この頃義仲に与同して上洛※      
7月14日    行家伊賀に入り平田家継と戦う(玉)        
7月16日              平忠度追討使として丹波国へ向かう(吉、玉)
7月21日         法皇法住寺殿に臨幸(玉) 平資盛出陣(吉、百)
7月22日 近江の武士叡山講堂に集合、、源氏坂本に入る(吉) 行家大和に入る(吉) 多田行綱義仲に同心の動き、淀川口の年貢を強奪(玉)、近江の源氏比叡山に登る(玉) 院御前にて公卿ら議定(吉)安徳天皇法住寺へ御幸(百) 知盛、重衡勢多に向かう、頼盛下向(吉)平忠度丹波国から大江山へ引く(玉、吉)
7月24日         後白河法皇逐電(玉、吉)   
7月25日           平家都落ち(玉、吉)


北陸の戦いは文献によって日付が異なります。
出典元が記されていない戦いはすべて 
上杉和彦「戦争の日本史6 源平の戦い」(吉川弘文館)で示された日付に従っています。

※安田義定らが共に上洛したという根拠は
1.「愚管抄」に「武田」のものが共に上洛したとある。
2.「吉記」寿永二年七月二十九日条に義仲と共に上洛した武士の名が記されておりその中に、安田義定や他源氏の武将の名がある。
3.8月に主な源氏武将が恩賞の官位賜っている。
などです。

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