時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(百二十六)

2007-04-15 22:03:25 | 蒲殿春秋
富士川から撤退する追討軍の後を追うような形で安田義定率いる甲斐源氏の一団は
西を目指して進撃した。
彼らは瞬く間に天竜川を越えて遠江に入り
労せずして遠江国衙を手中に収めた。

西へ行く一団の中には急遽甲斐から召集された
蒲冠者源範頼の姿があった。
安田義定から借り受けた甲冑一式を身にまとい
これもまた借り受けた郎党を従えていた。
範頼は甲斐名産の黒毛の名馬にまたがっていた。
傍らには源氏の象徴の白旗がはためいている。
まさにこれが範頼二十九歳の初陣である。

遠江国衙勢力、親平家勢力に警戒してここまで進撃してきた。
しかし、小競り合いや逃げ遅れた追討軍との接触はあったものの
大きな戦闘はなく無人の野を行くがごとき進撃であった。

国衙に入ると、義定は反平家の呼びかけに応じた遠江豪族と面会をした。
事前の文書による諸豪族への呼びかけは大きく効を奏していた。
長いこと平家の知行国であった遠江ではあったが
意外と反平家の勢力も強かった。
国衙に集まった面々を見ると、以前範頼が国衙に逆らって以来
範頼と交流を重ねた人々の顔も見える。
また、幼時共に遊んだものも何人かいる。
彼らの動向にも範頼の存在はやはり影響があったのであろう。
安田義定がしきりに範頼を同行させたがっていた訳も納得できた。

一方国内の親平家勢力は先の甲斐源氏の合戦の為に
駿河に多く者が動員されて
それに敗れ多く者が討ち取られたりしていたため
今のところなりを潜めているらしい。
だが、油断は禁物である。

遠江国の有力者と面会を済ませた安田義定は
「以仁王の令旨を戴いた源義定」として
義定を支持するものへの所領の安堵と敵対するものの所領の没収を開始した。
義定は甲斐から有能な文士を数名引き連れてきていた。

範頼は義定にしばしの暇をもらいかつての自分の住居を訪れた。
蒲御厨の下司職の姿はあたりには見えない。
追討軍撤退と甲斐源氏襲来の噂を聞いていずこかに消えたのか・・・

数ヶ月前、着のみ着のままでここから追い出された。
あの時は、身の危険を感じ、先行きに絶望していた。
しかし、今は遠江を支配することになった安田義定の保護の元にいる。
この数ヶ月の身の変転を思い、
出たときと少しも様子が違っていない
「我が家」でしばしの感慨に浸っていた。

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